12日朝。前日の笑い寝落ちのせいで、同室のTさんに起こされたのが朝食7分前!慌てて支度して朝食会場へ。昨夜の語り合いのおかげで、みんなすっかりファミリーな感じ。昨夜の悪行を謝罪しつつもまた話題をぶり返す面々。ほんと面白い。Qさんも喉がガラガラだと言っていました。


この日も雨でしたが、しっとりとしていて良い感じ。朝風呂に行くつもりでしたが中止してゆっくり支度。10時にペンションを出発し、この旅最後の地、知覧へと向かいます。道中はひたすら思い出話。とにかく濃くて楽しい旅でした。知覧についてお昼。茶そばと釜飯をいただきました。この食堂については後ほど。
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ご存知の方も多いと思いますが、知覧は太平洋戦争末期に特攻部隊の基地が置かれていた場所です。この知覧特攻平和会館が想像を絶するような悲しみの場所。全員の遺影と共に、数多くの遺書が展示されていて、言葉を失いました。20歳そこそこの若者たちが「お国のため」と命を懸け2度と帰らない旅へ出る。その思いが込められた数々の手紙。特に婚約者へ宛てた手紙がすごすぎて胸に来ました。
 
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中でも印象深かったのは、鳥濱トメさんでした。トメさんはこの地で「富屋食堂」を営み「特攻の母」と呼ばれていた方です。先ほどランチをした場所がまさにそこ。トメさんは数多くの特攻隊員たちの面倒を見て、その姿を見送ってきました。外には出せない、検閲に引っかかる内容の手紙をトメさんに託した隊員も多く存在し、彼らの最後の勇姿をできるだけ書き添えて親族へ出していたのだそうです。

71年前にはこのような事が「普通」に行われていた。お国のため、そして家族のため、このように生きる事が平和に繋がると信じて若い命を捧げた人々がいた。普段、この世の中で生きていることに何の疑問も感じず、むしろ当たり前だと思う日々の中、旅の最後にガツンとアタマを殴られた感がありました。それぞれ自由行動にしていたため、気づくとみんな涙を流していました。

「この先、私は何をしていくのか。どう生きていくのか」

『人生に迷った時は知覧へ行け』旅の最初に受け取ったメッセージでもありました。各々、胸に何かを感じ、何かを抱え知覧を後にしました。最後の最後にここへ来てよかった。

ここで旅は遂に終わり、鹿児島に残る組と空港へ向かう組へと別れ、それぞれが帰路に着きます。空港までQさんが送ってくださり、いよいよ旅は終わりとなります。天然なーさんと2人、フライトまで足湯につかりながら旅を振り返りました。本当に濃かった!受け取ったエネルギーがすごすぎましたが、放出したエネルギーもまたすごく、ここで新たな道を得たのは間違いありません。しかし旅はきっかけに過ぎず、ここからどうしていくかは自分次第。本当に濃くて最高の旅でした!この仲間たち、家族のような仲の良さ。嬉しいですね。人生最高の旅でした!

東京に帰ったらいよいよコラボトークショー、その前にも楽しみがたくさん。新しいイベントがどんどん入ってきています。さあここから私はどう生きていくか。また随時ご報告します。

いつもありがとうございます。
 
いよいよ来週!!魚座B型コンビマジでヤバい!!

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