今日は(3月)1日、夕方の予報は雨。
そんな日にきみあおの2回目を観に行ってきました。※偶然です。そして雨は降らなかった(笑)
もともと複数回行くつもりではいたけど、いろんな人の感想を読んだり、
考察動画を見たりするうちに、自分の初回の解釈と違う見方もあるのかと、
もう一度みてみたい気持ちがグッと前のめりになっていました。
以下、ネタバレ含む鑑賞2回目の感想です。
初回は、タイムリープはリアルに起こっていることで、修弥は助かったという結末と捉えたのですが、
(タイムリープ自体はリアリティに欠ける現象ですが、そこはファンタジーということとした)
今回は、最後はハッピーエンドじゃない=修弥が死んでしまったという前提でみてみました。
一度目の事故シーンが実際に起きた現実で、倒れている修弥をみてから意識を失った実結は、
「自分のせいで修弥が死んでしまったかもしれない」という気持ちを抱えたまま生死を彷徨い、
夢のような意識の中であのタイムリープを繰り返した。
それは、あまりにも重すぎる現実を受け入れるための心の反応だったのかもしれない。
そして、ラストシーンの修弥は、天に召された瞬間にあらわれた幻だった(と仮定)。
もしこちらの解釈だとすると、受け取るものがだいぶ違ってくるんですよね。
修弥が生きていたハッピーエンドだとしても、若い2人は大切なことを学んだわけなので、
青春映画としては全然アリです。
なんだけど、大人目線だとちょっと白けてしまうというか。。。
悲しい結末として観た方が、より深く考えさせられるし、いろいろしっくりきます。
そもそもこの作品のテーマとは何ぞやって話ですが、
私が受け取ったのは「運命への向き合い方」といったところでしょうか。
主人公が大人の設定でも描けるテーマを、女子高生の等身大の恋の悩みを軸にすることで、
若い人にも届きやすくなっていると思います。
どうしても変えられない運命があるとして。
何か大切なものを失ってしまったとき、そしてそれに自分の未熟さも関係しているとき、
人は後悔し、苦しみ、足掻くけど、大事なのはその運命に込められた意味を知ること。
って感じかなあ?
まあ、私はちょっとスピリチュアルかじった人間なので、
こういう思考になっちゃうのかもしれません(笑)。
げんげんについても感想追加。
やっぱり中学時代の修弥のイモっぷりに笑ってしまった(笑)。
いくら高校デビュー風にしたいにしても(監督さんの話だとそんなニュアンスだよね)、
せっかくの初登場シーンだし、高校時代の修弥は間違いなくイケてる側の男子だから、
中学時代はダサさじゃなく、初々しさに振った方が良かったのではないかなあ。
だって、ちょっとした立ち方とか仕草がかっこいいし、
イモ男子がほっぺとはいえあんなちゅーするかあ?(笑)
あと、ちょっと気になったこと。
げんげんってセリフ言うとき頷く動きがすごい多いけど、
あれは若さ可愛さを出そうとしてあえてやってるのか、
気持ち込めようとしてついそうなっちゃってるのかな。
受けの芝居はすごくナチュラルだから、セリフ言うときも同じ感じでいいのになあと思ったりもしました。
まあ、あれはあれでかわいいんだけどね(笑)。
しかし、こんな短期間で映画2回も観たの初めてかもしれない。
果たして、三回目はあるのか?ないのか?