時々、夜中にふわっと自然に涙が出てきます。






気持ちが落ちてる訳でもなく、、、、






やっぱり、疲れているのでしょうね。





きっと。






また明日から、頑張らないといけませんね。






頑張ります。

色々あったその後、コロナが流行し、日常生活が劇的に変化してしまいました。







長女の、小学校卒業3ヶ月前から、自粛の為休業






その間、殆ど学校へ行くことなく、卒業式だけ時短で何とかさせてもらいました。







大泣きの長女。みんなと、学校生活を送りたかったそうです。







中学校入学式も、時短で何とかしていただき、ホッとしたのを覚えています。







今では、当たり前のようにマスク、消毒ですが、最初の頃はすぐに売り切れ!







買い漁りに行きました。







長女は、職場へ連れて行き、お手伝いをしてもらったり。






本当に、なかなか味わえない、激動の暮らしになりましたね。







早く、コロナ終息を願うのみです。

とりあえず、退院しても体力が全くなくなっている私。






少し動くだけで、頭痛、目眩、動悸、吐き気、倦怠感。食欲もなく、謎の足の裏が痛く、尾骶骨も痛く長時間座れないという状態。よく動けて、30分くらいの体力しかありませんでした。動いた後は、気を失うように寝込んでいました。






診察込みで、2時間くらいかかる、通院がとても辛かったなぁ。








行き帰りで、歩くのが精一杯。








そんな状態ですが、次女はNICU に入院中でしたので、会いに行きたく、行ける時は何とか頑張って通いました。







毎日通いたくても、会いに行った後、二日間は熱を出して寝込んでいました。







毎日会いに行きたくても、自分の体が思うように動かない、とても情けなかったのを覚えています。







何とか、両親、姉に助けてもらいながら、次女に毎日会いに行けるようにと、自分の体力回復を頑張る私。






それでも悪戯に月日は過ぎていき、長女の運動会はせめて見に行きたい!と思っていても、身体が思うように回復しておらず、周りから無理だと止められ、泣く泣く諦めました。







幸い、ベランダから少しだけ見れたのが救いでした。







旦那様に、せめてビデオだけでもと頼んだが、全く撮れてませんでした。







旦那様曰く、長女がどこにいるか分からん!と最終的には、諦めた旦那様。








競技が終わるごとに、帰ってきては報告してくれるという。







本当に、ガッカリでした。







旦那様は、昔から我が子が何処にいるのかわからない人なんです。







本当に、見に行きたかったなぁ。







次女も、無事私が退院して1ヶ月後、退院出来ました。






とても嬉しかったです。







3日で生まれた次女は、その日から我が家のアイドル。






長女は、ずーっとニコニコラブ







次女争奪戦が繰り広げられました笑い泣き







なんだかんだで、やっと一日動けるようになるまでに、2ヶ月くらいかかりました。







その間、みんなに助けてもらい、何とか生活出来ました。本当に、感謝しかありませんでした。







2ヶ月後、仕事復帰して、職場の人達、常連さんに笑われながら、仕事をしていました。







長女の通う学校でも、次女の目撃情報が出て、お母さん方が、驚きびっくり事情を話すと、笑われました笑い泣き







当分、話しの種になるでしょうグラサン








そして、月日が流れ・・・








次女が2歳になる前に、保育園へ行く事になりました。







ここからが、地獄のような日々がスタートします。







それは、集団生活あるあるで、病気のオンパレード。






最初の2年間、本当に病気ばかりでした。







1か月に1回、何かの病気になる次女。







家族にうつる。







これの、繰り返しでした。








この中で、病気と看病疲れで、私が2回ほど気絶をしてしまい、一度は救急車で運ばれてしまいました。







この時、倒れた拍子に頭を打ってたみたいです。

身体も打ったみたいですが、、








本当に、地面が回り始めたとか、そういうのは全くなく、気がつけば床に倒れていて、旦那様とお母さんが駆けつけて心配していました。







私は、それをぼーっと見ていて、何で寝てたの?という感じでした。







とりあえず、打身だけですみました。








2回目は、最初のことがあったので、何となく身体が覚えていて、なりかけた瞬間、あ!ヤベェ!と思い、壁を支えなくちゃと思った瞬間、気がついたら、壁にもたれていました。ちょうど、座っていたので良かったです。








あれ?私何してるんだ?と思い、立とうと思ったら、目が回る。これはおかしいなと思い、ハイハイで移動して、すぐに広めな場所に移動して休みました。







旦那様に、こんな所でどうしたの?と聞かれ、事情を説明したら、頭を打ったか聞かれ、多分ない?と答えたり。







気絶した2回とも、血圧も高く、高熱も出ていたので、反省してちゃんとハイハイして移動していましたショボーン






この時、子供会の役員だったので、欠席ばかりで迷惑かけてしまいました。






本当に、今思い返しても、この時は辛かったですね。