こちらの続きをば。

 

 

まあ、使命があるかないかって

いろんなところで、いろんな主張がありまするな。

ちなみに、ナリくんを否定してるわけではござらん。念のため。

 

 

 

 

で、いきなりですが

使命は、あります。

 

 

 

 

 

 

ただし

 

 

使命って

探し求めたり

それを果たしたりすることを

生きる手段にするものでは、ないのだ

 

 

↑ここですよ、ここ。

 

 

 

 

そもそも

使命があるかないかを

人はなぜ、気にするのか

どうしてそんなに追い求めるか

ってところよ。

 

 

 

だって、使命って言葉、かっこよく聞こえるよね。

 

 

「私には生きるための使命があります」って

一度は言ってみたいよね。

 

 

 

 

 

あのね。

はっ倒しますよ?

 

久々にルマンド粉々にして撒きますよ?

 

image

およそ一年ぶりの登場です。

 

 

 

 

 

使命があるかどうか

それに気づくかどうかなんて

ぶっちゃけ、どうでもいいんですわ。

 

 

 

みんな、使命って言葉に

酔いしれてないかい?

 

 

 

 

 

使命があることに「する」ことで

 

 

特別感を抱いたり

優越感を持ったり

 

 

「使命がある」という言葉を

逃げや言い訳に使ってみたり

 

 

 

単に虚栄心を満たしたくて

使命って言葉を使いたいだけ。

 

 

 

 

 

 

 

それ

最高に

かっこ悪い。

 

 

今を生きてないどころか

どこに生きてるのか意味不明やで。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうことのために

使命という言葉を

都合よく使うなってことね。

 

 

 

 

 

そして

使命を追い求めたり

探したりするのは無駄です。

 

 

 

 

使命は、すでにあなたの中にあるから。

 

 

 

 

そして、言っとくで。

ここ試験に出ます。

 

使命って

そんな簡単なもんじゃないからね。

さらりと「◯◯が私にはついていて〜」とか

そんな、インスタント的なものではないのよ。

 

 

 

 

使命のために

全てを投げ打って

体がボロボロになることだってあるし

自己犠牲の塊みたいになることも、ある。

 

 

そのために、全てを捨て去る時があったり

人として辛い選択もしなきゃならなくなる。

 

 

ワクワクしたりすることは

ほぼ皆無と言ってもいい。

 

 

そして、使命を果たすために

とても静かに

ひっそりと

ただ淡々とやるべきことを、やっている。

 

 

 

 

私は、使命になんそ気づかんほうが

よっぽど人として幸せに過ごせると思うとる。

 

 

 

周りに

使命を生きている人たちが

たくさん、いるからね。

 

 

 

その覚悟を傍目から見ている身としては

簡単に

「これが私の使命」とか

簡単に口にしないほうがいいぞーと思う。

 

 

 

使命ってね

簡単に見つかるもんじゃないし

探すものでもないし

気づけばいい、ってものでもない。

 

 

 

そもそも

使命を探してることで

何かから目を背けてる可能性の方が高い。

 

 

 

ま、そっちを見てごらん。

きっと、気づくよ。

 

 

「人生を生きるのに、使命なんて必要ない」ってことがね。

 

 

 

 

気づいたら、やらなきゃならなくなる。

問答無用なもの。

それが使命だよ。

 

 

 

 

 

どーだ、怖かろう(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、ではここで

使命のために命を削って生きている

わたくしの心の友、真亜子さんにご登場いただきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいかお前ら

 

 

 

 

 

 

 

 

 舐めるなよ。」

 

このシリーズ、ちょっと続けます。面白いから(笑)。