先日のこと。

 

 

「この人を見ているとね、できないことなんて、この世の中にないんじゃないかと思えるよ」

 

 

友人に、こう言われました。

 

まあ嬉しい。すごい褒め言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

私には、できることとできないことは、もちろんあります。

 

 

 

でも、自分にとって「できる」「できない」よりも

「やりたいか」「やりたくないか」よりも

さらにその先があるんですね。

 

 

自分の世界の中の楽しいこと、好きなこと、環境などのためにそれがどう作用するかを常に考えています。

 

 

 

だから、できないことであっても、自分の世界にとって重要、必要だなと判断すれば勉強したり身につけたり、します。

そして、工夫したりアイデアを練ったりします。

 

 

だから、わたしはいつでも

「できるようになるか、工夫するか」です。

 

 

 

 

それはひょっとしたら

「あたまで考える好きなこと」とは、かなり違うのかもしれません。

 

 

 

 

「好きなことをして生きていきたい」という人は、たくさんいます。

でも、好きなことをして生きて生きたいけれど、これはやりたくない、これはできない、という人に出会うと

 

 

 

いや、できるとかやりたくないとかはさておき、その先にあるものはなに?

と、思うのです。

 

 

 

 

 

 

私は「好きなことをして生きている」ほうです。

きっと、世間一般的に見たら、そうでしょう。

 

 

 

でも

「好きなことをして生きている」というよりは

自分の世界観の中で

「いつでも、これをしている自分が好きかどうか」

という判断で生きています。

 

 

 

「好きなことをして生きていく」というよりは

「好きだという気持ちが自分の中から湧き上がってくるかどうか」です。

 

自分の中で好きが溢れ返ってくるような感じ。

 

 

 

だから「できる」「できない」という視点で止まることはありません。

必要ならできるようになるようにする、というだけ。

 

 

 

それはがんばり論とか力技の努力論ではなく。

 

 

「見たい世界がはっきりとわかっているから、そのための痛みや苦労や不安も、歓びのひとつになる」ということです。

 

 

 

 

見たい世界が明らかになっていたら

仕事でもなんでも「できない」で止まることはないし

 

 

その先の世界が見えていたら

そりゃあ、やるしかないでしょう、といつも思うのです。

 

 

 

 

 

 

私は、いつでも自分に誇れる私でいたい。

私は、いつでも、それをしている自分を最高にかっこいいと思いたい。

 

 

 

 

そう、私はとことんどこまでも、わがままだなぁと思うのです。

 

好きなことをして生きていく、よりも

いつでも自分がやっていることに、とことん酔えるかどうか。

 

それしか、考えていないと言っても過言ではない。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日。

PERSONZ35周年記念ライブは

 

 

まさかの4時間超えでした。

通常ライブの、倍。もちろん最前列。

 

 

The Roodysの秋村さん

ハートビーツのShyさん

最高にかっこよかったなぁ。

うっとり。

 

 

 

 

おかげさまで(?)

ヘロッヘロのヨレヨレになって深夜帰宅。

 

 

 

 

 

土曜日、朝一で仕事をしてから郡山へ。

 

 

 

 

 

 

 

私は、ライブ中どんなに足が痛くなってもどんなに疲れても、絶対に座らないと決めています。

最近は椅子があるところでのライブが多い。

それは、私の中の勝手なメンバーへの敬意であり神聖な儀式みたいなものです。

 

 

 

そして、会場の誰よりも高くジャンプする。

だから準備運動を怠ると肉離れをするわけです。

 

 

 

昨日はライブハウスの方にまで

「いやー、いいジャンプしますよねぇ。後ろまで見えてましたよ」と声をかけられる始末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう、ことです。

え?そういう話?(笑)

 

 

 

 

 

今日は、仙台に移動します。

 

 

 

このツアーも来週で終わり。

少し、さびしい。

 

 

 

 

よき日曜日をお過ごしくださいね。