「ノートワーク、めっちゃ細かいですね」というご意見をいただいております。
そうなんだよ(笑)。
私は、世の中にあるありとあらゆるノートワーク・書き出しワークを実践しました。
その中で、特に効果があったものを更にアレンジを加えているのですが
こうして書いてみると
超マニアだぜ(笑)何を今更。
一気にやると脳みそがパンクしそうだというそこアナタ
そもそも一気にやるもんじゃございませんので
このノートワークは
変わりたいあなたのためではなく
変わらずにある、そのままのあなたを掘り出すためのワークです。
自分を変えよう、というのは
無理やり理想の自分に当てはめる、ということではなく
誰かの手によって作られた
「あなた」という前提を壊すところから始まります。
あなたが思うほど、あなたは弱くもないし
あなたが思うほど、あなたはダメではないし
あなたが思うほど、あなたはできない人ではないし
あなたが思うほど、あなたは悲しい人ではない
のだ!!!!
ということで今日は
ノートワークの中でも
日常において絶大な効果を発揮する
「事実と解釈を分けるワーク」のさらなる詳細をお伝えしようそうしよう。
このあいだの合宿でもこのワークをやりましたけれども
「現実から、事実を抜き出すのが難しい」という意見がありました。
そもそもの仕組み。
なぜ、我々は現実と事実と解釈が混乱してしまうのか、をお話しします。
物事を問題として捉えている時
私たちの頭の中では、こんなことが起きています。
① 実際の体験ベースとして、何かが起きている、または過去に起きた。
② ①が記憶になる → セルフイメージなどもこれに大きく影響されている
③ 次に、①と同じこと、または近いことが起きる、または起きた。
④ ②の記憶がすでに「解釈」となって存在している
⑤ ②と③が連動し「やっぱりそうなんだ」と「現実」として認識される。
⑥ 混乱のスタート。⑤は現実ではない。何もかもが今起きたことと関係がなくなる。
⑦ 実際の「事実」が全く見えなくなる
⑧ ますます混乱し、今起きていることと②がいっしょくたになる。
例を出してみよう。
① 親に「勉強ができない。頭が悪い。何をやってもダメ」と怒られたことがある。
② 「私は頭が悪い」という記憶となる。
③ とあるテストが75点だった。
④ すでに「私は頭が悪い」という解釈が存在している。
⑤ 「テストが75点だった」と「私は頭が悪い」が連動。「やっぱり私は頭が悪いんだ」という現実として認識される。
⑥ 「親に怒られる」「どうしよう」「頭が悪いから私はダメなんだ」「だから愛されないんだ」←別の解釈も加わってくる
⑦ 事実は「テストが70点だった」だが、すでに自分の頭が悪いことと親への言い訳で頭がいっぱい。
⑧ 「満点じゃないと認めてもらえない」「満点じゃないと価値がない」と暴走。
※実際テストの平均点が62点だったとしてもダメなわけである。
ものすごい混乱状態だな(笑)。
覚えておいて欲しいのは
何かが起きているのは常に「今」
しかし解釈は常に「過去」であるということ。
「今」と「過去」がミックスされ続けることによって
私たちは混乱の極みに、いとも簡単に達してしまうのです。
これが、現実と事実と解釈が混乱してしまう理由です。
私たちは「過去の記憶」によって「今」を生きるから混乱するわけで
事実と解釈を認識するだけで「今を生きる」ことができるようになる。
この時、わたしたちがやることはふたつあります。
それは、パニックになって自責することでも
そのことに頭を悩ませることでもありません。
- 具体的にどうしたらいいか対応策を考えること
- 解釈を変化させた時感じる自分の感覚をしっかりと捉えておくこと
1は、現実を生き抜く力を養います。どんなことが起きても簡単には動じなくなる。
動揺しても、すぐ自分に戻ってこれるようになります。
2は、自分のコアのキーワードを知ることができます。それらを集めると、自分の世界観が見えてきます。
だから、自分の身に何かが起きた時の反応は、ものすごい宝の山。
どうしたら、事実が見えるようになるか
一番の近道は
ひたすら「事実は何?」と自分ら問い続けることです。
「なんで」「どうして」は使わないこと。
あとは
事実が明らかにならないうちに、勝手に自分を責めないことも大事。
(誰かが機嫌が悪いと、すぐ自分のせいだと思っちゃう人とかね・笑)
責められるって、ある種の承認欲求です。
責められることはある意味注目されることなので
無意識に注目されたいがために、責められることをしてしまうパターン、というものが存在する。
怒られることもそう。
よいことでないにせよ、責められること、怒られることで注目を浴びていたい。
人の仕組みって面白いなー。
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話は戻ります。
これらは、自分に全て矢印を向けていく作業。
だから、ある意味「人のせい」にできなくなる状態でもある。
それがしんどい、つらい、人のせいにしていたいという人生でもいい、と私は思う。
でもね。
自分を見つめたその先に、ものっすごい、ありえないほど面白い世界が、あるんだよね。
だから私は書き出しがやめられないわけである。
毎日が、気づき。
毎日が最高に面白い。
そんなわけで「掘る」系のノートワーク、もう少し続きます。
お楽しみに。
一人ひとりの人間が
究極の絶対的な自由を持っている。
(ジャン=ポール・サルトル)
今日も、あなたにとって素晴らしい1日となりますように。
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