今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -93ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

僕にとって誕生日と言えば

あの日が一番印象に残っている。

プレゼントも何も貰わ無かったけど

思い出として残る宝物…。

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1991年10月12日。
あの施設で10歳の誕生日を迎えた。

施設では相変わらず暴言や暴力は続き、すっかり人を信用する事が出来ず、常に歯を食いしばりながら、本屋さんで地図を立ち読みして、母の居る所までの道を頭に叩き込んでいた頃に迎えた誕生日…。

施設では、数ヶ月に一度だけ面会が許されていた。
そして母の方も、付き添いと言うより見張りの方が付くが、数ヶ月に一度外出出来る。
この誕生日の日に母は面会に来てくれたのだ。僕の方も外出許可を取り、街中を歩いた。

母は、その頃僕が患った蓄膿症と、僕の手に残る傷跡に、心を痛めたと後に言ってくれた。

母に久し振りに会った時、笑う事すら出来無かった…。僕には余りに色々と起こり過ぎていて、安堵感で一杯だったから…。
そんな僕に気付いて、前以上に明るく接してくれる母の姿は、何にも代え難い当時一番欲しかった宝物だった…。

プレゼントも何も要らなかった。
僕にとって、一番欲しかったのは、あの頃のように戻りたい。
ただそれだけだったから…。

だけど、この時は
見張りが居る為、まだ本音で物が言えなかった。
と後に母は話してくれた。当時は全く気付か無かったけど、母の方も脱出する計画を立てていたと言う…。

外出許可が出ているのは18時まで。
そのギリギリまで時間を使い、都会では無い街並みを散策して、デパートの屋上で遊んで、レストランで食事した。

その時のレストランの名前も、食べたメニューも思い出せないけど、施設の食事と余りに違い、またその味わいに思わず涙した事だけは未だに忘れられない。

病院にも連れて行ってくれた。
耳鼻科で診察して薬を貰い、施設側と話してくれた関係で、蓄膿症の治療はこの後させて貰えるようになった。
しかし、完治したのは広島の地に移った後、これから約8ヶ月後となる…。

そんな母と過ごした10歳の誕生日は、思い出として深く刻み込まれ、また変わらない暴力的な日々の中で、僕の支えとなった。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
この10歳の誕生日。
当時の僕は、歯を食い縛りながら、気力だけで何とか進んでいたけれど、心は寒い。
という状況下で当時の一番の夢だった『母に会う事』が時間限定とは言え、叶ったので、
今現在までの人生の中で最高の思い出になっています。
家庭の、親の温もりって凄いですね…。


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1991年8月末。
僕の転校の準備が進められていた。
思えば、5月31日以降全く学校に行っておらず、しかもこれが初めての転校だった為、期待と不安な気持ちが入り混じり、複雑な心境だった。

僕にとって学校は、母の影響もあり『勉強する為の場所』というのが根付いていたが、この施設で心の安らぎが全く無い為、安らぎを求めていた気がする。

…しかし。そんな期待を打ち砕かれるのに、時間は掛から無かった。

1991年9月。
小4の二学期が始まり、施設の近くにある小学校へ転入した僕はまず、授業の遅れっぷりに吃驚した。
僕が、5月まで居た家の近くの小学校でやった内容が終わって無いのである。

理由は、そのクラスが荒れていたから。
施設から通う者が多く、彼らは普段施設で上級生の命令やシスター、先生共の暴力でストレスを溜め込み、それをクラスで、不良グループを結成し、リーダーとして好き放題やる事で発散していたように思う。

僕も勿論お誘い頂いた。即答で断ったけれど、その後も同じ境遇って事なのか、何かと話し相手になろうとしてくれていた。
施設では同じ部屋では無かった。

彼の発散させる方法は間違っていると思えど、気持ちは良く分かる…。
気付けば、僕の周りには施設に居るメンバーしか居ないという状況になっていた。

…そう。それ以外のみんなからは、施設に居る故に、陰口で叩かれる事になっていたのだ。
中には、その流れに便乗して
椅子に画鋲を置いたり
休み時間にトイレに行ってる間にノートをゴミ箱に捨てたり
する者まで居た。

施設で、上級生や大人共の理不尽を嫌という程見てきた僕にとっては、その程度の事では何とも思わなくなったものの余りに続くので、担任の先生に相談しその彼の家に行き、彼の母親に言う事にした。

前の学校でもイジメはあったし、その時も母と先生に相談して、相手の親に言ってもらう。
それで解決してきたし、一番ベストな選択だと思ったから。

実際、この時もイジメ(今考えればまだ軽い物だが)はそれをキッカケに収まった。だけど、陰口は続くし、決して落ち着ける雰囲気では無かった。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
この当時から、僕は常に相手を警戒したような眼差しで見るようになった、
とつい最近まで言われ続けました。

それにしても、今はどうか知りませんが、この頃はまだ、差別が日常的に起こっていた時代で、後で聞くと僕と同じ部屋に居た人は、中学生も高校生も学校では、無視されたり、差別されたりしていたと言います。

同じ子どもである筈なのに、
こんな差別が罷り通る、
この事が、やがて『東京大学』への拘りになるんですよね…。


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どんな暗い雲に包まれても

どんな深い闇に包まれても

雲は晴れるし、夜は明ける

目覚めと同時に太陽は顔を出し

明かりに包まれ一日は始まる


心持ちは重くて

深い心の闇に包まれていても

必ず朝がやってくるように

闇が晴れる時が来る。

今日も明日もそうやって時が流れるなら

前向きに進むだけ。

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