東京に戻りました。

 

 

ポストを開くと、年賀状と共にこちらが届いていました。

「散歩の達人」のライターのSさんよりお手紙。

 

 

先月の出来事のあと、感謝の気持ちを伝えたくて

編集部宛にお手紙をお送りしていて

 

そのお返事が届く。

なんと嬉しい。

 

 

GLAUBELL COFFEEとの再会は

偶然通りかかったのだということを知り驚く。

 

 

 

粋なことをしなさるな、宇宙よ。

 

 

 

新しい店での再会を約束しました。

Sさん、必ずやります。お待ちください。

 

 

 

年賀状企画でも思いましたが

手書きってすごいエネルギー入ります。

 

この時代、メール一本で済むことを手書きにするって、バカの極みですし

相手にも「手紙もらったんだから手紙で返さなきゃ」と余計なプレッシャーを与えます。

 

 

あのね、私がね、好きで書いてるのね。(マギー司郎)

だから、私の手紙には返信はいりません。

(今回は編集部宛に送ったので、住所不定にはしませんでした)

 

 

 

また、何か手書きのものを皆さんにお届けする企画をやりたいと思います。

次はバレンタインだろうか…いや、節分があった!!!!!(仮装前提・笑)

(ドンちゃん手紙のコーディネートよろしくー♫)

 

 

 

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新年から、背筋をピシッと伸ばすような気持ちでこのブログを書いていました。

 

 

 

わたしの持っているものが一番生きるのはどんなときか。

あなたの持っているものを最大限に活かすためにはどうするのがいちばんいいのか。

 

 

世の中への憤りなんてたいそうなことを言うつもりはないけれど

まがい物がどんどん増えていくことに、ある程度の怒りを覚えていました。

 

 

 

先日も、大好きな人が大嫌いなもの・ひとと接触していて、なんかモヤモヤして腹が立ったり。

 

 

わたしの大切な人に、踏み込んでこないでほしい存在、というものがいくつかあります。

それは、私の前提でもあるし、勝手な願望でもある。

 

 

前は、内側から上がってくるものと、その奥にあるものを見ることもせず、ただただ怒りに任せてジャッジしまくっていました。

まじで死んでくれ、と思うくらい嫌いなものもあったしね。

 

 

 

でもね、それももう、やめることにした。

同じ業界にいたらどうしても接触は免れないわけで、そんなものにアンテナを張って見張っていたとしても、エネルギーの無駄遣い。

 

 

私はただただ、自分の道を邁進するしかないのだ、と。

そして、不自然のものはいずれ淘汰されるのだ、ということを知っていたら、私が何かする必要は一切ない。

 

 

 

 

 

 

よそ見している時間が、とことん、どこまでも勿体無い。

 

 

 

 

 

 

 

その覚悟が決まった背景には、こんなことがありました。

 

 

 

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私は子供の頃、いろんなものやひとを、いろんな形を通して見ていました。

それは、文字だったり全身を覆うモヤみたいなものだったり言葉だったり数字だったり、いろんな形で見えるのですが、ある時、どうしても耐えられなくなってそれを「なきもの」にしました。

 

 

 

幽霊とか、普通は見られないものもたくさん見ていたしね。

父の会社に来た変な営業マンに「どうしてそんな嘘ばっかりつくの?」とストレートにぶちかまして怒られたこともあったし、コントロールなんて知らないから受け止めきれずよく熱を出していたし、幼い子供にとっては生きづらくなる無駄なものにしか思えなかった。

 

 

 

 

で、この業界に来たら、ぶっちゃけますけれど、きな臭いものがたくさんある。

思い込みとか前提ではなく、ストレートにボン!!と「…え?」「はい?」と思うものがたくさんある。

 

 

そしてそれがわからずにわーわーと群がるアリのような存在。

ずっと不思議だった。なんでだろう、と。なんでこれがわからんのだろう、と。

(その存在を否定は、しません)

 

 

 

そして、純粋な(というと不順が全部ダメ、ということになってしまうけれどそうではない)ものにたかったり取り憑いていったりする、気持ち悪い存在が、どんどん増えていった。うじゃうじゃしてきた。わさわさしてきた。

 

 

 

それが飽和状態になってきた時、どうしたってその「昔捨て去った感覚」を取り戻さざるを得なくなった。

 

 

 

 

 

 

私を護るため、ではない。

 

私の好きなものや、ひとや、存在を活かすため、なのだ。

 

 

 

 

 

 

ある一定の、人間として生きる力を備えている存在に関しては護られるべき存在はいない、と私は考える。

 

 

だから、私の周りに「この人を護ろう」と思う人はいない。

 

 

 

けれど、私の周りにいる大好きな人たち。

私の周りにある大好きなものたち。

 

 

 

それを最大限に活かすには、どうしたらいいか。

どうしたらもっとこの人たちが活かされるのか。

 

 

 

 

 

 

まがい物が賞賛されていっている場所。

それは一時的で、いずれは消滅するものだ、ということは世の流れとしてわかっている。

 

けれど、それを待ちきれず、消えていってしまう本質を持ったものたち。

 

 

 

これらがなぜ、ダメになってしまうのか。

活かされきれず潰れていくのか。

 

 

 

 

 

 

その答えは、悔しいことに、たったひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が弱いから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある程度、挑戦し続けて来た。

ある程度、バンジーを飛び続けて来た。

ある程度、努力もした。ある程度、行動もした。ある程度、発信もした。ある程度、成果も出した。ある程度の知名度を手に入れ、ある程度の人気を手に入れ、ある程度の賞賛も受け、ある程度のバッシングも受け、ある程度の喜びも悲しみも嬉しさも悔しさも楽しさも享受して来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、まだまだ足りない。

足りないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、大切なものを活かせない。

私が、私の弱さに目を背けて闇雲に走り続けても、もう無理なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の強さは、私が思うほど鍛えられていなかった。

そこに気づいたらもう、またしても絶望の闇。闇どころの話じゃない。

 

 

でも、諦めたらそこで道は途切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐ろしいほど恐怖に満ちた真っ暗闇にぽつんと存在する、あの一番奥。心の隅っこに鎮座し続ける扉を開けて、次の世界へいくしかない。

行動せねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前に進むしかない。

弱さを受け入れた上で、私はまた、絶望を味わいながら、前に進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この人生の中に無限に存在する扉。

残りの人生、果たして私はいくつ開けられるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

明日は山羊座新月です。

 

 

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