世界を変えた名演説・名スピーチ67 | 運命の人 2

運命の人 2

ブグ                    ツインソウルとは、もともと一つだった魂がこの世で魂を磨くためにより多くの経験を積んで、魂が進化を遂げるようにするために、この世に生まれる際に二つに分かれたものと言われているそうです。            


◇第62回アカデミー賞は1990年3月26日にロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオンを会場にして開催されました。助演女優賞受賞者はブレンダ・フリッカー(マイ・レフトフット)。彼女のスピーチです 。                                      


  ★これは信じられない。(中略)“マイ・レフトフット”の為に働いた、愛と愉快さと仕事熱心な雰囲気を作ってくれた、全ての撮影メンバーに感謝します。Connaughtonに感謝します。かつてこれほど感情移入できた脚本はありません。(中略 )そして最も素晴らしい監督であるJim・Sheridanに感謝します。そしてアカデミー会員の皆さん。アイルランドに帰るのにこれほど誇らしい物を頂けて感謝します。                                                            ◇2012年に『江南スタイル(GANGNAM  STYLE)』で大ヒットを飛ばした歌手PSY 氏が、2013年ハーバード大学でのスピーチに登壇。彼のスピーチです。                                                       

★知っている人もいるかもしれませんが、私は大学時代の4年間ここボストンで暮らしていました。1996年から2000年です。成績は悪かったですが、川の反対側に見えるハーバードはカッコ良かったです。(中略)ここまでインターナショナルな存在になれるとは自分も想像していませんでした。私は韓国国内で十分でしたから。江南スタイルを制作したのは去年の7月でしたが、当時の経済は非常に悪かった。そんな時に自分にできるのは、面白い歌で人を笑わせるということだったのです。ですから、もうできるだけ馬鹿げたものを作りました。私が江南スタイルでやりたかったのは、そういうことなのです。私はYGというレーベルに所属しています。「曲、Youtubeにアップロードしてもいい?」と言うのに対して私は「別にいいですよ」という感じでした。しかしその2週間後、英語、アラビア語、フランス語などでコメントが書かれていました。(中略)どんどんコメントは増え、私はまさに「マジで?」という感じでした。(会場笑)そうして私はYoutubeの100万ビューを記念して、人生で一番大きなパーティを開きました。(会場拍手)その2日後にもっと凄いことが起こりました。ケイティ・ペリーがツイートし、ブリトニー・スピアーズがツイートし、トム・クルーズがツイートし、ロビン・ウィリアムズがツイートし、T-Painもツイートしました。彼らは「hilarious(とても楽しい)」とか「obsessed(頭から離れない)」とかツイートしていましたが、意味はそんなに分かりませんでした。(会場笑)スクーター・ブラウンのことは知っておられると思います。私のマネージャーであり、ジャスティン・ビーバーやカーリー・レイのマネージャーでもあります。彼はロサンゼルスから韓国に電話をかけてきました。(中略)彼は「ジャスティン・ビーバーのマネージャーです」と言ったので、私は間違い電話だと思いました。「ジャスティンと2人で仲良さそうにしてる写真を送ってもらえますか?」と言いメールアドレスを教え、そこに送られてきた写真を見た時は、皆「マジか」という感じでした。(会場笑)(中略)彼はリミックス制作のために著作権を買いたかったようです。彼は「ロサンゼルスまで来れます?」と言ったので、私は「すぐ行きます!」と言いました。その後エレンの部屋に出演したのですが、ブリトニー・スピアーズにサプライズでダンスレッスンをするというものでした。それが初めてのアメリカのテレビ番組出演でした。私は緊張していました。(中略)彼女はダンスすることなど全く想像してなかったので、ピンクのドレスでおめかししていました。私が「豪華に着飾ってバカっぽく踊るのがこの歌のテーマなんです」と言うと、彼女らは爆笑しました。(中略)エレンの部屋の後は、ロックフェラーセンターで「Today's  Show」に出ました。(中略)その次にはMC  Hammer とAmerican  Music  Awardでパフォーマンスしました。そしてその後、マジソンスクウェアでパフォーマンスするのでコラボしたいという連絡があるアーティストからありました。「誰?」と聞いたら、それはマドンナでした。(中略)「江南スタイル」と「Give  it  to  me」のコラボをしようということでした。面白いことに彼女はちょっとやり過ぎというくらいにプロフェッショナルでした。私はただのスペシャルゲストだったのですが、彼女は「リハーサルしないと」と言いました。(中略)それだけでなく、彼女は私にフォーマルな黒のスーツを着るように言ったのです。実際にリハーサルに行ってみると、マドンナはジャージにスウェットで、黒いスーツなんて着てるのは私だけでした。それでもマドンナはクールでした。私がステージに上がると、彼女はステージで寝転がっていて、「ハーイ」と言うのです。(中略)ステージで寝そべって「ハーイ、ハニー」と言う彼女に、私は「自分が彼女のハニーなの?スゲー」という感じ。(会場笑)彼女が最初に言ったそんな一言がカッコ良すぎました。「ハニー、ステージ上では私の体のどこを触ってもいいからね」。私はもう躊躇すらなく、「本当ですか!?」となりました。(会場笑)それは私のキャリアの中でも大きなものとなりました。その後も色んな場所に行きました。でも私は謙虚でなくてはならなかった。特にアジア人アーティストにとって、こんなことは滅多にないことだからです。彼らの多くがアメリカ市場の扉を叩くものの、成功できない。私はいつか韓国のアーティストがアメリカで成功することを夢見ていましたが、それが私自身だとは思ってもいませんでした。私の体型はちょっと特別ですからね。(会場笑)(中略)その後しばらく経つと、人は「次は何?』と聞くようになりました。(中略)そして彼らは私のことを一発屋と言うようになりました。「何かしないと」と私は考え、作曲を始めました。「江南スタイル」が流行った理由を分析し、各国での意味や発音における言葉のスタイルを研究しました。そして見つけた言葉が「ジェントルマン」です。この単語は全世界共通で、そういった国際語を見つけたことが始まりでした。「Gentleman」という曲は聞いていただけたでしょうか?人の好みにもよるし好き嫌いはあるので、皆を満足させることはできないのですが、「どうしよう?」とか思うのではなく、良いと思ったことがうまくいくと想定してやるしかないのです。「江南スタイル」は普通じゃありませんでした。それと比べられて「Gentleman」は良くないと言われても、「江南スタイル」と比較するとどの曲だってそうです。あれはもう事故のようなものなので、そうそう起こることではありません。あんな事故がしょっちゅう起こっていたら人類は滅びてしまいます。(中略)「Gentleman」でのゴールは、ビルボードのトップ10入りすることと、YouTubeで1億ビューを突破することでした。本当にそれだけを目指していました。「江南スタイル」と比較して色々言われますが、そんな成功は永遠にできるものではないのです。アジア人アーティストとしてのチャレンジ第2段は、ユーチューブ上では27日目で現在3億ビューとなりました。(会場拍手)ビルボードでは33位だったのですが、私は自分が落胆したことに驚いていました。よく考えると、ビルボード33位というのはとんでもなく重大なことなのに、好き嫌いが人それぞれなのは当然なのですが、それでも「自分が最高だったとは言えないけれども、最善を尽くした13年間であった」ということは言っておきたいです。(会場拍手)ありがとう。あともう1つ。もうそろそろ時間ですが、なかなかちゃんと英語喋ってますよね?(笑)(会場拍手)私は最初はボストンの学生でした。当時の自分にはニックネームがありまして、「WWF」と呼ばれていました。プロレス団体(World Wrestling Federation)じゃないですよ。「Withdraw 、Withdraw、Fail(退学、退学、落第)」です。私は若く、クリエーションというものについて誤解していました。他人から学べると思っていたのです。しかし、若い頃は誰もが間違います。(中略)失敗ももちろんしますが、私はポジティブでいることの力を強く信じています。時に優しく、また時に辛辣にされることもあるでしょうが、何があっても、どうなろうとも、いつもポジティブでいてください。地球上で一番大きな力なのですから。人生で失敗はつきものです。14年経って、ボストンにスピーチしに戻って来られました。「WWF」が大したものです。ありがとうございました。(拍手)(大歓声)