前提の書き換えをしていると

「これであっているか」

「間違っているか」を

聞いて来る方がいます。

 

 

「あっているか」

「間違っているか」

という視点は

 

 

「あっているものが正しくて」

「間違っているものが悪」という

二元論からの考え。

 

 

前提の書き換えは「自分の好み」です。

それこそ、自分の感覚に忠実に耳を傾けて

自分の心地よさ最優先で決めていいもの。

 

 

ですが、これは

「自分さえ良ければいい」という考えには至りません。

 

至らない、というよりも至るわけがないのである。

 

 

 

 

世界の二極化は、更に進んでいます。

より加速する一方です。

 

 

 

それは

「自分の外側を見るか」

「自分の内側を見るか」

この違い、ただそれだけです。

 

 

 

自分の内側を見つめ

そこに存在する無限の世界と繋がり

己を自由に表現していき

ますます繁栄する人

豊かさに触れ続ける人

 

 

 

 

 

自分の外側ばかり見つめて

ないものねだりをし

恐怖に怯え

嫉妬に狂い

嘘や偽善の中で

人を呪い続ける人

 

 

 

 

 

 

世界の見え方が、二極化している。

世界を見ると決めているものが、二極化している。

 

 

 

 

あなたは本当は、世界に何を見たいのか。

世界に何を見ているのか。

 

 

 

人を見ている場合ではない。

人が何をしているか見張っている場合ではない。

 

 

 

自分の内側を知る者は

「自分さえ良ければいい」という考えが

いかに、無意味なものか知っている。

 

 

そこには、無限の愛と豊かさしかない

文字通り、無限で

誰かと奪いあったり

誰かが取ったら誰かの分が減る、なんてことはありえない。

 

 

誰もが、豊かさを手にしていいし

裁きなど、ない。

 

 

どれだけ自分の内側が

愛に溢れているか

そして、魂は常に

そのことを知ってほしい

気づいてほしいと願っているか

 

 

そのことに、さっさと気付こう。

 

 

 

 

 

 

自分はかわいそうな被害者で

自分が幸せじゃないのは

あの人のせいだと、人を責め続けて

 

 

自ら、そういう世界を選んで創っていることに

いい加減、気付いたらどうだ。

 

 

 

 

 

誰もがみんな

「自分を見る」ことが絶対に、足りない。

とことん、見つめることが足りていない。

 

 

見つめ続けていたら

自分の中に全部ある、ということがわかるのに。

自分の中にしかない、ということがわかるのに。

 

 

 

 

あなたは、世界に何を見たいと思っているの?

 

 

今、あなたが世界で見ているものが

あなたの望むものではないなら

 

 

 

「これは私の望んだ世界じゃない」と

外側に向けて文句いう前に

 

その「世界を見ている自分の瞳」を疑いなされ。

 

 

 

2020年が始まって10日ちょっと。

二週間経たないうちに、私の世界の見え方はまた、変わりました。

 

どんどん変わっていく。

どんどん切り替わっていく。

 

 

それを受け入れ続けることのできる豊かさよ。

 

 

 

世界に何を見るか。

それも全て、自分で決めていい。

 

 

 

 

 

よき、日曜日を。