こうなったら幸せになれるのになぁ

あそこまでいけたら満足するのになぁ

 

 

私たちは、いつでも幸せを求めている。

そう言葉にすると

本当のように聞こえますが

 

 

 

私たちは、幸せを求めているのではない。

 

 

 

 

私たちが本当に欲しいものは

ものでもお金でも、なんでもない。

 

 

 

  • お金を稼ぎたい
  • 痩せたい
  • きれいになりたい
  • 車が欲しい
  • 家が欲しい
  • 彼氏が欲しい
  • 結婚したい
  • 有名になりたい
  • 認められたい
  • 許したい
  • 自己表現したい
  • 繋がりたい

 

 

これら、全てが欲しいのは

幸せになりたいから、ではないのです。

 

 

 

私たちはいつだって

私たち自身の心地よさを求めている。

 

 

心地よさとはすなわち「ご機嫌な私でいること」です。

 

この「ご機嫌な私でいること」が、本当に私たちが欲しいものです。

 

 

 

 

いつだって

揺るぎなく

ほがらかに

ご機嫌な私でいたい。

 

 

 

で、ご機嫌な私でいるために

 

 

  • お金を稼ぎたい
  • 痩せたい
  • きれいになりたい
  • 車が欲しい
  • 家が欲しい
  • 彼氏が欲しい
  • 結婚したい
  • 有名になりたい
  • 認められたい
  • 許したい
  • 自己表現したい
  • 繋がりたい

 

 

わけです。

 

 

 

わかるかな?

 

 

これらが得られたら、ご機嫌な私でいられるに違いない。

そう、思い込みです。全ては思い込み。

 

 

これらの中に、私たちは

「一方的な希望」を見出しているのです。

 

 

 

でもね。

これらは所詮は「手段」に過ぎないのです。

 

 

 

もうね、何度も言う。

手段です。それ以外の何物でもないの。

 

 

 

「ご機嫌な私」を得るための、手段です。

 

 

 

 

それが途中から

獲得する目的にすり替わってしまう。

 

 

 

 

 

私はノートワークで

とにかく

書け書け書け書け言いますけれど

 

 

 

書き出せる願い事は全て、手段です。

手段に過ぎないの。

 

 

 

私たちが欲しいのは「ご機嫌な私である」という、体感なんです。

感覚のほうが、本当は欲しい。何よりも「ご機嫌な私でいる」という感覚が欲しい。

 

 

 

 

今の時代「幸せになれそうな手段」が、いくらでも転がっています。

憧れの人の「幸せそうな姿」に更に憧れて

あれがあれば幸せになれる、という錯覚も、とても起こしやすい世の中です。

 

 

 

ご機嫌な私でいるための「手段」が「目的」にすり替わって

それが得られないことで苦しんで

結局ご機嫌な私でいられなくなっている。

 

 

ということがたくさん起きているのです。

 

 

 

 

これって本当に

本末転倒な上、ものすごく苦しい。

 

 

 

 

それは単なる手段に過ぎないのに

「私がご機嫌でいるためには、これが絶対に必要!!」って思い込み過ぎていて

 

 

 

そのこと自体が叶わないと言っては怒り

やっぱり自分はダメなんだと自責し

周りが羨ましいと言っては嘆く。

 

 

おいおいおいおい。

結局「ご機嫌な私」から一番遠ざかっとるやんけ!!!!!

 

 

 

なんてね、偉そうに書いてますけど

私もよく、陥ります。この罠に。

 

 

 

 

 

じゃあ、ご機嫌な私でいるには、どうしたらいいのか。

 

それはね

 

 

「自分のご機嫌を他者に委ねないこと」です。

 

 

 

ほほほう。なんじゃそれは。

言い換えてみましょう。

 

 

  • 他者からもらうもので、自分をご機嫌にしないこと。

 

 

これでもまだ、わかりづらいですね。

 

 

  • 他者から与えられるものに、自分の機嫌を委ねないこと。

 

そう。

手段を相手の反応に依存しない。

 

 

自分から、に矢印の向きを変えるのです。

全ての出来事を自分発信に戻すことです。

 

 

 

-----

 

 

例を挙げてみましょう。

 

目的は、常に「ご機嫌な私でいること」

これは、自分発信です。自分で選んでいます。

 

 

 

ここに、手段として

「彼からの愛情表現が欲しい」と考えたとする。

 

 

 

この手段は、思い切り他人発信です。

相手次第になります。

 

そうすると、不自由ですよね。

自分で決められないし、自分ひとりではご機嫌でいられなくなる要因となる。

 

 

 

では、こうしてみましょう。

 

 

手段を

「彼からの愛情表現を探す」に切り替える。

 

 

わかるかな。

 

こうすると、自分発信になりますね。

彼の中から、愛情表現だなと感じることを、自分で探し出せるんです。

(そして必ず見つけられる)

 

 

これは他者にコントロールされていない状態となります。

全て、自分で選んで、自分で感じて、自分で完結できる。

 

 

この自由さって、ものすごい自由なんですよ(どういうことだ・笑)

自分の願いを叶えられるのは、いつだって自分自身になるわけね。

 

 

 

近年、さんざん流行った

「いい気分でいたら全てうまくいく」は

実はこのことなんです。

 

 

 

 

自分自身で充足する。

充足できることを、自分で知っていることは、ゆるぎない私を思い出させてくれる。

 

 

 

 

 

いま、ほしいもの、やりたいことがある。

でも、できない。やれない。どうせ。だって。

そんな言葉が出てきたり、すぐに行動できないときは

 

 

「それは手段。今はそれが選べない。じゃあご機嫌な私でいるために今できることは、何?」

 

 

 

そんな風に切り替えます。

今、ご機嫌でいるために、私が使える手段はなんだろう。

そういう、視点です。

 

 

 

 

大事なのはね

自分が持っている手段を、きちんと俯瞰して見てみること。

 

勝手に自分でないことにしてしまっている手段がたくさんあるの。

勝手に拗ねて諦めちゃってるもの、たくさんあるの。

 

 

自分が自分をご機嫌にさせる手段は、ちゃんと自分が知っているから。

 

 

 

この

自分自身で充足できる。

ということを知ると

 

感謝できる私になれます。

そして、自分にも甘くなれるし、他人にも甘くなれる。

 

 

わたしが、ただ、わたし自身でいられる。

ゆるむわたしと、出会える。

これ最高。

 

 

 

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この間大風邪を引いてから

なんとなく、何かが切り替わったようです。

あちこちから謎の声がかかりました(笑)。

 

 

 

私は、元気です。ご心配なく。

 

 

 

今日も、良き日を。

 

 

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