はら はなし すべ | 人生をピンセットでつまむ

はら はなし すべ

酒を飲んでアパートへ帰ると、

椅子に人が座っていた。

私は一人暮らしである。

と思いながらも、部屋へと入り、

その椅子に掛けた人物を覗き込んでみた。

無表情で座るその人物は、

口角から下にかけて線が入っている。

普通の人とは違う作りの顔だな。

そう私は思いながら、テーブルを挟んだ向かい側に座り、

帰りがけに買ってきたビールのプルトップを開け、一口飲んだ。

そして、これは失敬失敬と思い、

その向かい側の人物に買ってきたビールを勧める。

「あ り が と う ご ざ い ま す」

そう下唇だけを上下させ、喋った。

まったく不気味な奴だ。

心の中で思ったが、勿論口にはしなかった。

二人の会話が、それほど盛り上がりそうもなかったので、

私はテーブルからリモコンを取り上げテレビを点けた。

暗い画面から、無駄に発色のいい画面が占拠する。

そこには、出来の悪いマドンナみたいな女が、

歌い踊っている。

私はその瞬間、強い吐き気をもよおす。

トイレへと駆け込んだが、えずくばかりで、

何も出て来ようとはしなかった。

酒の飲みすぎか?或いはそいつのせいか?

私は分からないまま、テーブルへと戻り、

口角から線の人物に問いかけた。

「俺は、酒かそれとも歌姫にやられたのか?」

その問いに彼(口角線)は答える。


「さ け 


う た ひ め 


い や


き み じ し ん に だ」


そう下唇だけを上下させ答えた。

私の唇も微かに動いている。


私たちはテーブルを向き合って座っている。


やがて降り出した雨が、

地面を叩く音。

五月最後の雨に、

二人はそっと包まれた。