小学5年か6年生だった頃
当時住んでいた岡山県主催だったと思うけど
作文コンクールみたいなのがあって
生徒みんながその為に作文を書かされた
テーマは
「将来の夢」
その時の私の夢は
歌手
小さい時って
私は何が得意
とか
才能みたいなものとか
全く自覚してないよね?
ただ
好きか嫌いか
みたいな感じじゃないかな?
例えば私の保育園時代の
お遊戯会
舞台上にみんなが並んで
歌を唄ったんだけど
アーイアイ
アーイアイ
アーイアイ
アーイアイ
おさ~るさ~んだよ~
って言う曲
(タイトルは何でしょ?)
その最初の
アーイアイ
のところは
毎回私だけが一歩前に出て
一人で歌い
次の
アーイアイ
からみんなで歌う
って言うのをやった
小学1年生の時
教室で先生に言われ
前に立つんじゃなくて席を立った状態で
なぜだか
ひなまつり
を3番までひとりで歌った事もある
(何かの罰とかじゃないよ)笑
その当時の私は何を思っていたのか?
覚えてないんだけど・・・
まだ幼過ぎて
私って歌がうまいとか凄いとか
思ってた訳ではなかったと思うし
何でだろう?って
疑問さえも持たず
言われるまま歌ってた気がする
ずーっとあと
大人になってから
アーイアイ
は私が多分音を外さなかったからなんだろうな~
と思ったし
ひなまつり
に関しては
本当にあった事なのか?
もしかしてそんな夢を見た?
ぐらいな遠い遠い記憶
少し前
子供の頃の夢は歌手だった
って話を弟としてた時
「なんで歌手になりたかったん?」
と聞かれ
あれ?
そう言えば私は何で
歌手になりたいと思ったんだろう?
と考えた
私はまあまあ歌が上手いんだと
どこかの年齢からか
思うようになったのかな?
単純に
歌が好きだったからかも知れないし
少し考えて・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
思い出した
スター誕生
ってテレビ番組のせいだ
森昌子や山口百恵(敬称略)
etc,・・・
もっと一杯覚えてるけど
一般の子達が歌手になって行くのを見て
私もそうなりたいって思ったんだった
小学6年生の時に赴任して来た校長先生が少し変わっていて
お昼、生徒が順番に4~5人ずつ
校長室で校長先生と一緒に給食を食べることになった
1学年2クラスの小さい学校だったので
生徒とお喋りしながらの給食タイムも可能だったんだろうな
そこでの会話で
校長先生から
私は将来の夢を聞かれ
「歌手」
と答えた
で、唄ってみてと言われた私は
多分そんなに躊躇する事なく唄ったと思う
なぜその選曲だったのか?
あとあと思ったけど
当時流行ってた
岩崎宏美(敬称略)の
ロマンス
あなたお~願いよ~
席を立~たな~いで~
息がか~かる~ほど~
そばにい~て欲~しい~
あなたが~好きなんです~
校長室でなんて歌詞だ
小学校を卒業してから
その校長先生に書いた手紙の返事に
校長室で「ロマンス」を唄った私の事はよく覚えている
校長室で歌った事があるのは
後にも先にも私だけ
みたいな事が書かれていた
話しがずいぶん遠回りしたようだけど
ここで最初の
作文コンクールの話につながるんですよ
そんな私が
校長室で歌手になりたいと
歌まで唄うような私が
その作文の将来の夢に
歌手
とは書いてないのだ
なぜだか
歌手って書く事を恥ずかしいと思ったのよねー
そこだけ
なぞの羞恥心
ホント
何でだろ?
で、無理やり書いた夢が
「デザイナー」
適当にでっち上げた夢だから
内容も適当にでっち上げたはず
なので何のエネルギーもない
ただの提出物となった作文
それから数十年
私
気が付くと
デザイナー
になってました
よくボーっとしてることがあるけど
頭の中で
自然に
当たり前に
いろ~~~~~~~んな物のデザインを考えてることが多くて
なので
私はデザインしたり作ったりする事が
本当に好きなんだな~
と客観的に思う
そんなある日
昔々に書いた作文の事をふと思い出し
嘘で書いた夢だったのに・・・
と自分で可笑しかったってお話です
あ~
歌手の夢もね
若い頃
バンドでボーカルとして唄ってたから
(ライブハウスなんかにも出てたし)
ある意味では叶ってる
で、今の夢は
お気楽デザイナー
・・・・・・・
・・・・・・・
と、書いてみたら
それもある意味ではもう叶ってるかも・・・
でもでも違うんですよー
私の思うお気楽デザイナーの意味については
連載中の
アンプリマ物語で
今後書く事と思います
それよりもっとホントの夢は・・・?
この前ふと浮かんだのが~
何の苦労もなく
遊んで暮らしたい
(この遊ぶにはモノづくりも含む)
これって万人の夢かもね
でも自分の本当の本当の本音って
自分でわかってない事の方が多いらしいので
私の本当の本当の望みって
もっと全然別のところにあるのかも知れないな~