ウィリアム・リースト・ヒートムーンの「ブルー・ハイウェイ」は、80年代初頭のアメリカでミリオン・セラーを記録した紀行文学の傑作である。ミズーリ州の大学非常勤講師を首になり、妻にも去られたヒートムーンは、かねてからの希望であった北米大陸単独旅行を決行しようと、中古のヴァンを改造し、寝袋と調理用具、それに愛読書であるホイットマンの「草の葉」と「ブラック・エルクは語る」の二冊を積んで走り出す。車で寝泊りしながらの旅の記録を克明に綴った本書の存在を私が知ったのは、2008年の暮れか2009年の年初だったと思う。TBSブリタニカから邦訳が刊行されたのは1985年、その後、1994年に河出文庫に収録されたが、日本ではあまり広く読まれなかったのか、ネットで検索してみても、本書に触れたブログ記事なども数えるほどしかない。私は妙な屈折があって、自動車の運転免許を取得しないまま今日まで来てしまったが、もし1985年時点で本書を読んでいたら、間違いなく自動車教習所に通っていただろうと思う。特に目的も定めず車で走り、夜になって運転に疲れたら、ボンネットを叩く雨の音を聞きながら眠りに就く。そんな旅をしてみるのも人生のひとつの楽しみ方であり、その機会をみすみす逃してしまった私は、何か損をしたような気にもなるのだ。ところで本書によるとアメリカの町名には冗談のようなものもあり、たとえば”WHY”という名の町の近隣には”WHY NOT”という町があり、さらにその近隣には“I GO”という名の町がある。イリノイ州は道路事情が悪く、ドライバー泣かせで有名であり、ドライバーの間ではイリノイ州は”ill and annoyed”と呼ばれている。深南部、アラバマ州モンゴメリーで出会った読書家の黒人女性は、キング牧師の苦闘によってもセルマは結局何も変わらなかったと著者に語る。著者も、著者が各地で出会う多くの人々も皆、己が目の闇の中で迷っている。
「車がなければ自転車で行けば?」 取り留めのない私の話を聞いていたエスが言う。エスは白いスモックを着て、色とりどりの塗料の撥ねだらけの作業机を挟んで私と向かい合っている。エスのスモックにも赤や青の塗料の撥ねがあり、その部分の生地がごわごわに固まっていた。プレハブ造りの工房の中はラッカーの匂いが立ち込めている。エスが窓を開けると、外には明るい緑の森が見えた。
「自転車では雨風をしのげないからいやだな」
「それなら地図で旅をすればいいよ」
作業机の上には、タタミ一畳分もありそうな日本列島の立体レリーフマップがあった。
「これ、お前が作ったのか?」
私は作業机の上に転がっていた黒縁のルーペを手にして、北海道から本州へと、レリーフマップの凹凸を拡大して覗いて行った。ルーペで拡大して見ても、人の生活や物の運動の様子が見えるわけではない。土の色と、苔のような暗い緑色の筋が、境界があやふやに濁った縞模様となって擦れ合い捩れ合って流動する様が見えるだけだ。本州の太平洋側の海岸線に沿うようにルーペを動かして行くと、むき出しの裂傷のような赤黒い部分があって、土色と苔色の流動が寸断されている。土に埋もれた人の顔らしきものが見え、その顔が閉じた目をゆっくりと見開いたので慌ててルーペから目を離すと、肉眼で見えるのはレリーフマップの凹凸だけなのだ。再びルーペで列島を南下して行くと、相変わらず暗い色彩の流動が続いている。
「行くなら裏日本だね」
作業机の角に腰を乗せて、エスがタバコの煙を吐いた。
「裏日本て、日本海側だろ。裏日本は海が暗いな」
「そうではなくてさ、日本の裏側だよ」
エスがレリーフマップの台座の下に両手を突っ込んでマップを持ち上げて見せた。レリーフマップの裏側は凹凸が逆になっていて、全体がコンビーフのような色合いを呈していた。白い草の根のようなものがうじゃうじゃと垂れ下がり、青黒い筋が縦横に走っている。私は、子供の頃に通った医院の診察室にあった内臓剥き出しの薄気味悪い人体模型を思い出した。そういえば、あの医院の診察室の壁には、いろいろな状態の「うんこ」の模型も飾ってあったな。緑便、血便、下痢便などの小さなレプリカを一つずつシャーレに収めて浅い箱に並べた壁掛けの模型。俺はあれがほしくてしかたがなかった。戦争中、陸軍の軍医中尉だったという老医師もとっくに亡くなってしまったが、あの模型は捨てられてしまったのかな。
「あのへんに美味い蕎麦屋があるよ」
エスが目で示すあたりを見上げると、蟻地獄のような擂り鉢状の深いくぼみがあり、その斜面に白い道のような筋が擂り鉢の底に向かってうねうねと続いている。擂り鉢の底には薄汚れた造花が挿してあった。「いつもあの道を辿って行くんだ。道には藁が敷き詰めてあってね」
それでは、藁の道を自転車で走って、擂り鉢の底まで行ってみようかという気になってきた。