寝起き号泣という…なんとも夢見が悪かった今朝のアン。
珍しく現実味のある夢で…起きてもしばらく、その余韻を引きずっていた。
でも、ふと気持ちが切り替わった。
仏壇に手を合わせる。
じぃちゃんの命日だ。
(あとでお墓に行くからね)
大好きなじぃちゃんが亡くなって、もう15年くらい経つ。
短気でやたらとせっかちだったけど、すごく優しくて笑顔が素敵なじぃちゃんだった。
勤勉で、色んなことに興味を持ち、率先して何でもやる人だった。
晩年は趣味も沢山あって、いつも懸命で、いつも楽しそうだった。
社交的な面も好きだったし、田舎の爺サンの割りにオシャレなとこも好きだった。
色んなじぃちゃんを思い出す。
***
あたしが小学生だった頃のある冬の夜、「塾に迎えに来て」とお願いの電話を入れたら、
「もう呑んじゃったから」と、歩いて迎えに来てくれた。
帰りがけに寄り道して、クレープを買いたいと言ったら、「外で待ってるから買っておいで」とにこやかだった。
クレープが焼けるのを待っていたら…女子高生のお姉サンたちが、「ねえねえ、外に可愛いお爺ちゃんがいるの~
♪」と騒ぎながら店内に雪崩れ込んで来た。「ん?」と思っていると…お姉サンたちがあたしのとこに来て、「あなたのお爺ちゃん
?」と聞いてきた。コクンと頷き、「たぶん…」と言いながら、クレープを受け取って一緒に外に出ると、じぃちゃんは何人かの女子高生に囲まれていた。
自販機でホットコーヒーを買って、手を温めながらベンチに座っていたら…そういう状況になったらしい。
じぃちゃんはその時、厚手のワインレッドのシャツの上に、ザックリ手編み風の白いカーディガンを着ていた。
それでいて、ほろ酔い加減でニコニコしながら、ちょこんとベンチに座っていたら…確かに「可愛い」になるのかもしれなかった。
当時のあたしには、よく分からなかったけど…なんだかじぃちゃんが女子高生の人気者になったようで嬉かったのを覚えている。
***
あたしが中学生の頃には、部活を終えて帰ると…じぃちゃんの日課の晩酌にたまに付き合うようになっていた。(ココだけの話)
普段は日本酒、あたしはおちょこ1杯だけ。夏はビール、グラス1杯だけ。
「孫と酒が飲めるようになるとはな~
♪」じぃちゃんはいつもご機嫌だった。若い頃に大きな病気をした人だから…生きていることそのものに喜びを感じていたのだろう。
あたしはと言うと…酒が飲めない為に結婚を反対されたこともあったという(それ以外の事情ももちろんあったけど)お父やんの代わりのつもりで、晩酌に付き合っていた。
(ちなみに、お父やんとじぃちゃんはとても良い関係だったよ♪親子以上かも)
その頃のあたしは、お菓子作りよりも、じぃちゃんの酒のつまみを作るのが楽しみになっていた。
なんでも喜んで、「美味しい美味しい」と食べてくれた。
でも、和風なものよりも、じぃちゃんが一番気に入っていたのはピザトーストだった。
「アン、アレつくってくれや!ビザ♪」
「何?海外旅行でも行くの
?」よく間違って「ビザ」と言っていた(笑)
晩年、朝は必ずトーストを食べてるじぃちゃんだった。
毎朝嬉しそうに、「この香ばしい香りがイィんだよな
」と口癖のように言ってたっけ。***
じぃちゃんは沢山の趣味があった。菊作りや日光彫り、カメラや…元々は敬遠していたカラオケも。
「社会探訪」と言っては、車で出掛けていたし。
何せせっかちだから、次から次へと動き回っていた。
ある日の朝食後、マミーが「今日のお昼は、皆で外食しようか」と言ったら、
じぃちゃんは、もぅ9時頃から出掛ける支度をしていた。
せっせと玄関の掃除をし、洗面所の掃除をし、白髪頭をポマードで撫でつけて、身支度を整えて、履いてく靴も用意して…ウロウロと落ち着かなかった。
「ほら、出掛けるぞ!」じぃちゃんが言ったときは、まだ10時だった。
「まだ早いよ」
「早い分にはいいんだ!」
「まだお腹すかないよ」
「そうか」
そんなやりとりをしながらも、30分と待てないじぃちゃんだった。
***
70代前半に酷い神経痛になって、寝起きもままならなかった状態から、またも復活したじぃちゃんは、バイタリティーに満ちていた。
常に前向きで、常に色んなことを考えている人だった。
最近、物置小屋の掃除をしていたマミーが、昔じぃちゃんが書いたノートを見つけた。
そこには、将来の農業に関しての危惧が綴ってあった。
当時の世界の人口は40億人くらいだったらしい。その人口がこれから増えていく中で、世界的な食糧不足が起こるのではないか。
国内の自給率では賄えなくなるだろうから、対策を講じなければ…的なことが色んな数字と共に書かれていた。
若い頃から勤勉だったんだな~と思ったし、論理的に先を予見するところがあったんだなと思う。
温かな縁側にソファーを置いて、そこで趣味に興じたり本を読んだりしてたじぃちゃんだけど、よく「家庭の医学」を読んでいた。
「オレが死ぬときは、脳梗塞かくも膜下だな」とよく言ってた。
まさか本当に、くも膜下出血で倒れることになろうとは…思ってもみなかった。
***
とある総会に出掛けていた先から救急車で病院に運ばれた。
緊急手術が行われたが、成功する可能性は50%。
昔、じぃちゃんが30代のときに、腎臓を患って摘出手術をした時も、成功率は50%だったと聞いていた。
じぃちゃんなら耐えられるはず…皆が祈るような気持ちでいたと思う。
手術は成功した。
けれど経過が悪かった。じぃちゃんは、合わない薬なども多かったから、それ以上に良くなることは無かった。
意識が戻っても、記憶が飛んでいたり、暴れたりもした。静かに眠っているだけの時もあった。
じぃちゃんが大好きだったお父やんは、陰で泣きながら付き添っていた。
ウチら家族は、もう一度じぃちゃんの笑顔が見られると…ずっと信じていたのだ。
だけど、その願いは叶わなかった。
日に日に衰弱していくようだった。意識も戻らなくなり、点滴の針を射せる所もなくなってきた。
術後、3週間でじぃちゃんは息をひきとった。
最後までかすかに動いたじぃちゃんの左手を、最期まで握っていたのはあたしだったのに…
あれほど沢山泣いたのに…
それでもあたしは、じぃちゃんが逝ってしまったことが信じられなかった。
***
葬儀が済んでからも、あたしはじぃちゃんが家にいるような気がしていた。
「ただいま」と玄関を開ければ、いつものように一番に身を乗り出して「おかえり」とじぃちゃんが笑顔で迎えてくれる。
毎日、そう思って元気に「ただいま」と玄関を開けては…(あ…そうか…じぃちゃんいないんだっけ
)と落胆した。そういう感覚が、その後…実は2年ほど続いた。「ただいま」と言っては落胆する…ということを繰り返していたのだ。
***
今日は朝から、晴れたり雨が降ったりを繰り返していた。
「お墓参り行かないの~?」
マミーに声を掛けると、
「そうだね、行こうか」
そう言って、バタバタした後、また雨がパラついて来たときに畑に花を摘みに行った。
本格的に雨になりそうだと思っていたら、お寺さんに着いた時にはピーカンのお天気。
日射しが肌に突き射さるように感じる中で、(じぃちゃんお待たせ…)と線香をあげて、手を合わせた。
(せっかちだから…待ってないか)
そうも思いながらも、心が落ち着く感じがした。
なんだか気持ちが晴々したような気がした。
「あっちぃね~」
「あっついね~」
「帰りにアイス買ってっちゃおっか♪」
「アイス、買ってっちゃおっか♪」
呑気なウチらを、じぃちゃんは草葉の陰から笑顔で見ているに違いない。