とりあえず、退院しても体力が全くなくなっている私。
少し動くだけで、頭痛、目眩、動悸、吐き気、倦怠感。食欲もなく、謎の足の裏が痛く、尾骶骨も痛く長時間座れないという状態。よく動けて、30分くらいの体力しかありませんでした。動いた後は、気を失うように寝込んでいました。
診察込みで、2時間くらいかかる、通院がとても辛かったなぁ。
行き帰りで、歩くのが精一杯。
そんな状態ですが、次女はNICU に入院中でしたので、会いに行きたく、行ける時は何とか頑張って通いました。
毎日通いたくても、会いに行った後、二日間は熱を出して寝込んでいました。
毎日会いに行きたくても、自分の体が思うように動かない、とても情けなかったのを覚えています。
何とか、両親、姉に助けてもらいながら、次女に毎日会いに行けるようにと、自分の体力回復を頑張る私。
それでも悪戯に月日は過ぎていき、長女の運動会はせめて見に行きたい!と思っていても、身体が思うように回復しておらず、周りから無理だと止められ、泣く泣く諦めました。
幸い、ベランダから少しだけ見れたのが救いでした。
旦那様に、せめてビデオだけでもと頼んだが、全く撮れてませんでした。
旦那様曰く、長女がどこにいるか分からん!と最終的には、諦めた旦那様。
競技が終わるごとに、帰ってきては報告してくれるという。
本当に、ガッカリでした。
旦那様は、昔から我が子が何処にいるのかわからない人なんです。
本当に、見に行きたかったなぁ。
次女も、無事私が退院して1ヶ月後、退院出来ました。
とても嬉しかったです。
3日で生まれた次女は、その日から我が家のアイドル。
長女は、ずーっとニコニコ
次女争奪戦が繰り広げられました
なんだかんだで、やっと一日動けるようになるまでに、2ヶ月くらいかかりました。
その間、みんなに助けてもらい、何とか生活出来ました。本当に、感謝しかありませんでした。
2ヶ月後、仕事復帰して、職場の人達、常連さんに笑われながら、仕事をしていました。
長女の通う学校でも、次女の目撃情報が出て、お母さん方が、驚き事情を話すと、笑われました
当分、話しの種になるでしょう
そして、月日が流れ・・・
次女が2歳になる前に、保育園へ行く事になりました。
ここからが、地獄のような日々がスタートします。
それは、集団生活あるあるで、病気のオンパレード。
最初の2年間、本当に病気ばかりでした。
1か月に1回、何かの病気になる次女。
家族にうつる。
これの、繰り返しでした。
この中で、病気と看病疲れで、私が2回ほど気絶をしてしまい、一度は救急車で運ばれてしまいました。
この時、倒れた拍子に頭を打ってたみたいです。
身体も打ったみたいですが、、
本当に、地面が回り始めたとか、そういうのは全くなく、気がつけば床に倒れていて、旦那様とお母さんが駆けつけて心配していました。
私は、それをぼーっと見ていて、何で寝てたの?という感じでした。
とりあえず、打身だけですみました。
2回目は、最初のことがあったので、何となく身体が覚えていて、なりかけた瞬間、あ!ヤベェ!と思い、壁を支えなくちゃと思った瞬間、気がついたら、壁にもたれていました。ちょうど、座っていたので良かったです。
あれ?私何してるんだ?と思い、立とうと思ったら、目が回る。これはおかしいなと思い、ハイハイで移動して、すぐに広めな場所に移動して休みました。
旦那様に、こんな所でどうしたの?と聞かれ、事情を説明したら、頭を打ったか聞かれ、多分ない?と答えたり。
気絶した2回とも、血圧も高く、高熱も出ていたので、反省してちゃんとハイハイして移動していました
この時、子供会の役員だったので、欠席ばかりで迷惑かけてしまいました。
本当に、今思い返しても、この時は辛かったですね。