台湾の朝です。




この旅に同行している友達は
もう長い付き合いになりますが
PERSONZでは、コンビで有名。



なぜならライブで一番暴れているからだよ…!!!



昨日も、ツアーに参加した全然知らない方から挨拶され、2人してはてなマークだったのですが、聞いたらいつもライブで私たちの後ろにいるんだそうな(驚)。
 


「曲を完全に覚えていないとわからないジャンプとか、乗るタイミングとか、とにかくお二人がいつも楽しそうで、これに絶対参加してると思ったんです。お会いできるのを楽しみにしてました」
 


えー、ありがとうございます。お騒がせしてすみません(笑)。



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さて。

今日のテーマは「不機嫌」について、です。

 

 

不機嫌になること。

よくありますね。

 

 

私の場合、人や事や物に対して

私ならこうするな、ではなく

 

 

もっとこうすればいいのに

もっとこうしてほしい

が出てきたら要注意。

 

 

更には、その状態にイライラしたりムカついたり腹が立ったりし始めたら

 

間違いなく、不機嫌モードまっしぐら、ですよ(笑)。

 

 

とはいえ、不機嫌が悪いわけでもないし

感情やご機嫌は、別にいつも一定にしておけ、ということではない。

 

 

ただ、不機嫌は不機嫌を呼びますね。

不協和音のはじまりです。

 

 

 

この世の中で

すべての悩みは、人間関係から発生するとされています。

 

人間関係は

自分の機嫌と相手の機嫌、に関わってくるものだから。

 

 

だって

この世のすべての人のご機嫌がよかったら

人間関係にトラブルなんぞ起きませんよね。

 

 

だから、不機嫌な状態のとき、

人に何が起きているのかを見たいなと思ったのです。

 

 

 

不機嫌になった時

 

どういうことが起きていて

どうしていくか

どういうことが必要で

どう見ていくか

どういうことで、それを転換して

ご機嫌の良い「わたし」でいられるか

 

 

 

そんな視点で、お話しします。

 


 

 

 

感情はあなた自身ではないよ、とよく話しますね。

 

 

その状態に対して

自分でできることは「自分のご機嫌をとる」ことですしね。

ま、それのみしかない、と言い切ります。

 

 

 

 

 

 

 

でね、わかったんです。

わかってしまった。

 

 

 

 

 

結論から話します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が不機嫌になる時って、100%受け身の時です。

 

 

 

 

 

 

不機嫌な時は

じっと、待っています。

相手が思い通りに動いてくれることを待っています。

 

 

根底には「察してほしいセレナーデ」が流れています。

 

 

 

 

あなたにー

察してほしいー

私機嫌が悪いのー

みてわかるでしょー

こうしてーほしいー

言わなくてもーわかってよー

 

 

そして相手が動かないことに余計にイライラする上に

相手が思惑と違うことをやると、途端にオペラになります。

 

 

 

 

そうじゃなーーーーーーいのーーーーーーーー

 

それはーーーーーーーちがーーーーうのーーーー

 

 

 

まあ、届きませんよ(笑)。

相手も何やったら機嫌よくなるかなんてわかりませんしね。

 

 

 

さて。

この不機嫌は、自分の中に持つ「観念」や「常識」ともリンクしています。

 

 

「普通は、こうである」

「普通は、こうであるべきだ」

 

 

その基準が満たされていなかったり

想像と違うと、不機嫌になるんです。

 

 

 

 

待っているのに、来ない。

待っているのに、やってくれない。

待っているのに、察してくれない。

待っているのに、動いてくれない。

待っているのに、行ってくれない。

 

 

 

わたし待ってるのに。ずっと待ってるのに。なんでわかってくれないの!?

 

 

 

こうなっているときは、受動的。

待ちの姿勢です。

 

 

 

 

それはね

 

 

やることを、やっていないとき

でもあるし

大事なことをやっていないとき

でもある。

 

 

 

自分が動くのは嫌なんですね。

なぜなら、自分から動いたら傷つくかもしれないから。

向こうからそれがくるのを、ただひたすら待っているんです。

 

 

言わなくてもわかってくれることを望んでいるし

 

状況を察して、私のために動いてくれるのを待っている。

 

 

 

おおーう、なんと!

 

 

それは、誰かが自分のために動くのを待っているのではなくて

 

 

 

じゃじゃん。

 

 

 

「自分が自分を待っている」

「あなたがあなたを待っている」

 

 

 

 

相手関係ないんです。

 

 

 

 

不機嫌になることは

私だけではなく、誰にでもあることです。

 

 

 

 

私は、大切な人には機嫌よくいてほしいし

大切な人の前では、機嫌よくいたい。

 

 

 

昔は

そのために

自分が我慢したり

言いたいことを飲み込んだり

無理したりしていました。

 

 

「私のせいかもしれない」と思いましたし

「私さえ、我慢すればいい」と思っていました。

 

 

そのやり方は、一時的に表面的な対処となります。

一時的に、です。

 

焼け石に水と同じ。

 

相手の顔色を伺って、なんとか先回りしようとします。

 

出た、先回りだぜ!!(笑)

 

 

 

しかしですね。

相手が機嫌が悪そうに見えて

実際悪かったとしてもしなくても

 

 

私がそちらに合わせて、なんとかしようとすると

私の中がずれて行くので

 

 

結果、私も不機嫌になっていく。

疲れるし、しんどいし、もう嫌だな。

そうなっていくんですね。

 

 

なのである時から、それを一切やめました。

 

 

機嫌の良し悪し含めて

自分と相手の現象をつなぎ合わせることを手放しました。

 

 

そして、その状態を俯瞰してみました。

 

この話、もうちょっと続きます。

 

 

 

不機嫌なときの

さらにさらに深い話です。





昨日は龍大寺、中正紀念堂を周り、夜はPERSONZメンバーと成功祈願のお参りを共にしてから夜市へ。
 
 



なんと
文鳥占いがあったのーーー!!!

しかし時間がなくて見てもらえなかった!
残念!(笑)