実家に帰省して早々、大事件がありました。
母のスマホが、どこかへお出かけになられてしまったのです。
実家で人が暮らすエリアは限られているのですが
木曜日の昼間に、車の中で使ったのを最後に、気づいたらいなくなられていた、と言います。
次兄と2人、散々探したけれど、ないのと母は言います。
私は、心配してオロオロする母に「大丈夫、見つかるよ」と言いました。
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母はAndroidの簡単スマホユーザーで「端末を探せ」設定を一切していなかったため詳細な場所は特定できず。
auサポートに電話したところ、駅から半径1キロ以内のところにあることまでは判明。
自宅は駅から300メートルほど。
さあ、久しぶりにパラレル移動の実践じゃー!!(実践の機会はいつだって楽しい)
ちょっとおさらいしましょう。
パラレル移動の意識の使い方のコツは以下の通り。
①こうなりたい、こうなることを決める(ゴールを決める)
②1で決めた真逆のこと、正反対のことを思い切り想像して、それを心の底から受け入れる
③望む世界へいくと、決める。(心から決める)
順を追って見ていくと
①こうなりたい、こうなることを決める(ゴールを決める)
この場合「母のスマホが見つかる」です。シンプル。
②1で決めた真逆のこと、正反対のことを思い切り想像して、それを心の底から受け入れる
母のスマホが見つからなかった場合の、最悪の事態まで想像します。
イメージから、感情や感覚を先取りして「そうであっても余裕な私」を体感する。
(今回は落とし込みにカラダアファメーションを使ってみました)
③望む世界へいくと、決める。(心から決める)
で、これを繰り返す。
これをやるにあたり、大切なポイントがあります。
「望む世界」を決めたら、それについて考えすぎないこと。
注文したアマゾンの商品について、届かないかもしれないと不安になったりしないですよね。
それとも同じこと。
だから、③については「決めるだけ」って感じ。ライトです。
そして、頭ではなくて、心で決める。
私の感覚は「あーーーー、こんなところにあったわーーーー」という
ホッとした、脱力感。安心で満たされる感じ。
あーーーー、よかった。母が喜んでいるのを見てとても嬉しい私がここいる。
それを繰り返しました。
で、ふと降りてきた行動は、そのまま続けます。
なくなったのが木曜日。
土曜日の夜、母のスマホにかけてみたら、コールはしている。
コールしながら、ざっと家の中を探しました。
でも、ない。
その日はそれで終了。
その時点でも、私は「見つかるから大丈夫ー」とわかっていました。
そして昨日。
午後に、次兄がきました。
その時に「もう一度ふたりで探そう」ということになり
私が、コールし続けてみて
次兄が探す、という連携プレーを、とりました。
さあ、ここからです。
私がコールしたその瞬間。
誰かが、出ました。
今までうんともすんとも言わなかった母のスマホ。
なんと。母のスマホは
家のすぐ近くのローソンにあった!!!!!!!!
すぐ取りに伺いました。
この時に
非常におもしろいことが、ありまして。
店員さんは母の顔見知りの方で
経緯を説明してくれたのですが
- 店内の床に落ちていた
- サイレントモードになっていて着信音に気づかず
- 途中そのことに気づいて、店員さんがバイブモードに切り替えてくれた
- その途端、私からコールがあった
さらに
- 母は、事件の前後含め数日間、そのローソンに行っていない。
- 母はサイレントモードの存在を知らない。
のです。
(直前まで使っていた時はマナーモードだったのを、次兄が確認済み)
両親は「誰かが拾って悪用しようとしてロックがかかって使えなかったからローソンに届けた」という持論を展開していましたが(笑)
すぐ「悪用される」という思考に走るうちの両親。それはそれでそっとしておきました。
父は「暁子が見つかるっていうと、本当に見つかるなぁ」としきりに感心していました。だって見つかるんですよ、父。
そんなわけで3日ぶりに手元に戻ってきた母のスマホ。
傷もなく、元気にしておりました(笑)。
帰って来て即「端末を探す」アプリを入れてGoogleと連携し、データのバックアップをとってあげました。はい、これで安心だね。
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さてこの話。
「ほーら、望めば簡単さ」というお話をしたいのでは、ありません。(実際とても簡単にできるようには、なります!!)
このパラレル移動をすんなりと行うために、必要な前提というものがあります。
今日はそれについて話します。
まず第一に
「人は瞬時に変わることができる」ということ。
過去からの連続で「今」を測る性質が、私たち人間にはそもそも備わっていますが
パラレル移動のコツは、周波数の共鳴の変化です。
共鳴することで世界が変わる。
つまり、簡単に自分の周波数って変えられるんです。
しかも、いつも、すぐに。
だから、前提として
「私は◯◯だから変わらない」を持っていると、この変化が起こしにくい。
というか、起きない、重たいから。
「私は性格がああだから、こうだから」と決めつける。
「私は理解が遅いから」と決めつける。
この「決めつけ」は、失敗することへの恐怖から来ているものなんですね。
失敗を恐れて、予防線を張って、自分を守っている。
(それもまた、愛であることはいうまでもない)
だけれど、それだと軽くない。
だから、移動が困難になる。
最初から「固定された私」でいることに、意味はないんです。
必要なのは柔らかさと、臨機応変さ。自由さ。
なりたいときに、なりたいわたしになればいいだけの話。
そこには、頑固な私も、譲れる私も、柔らかい私も強い私も、いろんな「わたし」がいる。
その「わたし」でいること。
話を元に戻します。
ふたつめは
「私たちはいつでも、予想以上の受容力がある」
これが腹落ちしていると瞬時です。どんなこともそうである、と言えます。
私たちは自分の想像をはるかに超えた受容力、というものを持っている。
どんな時も、どんな事も「受け入れる力」があるんです。
「受容力」
これは本当に、どんな人も、です。深い受け入れ力がある。
たとえば言いようのない不安に襲われた時。
心配で物事が手につかない時。
わたしはそれが起きたとしても、それを受け入れる力がある、と信じればいいのです。
今までもいろんなことがあって、辛いこともしんどいことも全部受け入れてきたんだ、と。
どうしようもなくピンチだった時も、なんとかなって来たじゃないか、と。
その時、その時のわたしを信じるんです。受け入れて来たわたしを、信じればいいし未来のその時のわたしに、委ねればいい。
これはものすごく楽だし、すぐに幸せになれるし、今に戻ることができます。
それは、私たちの中にある、誰もが知っているコアに触れることでも、あるのです。
普遍的な真実を、知る瞬間でもある。
わたしたちはみんな、万能であり
自由で、愛に溢れた、豊かな存在です。
それは、ネガティブがないとか、悲しみや怒りがない、ということではありません。
それらもすべて、あり
あっていいものであり
それらを受け入れたとき
わたしたちは幸せや喜びをただ、享受することができるのです。
何か起きた時
パラレル移動、ぜひやってみてね。
楽しいぞ。
平成最終日。浄化の雨。
静かに、しんとした気持ちで過ごします。
良き日を。それぞれの、平成最後の日を楽しんでね。
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