「今、幸せである」
「今、ここに全部ある」
これが全ての基本ベースにないと
どんな創造も、形を成し得ない。
それが受け入れられない!!
絶対に無理!!という人は
「今幸せだと認めてしまったら、このままでいいってことになっちゃう!!!!!」
「私は絶対、このままでいたくない!!!!!」
と、ある種の「勘違い」をしている。
「このままでいたくない」を強く強く、固く握り締めている。
その執着を思いっきり「今」放っている。
「今、自分が放っているものをそっくりそのまま受け取る」ということは
文字通り、それらをまた全部、自分が受け取るということ。
よく「前提が変わらないと、幸せになれない」と思い込んでいる人がいるけれど、そうじゃない。
変わっても変わらなくてもすでに「幸せ」なんだ。
その視点を、目線を持つこと。
幸せとは、感じられること。
今ここに感じていること全てがもう幸せであると認めること。
言語領域はもう、十分すぎるほど伝えてきた。
でも、受け取る力を養わないことには創造は始まらない。
外へ、外へと求め続ける行為
目で見えるものにこだわり続けていたのは
「結果」「数字」というものがないと
劣っている、甘いと言われてきたからだった。
結果が全て、という世界。
数字が全て、という世界。
そこはそこで、わかりやすい世界。
ものすごく単純で、そして狭い世界。
勝ち負けの世界。
二極の世界。
もう、そういう世界に生きることを
私はやめた。
今、コロナもあるし犬のこともあって
ただひたすら、家にこもる毎日を送っていますけれども
おかげさまで回復してきています。ありがとうございます。
そういう時こそ、ノートがはかどる。
ただただ、思うがままにノートを書いています。
情動の衝動。
実家にいて、犬への対応に、
それぞれの持論があり
とうとう、大げんかにまで発展しました。
私の中の父への怒り。
爆発しました。
情動=急激な感情の高ぶりのこと。
情動の衝動が来た時は究極の歓びの時です。
ただひたすら感じる。
書く。
父を罵る言葉の羅列。「てめーがやれ」と何度も書き殴ってますね(笑)。
楽とは犬の名前です。
自分を本音を探るコツは、当たり前だと思っていることをまず、疑うことです。
・「家族全員が同じ方向を向いて」 → そもそも、必要なの?
・本人(犬)の希望をそのままきいてやることではない → なぜそう思うの?
・自分は何を恐れているのか
↓
「また」犬の具合が悪くなること
↓
「なぜ」また具合が悪くなる、と思うの?
具合が悪くなったらどうなると思っているの?
↓
死ぬこと、いなくなることへの恐怖がある
ひとつの情動から、ひとつの前提が出てくる訳ではありません。
芋づる式に、いろんな前提がどんどん沸いて出て来ます。
これらを感じることなく、自分の中でギュッと押しつぶしたり
なかったことにしたり思考でコントロールすることに慣れてしまうと
感じる力そのものが、枯れていく。
私は怒りがよく、発動します。
その怒りそのものは、愛そのもの。
私の中で最も、愛がたくさん感じられる感情です。
感情を、自分の中からしっかりと引き出してあげる。
私は「感受性が強すぎる」と言われて育っています。
長いことそれがコンプレックスだったし、悪いことなんだと思っていました。
「感受性が強い」=「喜怒哀楽が激しい」
落ち着いていて穏やかなほうが、良い子なんだというように解釈していました。
あと「言葉がきつい」
これは今でもよく言われます。
言葉がきついって、女性として終わってるんじゃないかと悩んでいたこともありました。
理論が好きになったのは、感覚で感じることを許してこなかった部分があったからでした。
許しちゃうと、きついと思われるから。
きついと思われたくなかった。
でもね。
これら全てひっくるめて「感情の表現方法」なんです。
ただの感情表現のひとつ、なんです。
感受性の豊かさは、創造性の豊かさとリンクしています。
そして、面白いことに、
感受性を豊かに開放すればするほど、思考力も強まるという不思議なおまけ付き。
だから
「今幸せだと認めてしまったら、このままでいいってことになっちゃう!!!!!」
「私は絶対、このままでいたくない!!!!!」
これは、飛んだ勘違いなんです。
「今幸せだから、なんでもいい」ではない。
「今幸せだから、ありのままでいい」ではない。
なんでもいいし、ありのままでいいから
(そのままでいい、ということではなく)
「だから、好きなように世界を創っていい」
この視点。
なんでもいいし、ありのままでいいから
「変わらなくていい」
「そのままでいい」じゃなくて
「好きなように創っていい」
私が好きなのは、こっちなんです。
「なんでもいいから好きなようにやっていい」という
一見自由なことが返って、苦しむことに繋がることがあります。
それは「なんでもいいから好きなようにやらなくてはいけない」という縛りが入ること。
「なんでもいい」と言いながら、「なんでもいいってことにしなきゃいけない」というルールが勝手に生まれていること。
なんでもいいって、なんでも受け入れろってことじゃない。
個と全、という言葉でも表されるように
全(全部ある。なんでもいい)
という世界から
個(好きを選び取る)
という世界を創っていく。
自分の信念、というものが自分を縛る。
その縛りは、不自由さを生む縛りではない。
「個」の「わたし」が
無制限の中から
自由に選んで
制限をかけた私の世界を創っていく、っていうこと。
この矛盾が今、すっごく心地よい。
これからもどんどん世界を創っていくし
その世界の作り方をどんどん、伝えていきたい。
成長段階、というものがあって。
段階と敢えて分類しているけれど、ひとつひとつ上がっていくものではなくて一気に進めるコツもある。
その辺もまた、ブログに書いていきます。
風強し。
よき夜をお過ごしください。