過去物語 Ver 3 第1章 笑顔が消えた③ | 今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

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自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

それから、祖母の家で母と祖父母の間で言い争いが連日展開されていた。
僕は、その言い争いを避けるように隠れて過ごしていた。

あの頃は、そんな金の事でこんなにもムキになるのか…。
と呆れつつ、それと同時に家を出てから半月経った事もあって、あの家に戻れないような気がして、多く居た友人に別れも告げる事も無いまま別れてしまうのが寂しくて、夜毎に涙していました。

1991年6月22日。
そんな言い争いも一週間になった時、母が
「何とかなったよ。行こう」と僕の手を引いて、雨が降る中傘も無く、とにかく駅を目指して歩いた。

母は、僕が風邪を引かないように、僕を庇うかのように雨に濡れていた、あの姿は
この後待ち受ける困難の中で僕を支えてくれる、そして未だに忘れられない姿だった。

そして祖母の家からほど近い駅に着いた時、僕ら親子を迎えてくれた一台の車があった。

福祉課の人で、僕と母は保護観察の元に置かれる立場となった事を聞いたが、
当然、当時の僕には全く意味が分からない言葉だった…。

車は、高速道路を通り、1時間ほどで僕が見慣れたあの街へと着いた。
…ただし、僕が車から降りた場所は、
児童福祉施設だった。
母は車に残ったまま、別れに言った一言。
「一週間だけ待ってて。必ず行くから」

恐らく母は泣いていたと思う。そして、実際にはそれは叶わ無かったけれど、母の気持ちに嘘は無い…。
そう思った。

実は、児童福祉施設と、児童施設は少し違い、
前者は原則1ヶ月までしか預からず、比較的自由も効く。
後者はいわゆる施設という奴で、生活態度から何まで全て、監視下に置かれ『先生』と呼ばれる者の指示を破ると体罰が来る事なんて当たり前の場所…。

そんな関係もあり、児童福祉施設に居た期間は、母に会えない寂しさもあったが、似た境遇の子どもが多く、直ぐに打ち解けた。

そして、少し離れた婦人相談所に居た母と手紙のやり取りも出来た為、寂しいけれど余り落ち込まないで済んだ。

母が迎えに来る日まで、この穏やかな生活が続いてくれたら、どんなに楽だったか…。
しかし、現実はそう上手くは行かない。

―――――――――――――――

(以下、追記です)
今にして思えば、初めからこんな祖母の所に行かずに、
福祉に相談して母子寮
という方法もあった訳です。

しかし、結果的には福祉に相談したのに児童福祉施設に行く事になってしまい、
この頃から『福祉課』という物に対して苦手意識が出たんですよね…。


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