賽の川原
安部公房の『カンガルー・ノート』を読んだ。
以前、この著者の『箱男』を読み、
かなりの衝撃を受けた。
正直な感想は。
なっ・・・なんだこれは・・・
だった。
そんな再度の衝撃を期待しつつ、
『カンガルー・ノート』を貪り読んだ。
あらすじ
ありふれた日々を過ごしていたサラリーマン。
そんなある日、目を覚ますと男の脛に突如かいわれ大根が生える。
男はあまり真剣には受け取らず、
ズボンを穿けば隠れるなどと思う。
が、翌日耐え難い脛の痒みで目を覚ます。
そうしてやっと病院へと行くこととなる。
しかし、医師からは手に負えそうになく、
地獄谷の様な硫黄泉の強い温泉で、
療養するくらいしか思いつかないと言われる。
寝転がったベッドが何故か自走し外へと向かう。
男はベッドに乗ったまま町を走る。
やがて、トンネルの中のレールを走る。
そして、地獄谷の様な場所へとたどり着く。
男はかいわれ大根をむしり口へと放り込んだ。
行く先はいったいどこなのだ?
と言ったようなもうまるで予測不能なストーリー展開をする。
この作品は安部公房の最後の長編小説(安部の死後にフロッピーディスクから未完の長編『飛ぶ男』が発見され、そちらが最後の長編とされる向きもある。)
であり病床に伏していた為か、随所に死の臭いや雰囲気が漂い、
これは安部公房自身の死への不安を描いたものだろうと思った。
それ程に死を受け入れようとする姿勢と、
そこから逃げたいと思っているであろう描写が多かった様に思う。
「オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ」
この表現がその一つであり、
私を非常に惹きつけた言葉だ。
人が死を迎える時、
果たして何を思うのだろうか?
生に執着してあがくのか?
それを受け入れるのか?
私はその時どうするのだろう?
そんな思いがこの作品を通して、
今、私の体を駆け巡っている。
オタスケ
オタスケ
オタスケヨ
オネガイダカラ
タスケテヨ
やはり
私も
死が怖い。