道に迷った時
どれを選べばいいかわからなくなった時
「正解はどれですか」
そう、人に聞きたくなる気持ちは、わかります。
- これは正しいですか
- 合ってますか
- 間違ってますか
- どっちがいいですか
だがしかし
正解って、すごく曖昧です。
正解なんてものは、外にも内にもなくて
その時、その時の状況や人物、対象によってまるで変わってきてしまうし
常に、流動的に変化し続けます。
それは、私たちが固定された存在ではないのと同じこと。
「前はこう思ってたけど、今はこう」なんてことは、ざらにある。
正解だと思っていたことが、不正解になることは、多大にある。
全てに共通する正しさ、というものはこの世界にはないのでしょう。
だから、大切なのは
「その時、その時の正解を「自分の意志を持って」決めること」です。
最近、理由というものを考えるきっかけとなる出来事にたくさん出会いました。
◯◯だから、こう
△△だから、こう
そういった理由ひとつひとつと
実際、何か事を起こすために決めることは
実は、全然関係ない。
勝手にそうであると、私たちが繋げてしまっているだけ。
大事なのは、理由ではなく、意志。
必要なのは「意志」のみ。
- 変える理由
- 終わらせる理由
- 続ける理由
- やめる理由
- 始める理由
- 悩む理由
- ゆるす理由
では、ない。
変えるために理由はいらないし
終わらせるために、理由はいらない。
自分の意志で決めると、それに振り回されなくなります。
とても楽になります。
何かが起きて、勝手に作動する「悩み」に振り回されるのではなく
「私はここまで悩むぞ」と決めて悩むことは、とても潔いことだと思うのだ。
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この間、秘密のハヤシの会が開催されましてですね
Hゆかさんという方に、とある出来事を話したところ
いろんな分析と気づきネタをたくさん盛られまして
非常に興味深い分野に、これまた足を踏み入れてしまいました。
(全く伏せ字になっていない)
その時、私の意識領域のとある地点で
「憤り」と「耐えようのない孤独」というキーワードが出ました。
私は、憤っている。意識のないところで憤りを覚えている。
その憤りがどうしたら解消されるか、ではない。
ただ、終わりにする。
何かの理由をくっつけて、それを解消しようとするのは、私たち人間がよくやってしまうことですが
私にいま、必要なのは
「終わりにする力」だなぁと、そう思った次第。
外側からやってくる「安心を与えられるもの」や「謝罪」という行為
=
何か理由があれば、安心できる、許せるという状況
ではなく
私が、意志を持って「終わらせる」ことが必要。
私が、意志を持って「水に流すこと」が、大切だなと思うわけです。
理由を必要とするうちは、自分ががんじがらめになり、苦しみます。
自らの手で状況は変えられないと、強く思ってしまうから。
意志を持つことは、主導権が自らの手にある、ということです。
自分で決めていいし、自分でやっていい。
理由は、自らを鍵のない監獄へと縛り付け
意志は、自らを大空へ羽ばたかせる自由の羽となる。
全ては、自由意志のもとに。
そんなわけでまた、禁断の世界の扉を開けてしまったのであります。
意識領域の話がマジ面白すぎて鼻血吹きそうになってます。
即、それに関する本を調べまくって、読み始めている次第。
いつも新鮮な気持ちで学びに取り組めるのはありがたいこと。
ノートワークの後半戦は、次からスタートします。
よき日曜日を♫
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