3月11日 | 人生をピンセットでつまむ

3月11日

あれから一年が経った。

私は、あの日現場が海辺だったが、

危険を感じ安全な場所へ非難し、何とか生き延びた。

しかし、あの時海沿いに居た家族の安否は分からなかった。

私が居た場所からは車で十数分程の距離だったが、

津波で道は寸断され、家へ向かえる状況では無くなっていた。

家は海から近い。

私の胃が握られている様に痛んだ。

何も出来ない状況に焦りと苛立ちだけがただただ募った。


そうして、夜が訪れる。


遠くで炎が闇を照らしていた。

オレンジや白の炎が揺らめき、

どこからか断続的に爆発音が聞こえる。

最悪にも燃えているのは私の家の方角だった。

私はその夜何とはなしに、

炎が上がるのとは別の方の空を眺めた。

その時、この状況にも関わらず思った。

『綺麗な星空だな・・・』

今思えば、あの日停電し光は燃える町の炎しか無かった。

だからいつも以上に見えたのかもしれない。


私は、暖をとる為車へと入り家の方角を眺めた。

燃え盛る炎。

そして、思った。

『おれは一人になるかも知れない・・・』と。

そうして私は瞼を閉じた。


朝が来て家へと向かった。

しかし、瓦礫が行く道を阻み思うように進めなかった。

私は丘に登り家が見える位置までは何とか来られたのだが、

その場所からそれ以上は近づく事が出来なかった。

私はただただ瓦礫に埋もれた家を眺めることしか出来なかった。


家族に会えたのはその2日後の事である。


自衛隊がこの町に入り、

迅速に行動してくれたおかげで、

私は家へとたどり着くことが出来た。

本当に感謝している。


家族は全員無事だった。

幸い家が流されなかった為、

その中に家族は居た。

私は、ここが安全ではないと判断し、

家族を連れて世話になっている会社の社長の家へと移動する事を告げ、

事後報告ではあるが、社長に何とか家の家族をここに避難させてくれないだろうかとお願いをした。

社長またその家族は「構わない連れて来い」そう言って迎えてくれた。

この事、そして感謝の気持ちを私と家族は一生忘れる事はないだろう。

赤の他人が家に居座る事を許すという事は容易ではないはずだ。

それをすんなりと受け入れてくれた事に感謝している。


こうして、取り敢えずの安全を確保した私は、

翌日、社長と役所の給水車に乗る事を決断する。


私達は水道屋だ。


出来ることはそれしかない。

そう思って私達は瓦礫散らばる町へと走り出した。

絶望しながらも希望を信じて走り出したのである。



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