かつての私は、いつもこんなふうに思っていた。
「私の中にどんなズレがあって、現実がおかしくなるんだろう」
「私の中にどんな問題があって現実が変わらないんだろう」
「私」の「現実」がうまくいっていないのは
「私」の中にある「何か」がおかしいから。
だから、「私」の中にある
「何か」が変われば、現実も変わるはず。
それは、とんだ勘違いだった。
「私」の中には何もなくて
「私」が世界をそう、見ていただけだった。
ズレも、間違いも、問題も、トラウマも、何にも関係なかった。
現実がおかしいことも、変わらないことも何もなかった。
だから、世界の見方をたったいま、ここから変えたらいいだけ。
全部あるとしたら、どう見える?
全部いいとしたら、どれを選ぶ?
ただ、それだけの話なんだよね。
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みんな、怖いだの不安だのいうけれど
それ、本当にそうなのか、疑ってみたことはある?
私は、怖いだの不安だのもう無理だのやめたいだの、平気で口に出して騒ぐけど、本心はまるでそう思ってない。
言葉の意味は関係なくて、ただただ、何か言っていたいだけってことがほとんど。
だから平気で口に出せるんだよね。口に出すのはあくまでただ、出しているだけ。
だから周りは完全スルーする。ちっ。
恐れや不安は、やらなくていい理由にはならない。
怖いからって安全安心に逃げ込んでいたら
どこまでも、怖さと不安に追いかけられ続ける人生になっちゃうんだよ。
自分の本質そのものを知り、自分に対する真の「問い」を持ち続けることで
どんな感情が出てきたとしても一切、恐れることなんてなくなる。
怖くても不安でも、大丈夫な自分になれる。
▶︎自分で立つことの心地よさを覚えたら、安心して依存できるんだよ
私はよく、怖そうと言われるし、実際人によっては怖いみたいなんだけど(さっちゃんに捧ぐ・笑)それって究極の優しさだと、自分では思ってる。
相手に対する優しさじゃない。
私への優しさ。愛情。どこまでも、愛。
自立とは、自分で立つこと。
それは、自分で選び取る力であり
それによって自分に起こる全てを引き受ける覚悟。
それこそが自分への無条件の愛。
愛そのもの。
だから、妥協なんてしない。
だからいつだって疑う。
昨日の私と今日の私、感じることは違う。
昨日もそうだったから、なんてわたしをごまかしたり、しない。
その姿は時折、厳しくて辛そうに「見える」ことがある。
「自分には無理だ」と諦めそうになる時もある。
でもね。そんな時はどうか思い出して欲しい。
人生を自分の手で創る側に立つのか
人生を他の何ものかの手に委ねて、創られ続けた世界に住むのか。
誰かのせいにし続ける人生は、楽だけれど不自由だ。
全てを自分の責任のもと、創り続ける人生は、大変そうに見えるけれど実はどこまでも無限の世界。
選ぶのは、いつでもあなた自身だよ。
本番前からすでにフルスロットル全開でみんな悶絶中。
楽しい(笑)
今宵も良き夜を♫