倒産坂
函館護国神社の幅広い道路は もと同神社を招魂社といったので “招魂社の坂” とも称したが 別名を「倒産坂」ともいった
倒産は文字通り財産をなくすことだが この坂の両側に家を建てる場合 坂に面して門を作ると招魂社に不敬であり 罰が当たって必ず “かまど” がつぶれるといわれたものである
それで倒産坂というのだ おもしろい
この坂は 明治二年 (一八六九年) に招魂社ができてからの坂である
だが この坂の一般的な名称は「汐見坂」であった
それは明治十四年 (一八八一年) に 上に汐見町ができてから その名をとったものである
汐見町は 南新町というのを汐見・曙・寿の三町に分割して出来た町で 名の通り海のよく見える場所であった
護国神社も終戦後 潮見丘神社とと称していた時代がある
汐見町は昭和四十年になくなった
※北海道新聞社発行 はこだて歴史散歩 から引用しました
※はこだて歴史散歩 昭和57年(1982年)5月25日 初版発行
倒産坂 護国神社坂ですね
その護国神社です
護国神社の赤鳥居
およそ毎日 啄木小公園から見上げているな
啄木小公園 いつまで続ける続くかな
護国神社坂
真ん中あたりに高田屋嘉兵衛像
その高田屋嘉兵衛像
建設時 護国神社にお尻を向けるのは どうのこうのの議論があったようです
坂の付近
御菓子屋さん
和風珈琲屋さん
江戸黒…褪せてきましたな
明日は がりっと野暮用 昼から散歩はお休み……のようです
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