山上大神宮 幸坂の上の神社です

創立は古く天和二年 (一六八二年) で 鍛冶町に奉還 神明社と呼ばれた

この神明社は かつて京都所司代を務めながら 明治維新の激動の波に押し流されて箱館戦争に参加した 桑名藩主松平定敬の御座所として使用されたところである

十一万石藩主のプライドが榎本の指揮下に入ることを許さず わずかの家臣にかしずかれ 明治二年 (一八六九年)  二十三歳の正月をここで迎えた

 

桑名藩はいちはやく官軍に恭順したため 家臣酒井孫八郎が箱館まで来て 市中取締役の土方歳三の許可を得て定敬に面会を求め “謝罪” を勧めた

脱走軍からも疎外されていた定敬もついに折れて四月十三日 抗戦派の人々とたもとを分かち アメリカ船で横浜へ脱出した

それから一カ月後 神社は兵火にかかり消失

再築されたが 明治七年 (一八七四年)  山上大神宮と改称され その後移転を重ね 現在地の函館市船見町一五番地の高台に鎮座した

 

山門の間に見える坂が幸坂です

左上のクレーンの見えるところは函館どつくです

 

 

※北海道新聞社発行 はこだて歴史散歩 から引用しました

※はこだて歴史散歩 昭和57年(1982年)5月25日 初版発行

 

 

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