成功したい、という思い。

 

誰もがみんな、成功したいと一度は思い

失敗して挫折し

 

そしてまた、立ち上がるものもあり

そのまま諦めてしまうものあり

あたらしいチャレンジをはじめるもの、あり。

 

 

私は、成功って、あるところまでは大事だけれど、最終的に必要ないと思っています。

 

成功した、という感覚はあってもいいけどあまり必要ない、と言えば良いかな。

 

 

 

一般的な「成功」というのは

目に見えるものであり

 

「何かを成し遂げた」ということで

「何かを獲得した」ということ、なのでしょう。

 

 

「何かの願いが叶ったこと」や「何かを成し遂げたこと」で

その人そのものの価値は全くもって測れません。

 

 

 

 

 

ていうかね。

 

何かが叶うこと、何かを手に入れることよりも

 

その「叶うまで」のプロセスを体験する中で

自分が何よりもこの人生で大事にしたいもの

つまりは「コア」であったり「世界観」に

ほんの一瞬触れたり、それを垣間見る瞬間が、必ず訪れるのです。

 

 

だから途中、失敗したりどん底に落ちたりすることだって、ある。

それすら、自分の望む世界を知るためのプロセスのひとつに過ぎない。

 

 

 

 

 

私が5年前にカフェ経営でどん底に落ちたことは

もう、耳タコなくらい話していますが

それでもね、今、切に本当に思う。

 

「順調でなくて、よかった」と。

 

 

あの経験があったからこそ、今の私は本質というものを知り

自分の世界観をより、はっきりさせることができた。

 

 

 

この、喜びや、素晴らしい出会いや、数々の愛情。

そういったものを、体感できる機会をたくさんたくさん、もらうために

 

あの道は、通らなくてはならなかったんだなぁと、そう思います。

 

 

 

 

だから、成功を体験することも、とても素晴らしいけど

成功するために生きなくていいんだよ!!と

私は今、声高に叫びたいのであります。

 

 

 

私は、ある意味で言えば

当時望んでいた成功の形に近い物を、手に入れているのでしょう。

 

 

 

 

でも、そのことそのものよりも

私は、人と人との間に流れる静かな愛情や

相手を思う純粋な気持ち。

それらを体感できたこと。

体感できる世界にいられること

そのほうが、単純な成功体験より

何百倍も私に、至福をもたらしてくれた。

 

 

 

最近、いろんな出来事が立て続けに起きていて

意図したものも、そうでないものもありますが

 

 

全ては、自分なのです。

 

 

別の言い方をすれば

「叶っている願い = 自分」

この公式です。

 

 

 

 

願いが、自分そのものである。

 

 

 

 

どんな人にも「世界観」というものがあります。

必ず、あります。

 

その世界観への想いが、願いが、エネルギーとなって、人の元へ届くのです。

 

人の胸を強く揺さぶる。共振する。

そして相手も動き出すのです。

 

それを私は「熱量の伝染」と呼んでいます。

熱量の多さ、強さはこの「世界観」から発せられている。

 

 

私たちは誰もがみんな「愛を顕わす世界観」を持っています。

それを表に出した時、人の心を必ず突き動かすのです。

 

そうなるとそれはもう、単なる願望を超えていく。

このことを私は「コア・本質」と呼んでいます。

 

 

コアから発せられた願望は、愛そのものであり

必ず、全てのものに後押しされるよう、できている。

 

 

それは、見えるもの、見えないもの、全てからです。

全てにおいて、後押しをされている。

そう、実感できる。必ず実感できます。

 

 

これは、ものすごい内なるパワーを生み出し続けます。

内なるパワーだけれど、どこかから供給され続ける感覚。

 

 

 

 

だから私は、嘘の願望には敏感です。

 

特に個人セッションのクライアントさんは

大変な思いをしてこられたことでしょう。

(スパルタでは、ありませんよーと一応言ってみる・笑)

 

 

だって、そこじゃないでしょう、と。

何度も言われた人が、ほとんどです。

 

 

でもそれは、自ら気付くしか、道はない。

だからこその、質問力なのです。

 

 

大体の人が、根底に抱えているものを投影した願望を、本当の願望だと思っています。

 

 

・罪悪感、自己否定からくる願望

(このままの自分は価値がないから◯◯が欲しい、そのためにお金がほしい、親に認められたいから成功したい、太っている自分が許せないから痩せたい等)

 

・不足感や代替えの願望

(足りないと思い込んでいるから、その穴埋めのために求める願望。彼にもっと愛されたいとかね)

 

 

それらは、得ても得ても満足することは、ありません。

満足しない、というよりは不安がより強大していく。

 

それは、あなたの本当に望んでいることでは、ないから。

シンプルな話です。

 

 

私たちは、他人の同情を引いて注目を浴びたい生き物です。

基本的に人間は、そうなっています。

 

 

「足りないから、こうしたい。だから願う」

「私を認めてもらいたいから、こうしたい。だから願う」

 

 

それを願う時、本当の意味で心踊っていますか?

ワクワクしているのは、表面だけじゃありませんか?

 

 

「シンデレラ症候群」になってませんか?

今の私はダメだけど、いつか何かが訪れて一瞬で全てが変わって素晴らしい世界へ行ける、というおとぎ話への憧れのワクワクではありませんか?

 

 

その願いは、願いのようなふりをして

あなたをとことん、傷つけている。

 

 

今の私じゃダメだ、というスタートからの願いは

そうなれない自分をまた、責め始める。

できない自分を追い立て続ける。

 

そんな風に自分を傷つけ続けていることに、

みんな誰もが気づかないふりをしている。

 

 

 

そうじゃないし、そこじゃないのです。

 

本当の願望は、全ての人を一瞬で幸せにする。

 

 

 

だから、自分を幸せにしない願望なんて捨てちまえ、と何度でも言うのです。

 

 

 

願望とは、何かを達成するためでもなく

何かを獲得するためでもなく

 

 

ただ「自分に、自分の本質に、自分の世界に、コアに触れるためにある」もの。

 

 

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私は親への復讐という歪んだものをずっと、抱き続けて居ました。

 

親に認められたい、という一心から

自らの全てを使って、とことん親を裏切り続けましたし

 

 

「親が私を認めてくれているかどうか」

「理想の親であるかどうか」

「私が欲しいものをくれているかどうか」

 

そういう目線で親を厳しくチェックしていました。

 

 

 

でも実は、そうやって自分を傷つけていたんですね。

 

 


「親にとことん認められなかった私」を根底に抱えているので

 

「親にとことん『お前はダメだ』と言われ続けるような(幻想を抱く)選択しか、してこなかった」

 

 

 

そして、ある時気づいたのです。

両親が、私を責めることなど一度もなかったことに。

 

 

 

カフェをやった時、途中で一度も「やめろ」とは言われませんでした。

とことん、どこまでもやらせてくれたし

毎月、赤字補填をし続けてくれていたし

「やめ時は自分で決めなさい」と、言ってくれていた。

 

 

そうか。

受け取っていなかったのは、私だった。

ひとりで勝手に苦しんで悩んで、そのモードを選んでいたのは私だ、と。

 

 

そして思いました。

なんという傲慢さなのだろう、と。

すでにあったものをないない、と言い続けていたのだから。

 

 

「願っていたものは既にある」ことを知った。

その時、私の中から親へ認められるため、復讐するために必要だった「願望」は、全て消え去りました。

 

 

そして、私の中にわたしが還ってきた。

 

 

親に認められる必要はもう、なくなった。

既に認められている。

 

 

そこから、私の願望というものは、

敢えて言うとより「純度を増した」のです。

 

 

 

 

今でも、承認欲求は消えることはありません。

「どうだ、すごいだろ!!」って、やりたくなる私がいます。

悩むことも、迷うことも、ジャッジも余裕でやる私がいます。

 

でも、それらも全て、マルッと「わたし」である。

生きているって最高に面白いなぁと

そう、感じる瞬間のために生きている、と言ってもいい。

 

 

「ああ、私はこれを体感したくて、これを望んだんだな」

そうわかる瞬間は、何物にも代えがたい至福の瞬間なのです。

 

 

 

 

もう一度、言います。

 

願望とは、何かを達成するためでもなく

何かを獲得するためでもなく

 

 

ただ「自分に、自分の本質に、自分の世界に、コアに触れるためにある」ものである。

 

 

 

 

 

 

 

今日も私は、熱量を放ち続ける。

私のために。私が見たい世界を、見るために。

 

 

 

6月スタート。

 

昨日、舞台のことを書いたら

夜に「演劇集団キャラメルボックス」活動休止のニュースが届く。

 

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1905/31/news132.html

 

 

 

私がブログに書いた

どうしても演りたくて、上演した舞台、というのは

キャラメルボックスの脚本でした。

 

「不思議なクリスマスのつくりかた」

私にとっては永遠に忘れることのない、大切な脚本。

 

 

 

 

活動再開を、切に願います。

 

 

 

 

 

良き週末を、よりよきひとときを、お過ごしください。

感謝を込めて。

 

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