碧血碑です

 

 

侠客(きょうかく)柳川熊吉は実行寺の住職と謀って 後難を恐れて顧みるものもない脱走群戦死者を自ら収容し 谷地頭の高地へ埋葬した

七回忌に当たる明治八年 (一八七五年) 五月 当時陸軍奉行を務めた大鳥圭介らは伊豆産の石を使い 東京霊岸島で碑を造り 海路運搬した 総工費三千百六十円

この工事担当者近松松太郎もまた 脱走群工兵隊差図役であった

 

碑の題字は大鳥とも 中村敬宇ともいわれるが「碧血(へきけつ)とは 義に倒れた志士の血は三年たつと碧(あお)に変わる」という中国の故事から取られたものである

碑の裏には「明治辰巳 (元年二年=一八六九年) 実に此事有り 石を山上に立てて以て厥(そ)の志を表す 」(原漢文) とわずか十六字が無限の意味を込めて彫り込まれている

 

碑前祭は千代ヶ岡陥落の日を新暦に直し六月二十五日 毎年有志の手で執行されている

 

敷地二千四百六十一坪 (八一二一・三平方㍍) は 榎本家の子孫から昭和三十一年 函館市に寄付された 

 

 

※北海道新聞社発行 はこだて歴史散歩 から引用しました

※はこだて歴史散歩 昭和57年(1982年)5月25日 初版発行

 

 

碑の裏の十六文字です

明治辰巳實有此事

立石山上以表厥志

明治八年五月

 

折り鶴が供えられています

守っている方がおられるのでしょう

 


写真は2月18日でした

 

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