もう

ボタンさえ押せば

 

投稿 出来る記事が

少し前から

下書きに保存されたままになっている

 

 

3年前の記事上矢印

 

ここでも書いてるけど

悩んで考えて

結局書かなかった

これまでの父の事

 

 

 

下書き保存のままなのは

その父の事が書いてある記事

 

 

 

なんで投稿ボタンが押せないのか?

 

躊躇している理由が

自分でもよくわからない

 

 

 

身内の恥をさらすのが恥ずかしい?

 

ううん

それはない

 

 

 

それを公表して

一体私はどうしたいんだろう?

 

ここもわからない

 

 

 

同じような状況で苦しんでる人にとって

何か役に立ったりするかな?

 

それなら投稿する意味がある気がする

 

って、それを理由に

背中を押して貰いたいのか?

 

 

 

 

あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと

 

 

父とは

表面上は3年前と変わらなかった

 

 

月に数回

弟と一緒に父の家に行ったり

父の用でそれぞれが行ったり

たまにお出掛けしたり

 

 

 

今更

過去の事を言っても仕方ない

 

このまま父と弟と

何とか仲良くやっていければいいと

思ってた

 

そう出来る事を願ってた

 

 

 

 

でもいつからか

私はだんだんと

又疲弊して来ていて

父とあまり喋らなくなって行ってたんだけど

 

 

今年のお正月

 

爆発したムカムカ

 

 

 

この人は

 

やっぱり

 

結局

 

何もわかっていない

 

 

ふざけんな!!

 

 

 

 

 

そこから

子供の頃からのさまざまな場面が

繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し

これでもかってぐらい浮かんで

 

 

この前やっと

言語化して浮かんだのが

 

 

苦しい

 

 

って言葉だった

 

 

あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと

 

 

 

インナーチャイルド

 

心の事を学ぶようになった

まだ初めの頃に知った言葉

 

 

~一部抜粋~

「インナーチャイルド(Innner Child)」とは「内なる子ども」という意味であり、具体的には「傷ついたまま自分の心に取り残さている子どもの頃の自分のイメージ」を意味します。

 

心理学では、「幼少期の体験は『人格形成』に多大な影響を与える」と考えられており、とくに幼少期に「心の傷(トラウマ)」を負った場合、大人になって「精神疾患、否定的自己概念、偏った人間関係、仕事・恋愛・結婚・子育てがうまくいかない」などの「生きづらさ」を感じる場合があると考えられています。

 

 

ここ

私は母の事の方が大きかった

って気づくんだけど・・・

 

 

十分にクリア出来たとは

思っていなかったけど・・・

 

 

きちんとクリアしなければ

とも思ってなかったけど・・・

 

 

どうやら自分の想像以上に

根深いものがあるんじゃないかと思った

 

 

 

ずっと心の事を学んでたし

そのからくりみたいなのも知ったし

 

 

何となく

 

もう私は大丈夫

 

と思っていたんだけど

心の奥底に

置き去りにして来たものがあるって事か・・・

 

 

 

あとは

父の問題って

その後も

ずーっとずーっと続いたから

 

 

チャイルドの頃だけの話しじゃないし・・・

 

 

 

あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと

 

 

私にしては珍しく

ここ連日

ブログ投稿してるのは

 

父の事で

昼夜問わず(ある意味睡眠中も)

支配されてる思考や感情を

どこかに逃がしたい思いからの行動タラー

 

 

 

 

私はどうなれば

この状態から解放されるんだろう?

 

 

まだ着地点を見つけられないのが

苦しいショボーン

 

 

しゅう

 

 

anprima

本間朋子