昭和九年大火供養碑
函館市湯川町三丁目三五ノ五 竜吟寺の境内にある
昭和九年三月二十一日の大火は死者二千人を超す大惨事であったが 大森街に慰霊堂を建ててこれを供養している
ほかに湯川地区でも仏教聯合会(れんごうかい)や有志が供養碑建立を計画し 同十二年竜吟寺の境内に建てた
焼死だけでなしに寒さのために凍死した人や 火に追われて海に投じ 新川に落ちるなど 水死した人も多い
昭和九年に記したという碑文は「我湯川区域中溺死…六百余」と当時を語る
碑文は撰文・清書ともに能筆化として知られた高田竹山の手になるもので 竹山は旭岡の奥に農場を持ち そこに 豊川稲荷分霊をまつって信仰していた
志那古文の研究家でもあった
竜吟寺は明治二十六年 (一八九三年) の仮教場が始まりだが 近年道路拡幅で碑を本堂左手に移した
※北海道新聞社発行 はこだて歴史散歩 から引用しました
※上の白黒写真は はこだて歴史散歩 から拝借しました
※はこだて歴史散歩 昭和57年(1982年)5月25日 初版発行
龍吟寺
供養碑
供養碑
供養碑
昭和九年に記したという碑文は「我湯川区域中溺死…六百余」
裏面
湯川佛教聯合會
昨日の写真でした
村民です おいそぎでなければポチリとな






