いつかは書く日がくるんだろうなーとは思っていたものの、それがまさかこんなかたちで訪れようとはね・・・。
 

思い出の曲おしえて

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 腹の底から想い入れの強いもののことは、なかなか手が出せないものだ。そう簡単には書けない。

 だけど今回ばかりはそうもいかないだろう。

 超過死亡の激増が叫ばれる昨今、著名人の訃報も多く聞かれるようになってます。なかでもミュージシャンの死去が非常に多い印象。
 そしてとうとう、あの人までが逝ってしまわれた。


リサイクル「いつも夕方になるとインターホンが鳴り『もんたさん 遊ぼう』と元気な声に誘われて、玄関のドアを開ければ、そこには目を輝かせた近所の子ども達の姿がありました」

 

 もんたよしのりさん。私のなかの大ヒーロー。
 その歌いっぷりは、まさに衝撃的。それまでは好きなテレビ番組のテーマ曲くらいしか聴かなかった自分が初めて興味を持った歌手(バンド)、それがもんた&ブラザーズでした。
 たまたまテレビに映った彼の姿。出るか出ないかのギリギリな歌声にはハラハラしながら聴き、挑発的な眼光に吸い込まれそうになりながらもテレビ画面にクギづけになったものです。たぶん、それまでにはいなかったタイプのシンガーだったのではないかと思います。初めて、テレビに映るのが楽しみになったミュージシャンでした。

 もっと細かく言えば「出るか出ないかのギリギリな歌声なんだけど、でもシンガーソングライターなんだから作ったのはこの人なんだけどなぁ」と、とても不思議な気持ちにさせられました。そこも込みで魅了されたような気がします。
 

 信じられないことに数年後、レコード収集を趣味にしている自分がいました。なかでもいちばん買った枚数が多かったのが、もんた&ブラザーズのレコードだったと思います。どんな曲かも知らずに買うことも多々ありましたが、結局、どれを聴いてもカッコよかったんです。レコードは、かならず手を石鹸で洗ってから触ることにしていました。宝物でしたから。
 ただ、自由に使えるお金があまりなかったものですから、買っていたのは主にEPレコードでしたけどね。それが、珍しくLPも欲しくなったことがありまして。『SPECIAL ACT』っていうんですけど、要はベスト盤。ジャケットが真っ白いレコード。ベストアルバムならほかにも出てたと思うのですが、私としてはどうしてもこれが欲しかった。なぜなら、もんたさんが西城秀樹さんに書いた『ギャランドゥ』のセルフカヴァーも収録されていたから。聴いてみたかったんです。
 ところがですよ。このLPはどこかの店で見かけたきり、出会えなくなってしまった。まだネット通販もない時期でしたので、どうしようもない。それでも店で取り寄せの発注をかけてみたものの、数日後、かかってきた電話では取り寄せ不能のお返事。そこから私のなかでは何年も幻のアルバムとしてモヤモヤが続くことになったのです。

 

 

 それがある日のこと。浜田省吾の歌により「さびれた映画館とバーが5、6軒♪」の町として有名な呉の某レコード店へたまたま入ってみたところ、運命の再会を果たします。置いてあったのです、件のLPが!
 そのときはお金がなかったのでいったん帰宅し、後日、またそこへ行ってやっと購入できた次第です。自宅からはバスで何十分もかけて行くような場所(浜田省吾の歌では
「この町のメインストリートわずか数百メートル♪」という設定になっておりますが、実際はもっともっと長いです)でしたので、たぶんそのときはレコードを傷めないよう細心の注意をはらって帰路についたんだろうと思います。なお店員さんが、やたら髪型のきれいなお姉さんだったのですが、数ヵ月後の朝、うちの町でその人が歩いてるのを見かけたなぁというどうでもいいことをなぜか憶えています。

 

 

 さて『SPECIAL ACT』に入っていた『ギャランドゥ』ですが、アレンジが大幅に違う印象でした。ヒデキ版の編曲を担当したのは大谷和夫氏でしたが、こちらは椎名和夫氏になっている。ヒデキ版のそれが、いかにも“ヒデキ流のロックナンバー”だとしたら、もんた版のほうは、どこかの国の民族音楽を聴いてるような気分になり、最初は少々困惑したものです(笑)。
 だけどふたつがまったくおんなじものになったら面白くないのですし、これはこれで聴いていくうちにスルメイカのように味が出てくるのでアリなんでしょう。

音譜
ギャランドゥ<作詞:もんたよしのり/作曲:もんたよしのり/編曲:大谷和夫>

※上の画像はこのたびネットで拾ったものですが、どうしたことでしょう? もんた版『ギャランドゥ』はシングルカットされてないはずたけど・・・。<見本品>と表記されているので、一般発売しなかった非売品なのかな?



 ちなみにヒデキ版の『ギャランドゥ』はリリース当時、知ってる人(トランぺッター)がバックについて演奏していたという情報を数年前に本人から聞いて驚愕したことがあります。

 


 さて本日の「そんなに陽のあたらない名曲」では通常運転として定着してしまったよいこのデンジャラスセレクションシリーズをお休みし、私にとって特別な曲について書きたいと思います。もちろん、ここまで前フリしてるのですから、もんた&ブラザーズの曲になるのですが・・・・・・そんなに売れたわけではないので、おそらくご存知の方は少ないのだろうと思います。

音譜
KOBE<作詞:麻衣奈/作曲:もんたよしのり/編曲:もんた&Brothers>


 たぶん誰にも理解されないと思いますが、これは私にとって自分が知りうる全楽曲のなかで、いちばん好きなナンバーなのです。ご存知のように私は聴く音楽のジャンルは問わないし、年代も問わないので戦前のものも無差別に聴いてしまう。その私が、この世の中でいちばん好きなのがこれなのですよ!
 何かよくわからんのですが、この“音”から伝わる雰囲気に、たまらなくなるのです。決して派手さはない。もんたさんのヒット曲といえば、いずれも突き刺すような刺激に満ちたものが多かったが、これにはそれがない。静かな音楽ですね。
 思えば、もんた&ブラザーズが出すシングルは、ヒットしても次の曲ではガラリとイメージの異なる曲調のものを出してくる。二番煎じをやらない。その法則でいうと本曲は、刺激的だったヒット曲『DESIRE』の次にリリースし、前曲のような刺激を求めるファンの期待を嘲笑うかのように、ぜんぜん違うボサノヴァ調の曲を持ってきた。いまにしてみれば「ワイはこんなのもできるんやで」との意図があったのではないかとすら思え、ニヤリとさせられる。そう、もんたさんの作る音楽は幅が広いのだ。
 作詞を担当した麻衣奈という人は、もんたさんの奥さんのペンネーム。たしか婚約発表があった際、もんたさんのプロポーズのことばについて「(山本)譲二くんの歌じゃないけど、『お前が俺には最後の女』みたいなことを言ってくれた」ってかんじのコメントをされてたと思う。山本譲二さんを「くん」づけで呼んでますが、もんたさんは北島音楽事務所に所属していたためか山本譲二さんとも仲がよかったので、奥さんとも面識があったのかもしれません。
 舞台は神戸の港。神戸のご当地ソングといえば内山田洋とクールファイブの『そして、神戸』。それとも似たようなシチュエーションで、船に乗った人を見送るドラマです。
 奥さんが書いた歌詞に、もんたさんがメロディをつけ、静かに歌うもんたさん――そういう曲です。しかしながら私が本曲でもっとも好きなポイントは、もんたさんのヴォーカル以上にブラザーズ(?)の演奏だったりする。楽器の音の一つひとつが、ジーンと胸に沁みるんですよね。カラオケ版があるのなら、ぜひ聴いてみたいのですが・・・でもカラオケ店のやつはダメよ。あくまでもブラザースのオリジナル演奏じゃないとね。
 あ。動画サイトのコメント見たら、けっこうこれが好きだって意見が多かった。わかる人にはわかるのね。



 で。投稿ネタのお題が「
#思い出の曲おしえて」になってるのですが、こんなに強い想い入れのある曲にもかかわらず具体的な思い出はとくにないのが申しわけない。
 ・・・ああ、でも無理やりにでも書いておこうか。LPレコードのエピソードより、もうちょっと前の話です。
 毎日顔を合わすケンカ相手のようなやつ=Mがいたのだが、どういうわけかそいつも、もんた&ブラザーズがわりと好きだったことで、そっちのほうでは話が合う。
 ある日、レコード店で『KOBE』を見かけた私だったが、すぐには買えなかった。翌日、そのケンカ相手と雑談したときのこと。
チアー「もんたのレコードがあったよ。『こべ』だって。変なの」
M「それ、神戸じゃないのか」
チアー「ああ、こうべ・・・」
M「もんたが面白い顔しとったのぅ」
 それだけのことなんですけどね(苦笑)。『KOBE』を買うまでには、そこから何ヵ月かかかりました。私の買うもんた&ブラザーズのレコードでは3枚目になります。


 ちなみにですが、大ヒットした『ダンシング・オールナイト』と『DESIRE』のレコードはこのとき既に所持していました。おなじ日に買ったんですが、少々不満があったんです。『DESIRE』には2種類のジャケットがあり、私が欲しかったのはジャケットの表に歌詞が書いてあるほう。おそらく発売当初の時期だけ出回ってたものだと思います。でもそっちのはもうどこにも置いてなくて、仕方なく後発で出たものと思われる、もんたさんがキリンメッツのグレープフルーツ味を持っているジャケットのほうを買うことに。

 キリンメッツのグレープフルーツ味はいまでも売ってますけど、あれは美味しいです。

 

 

 ついでにもういっこ書いておこうか。
 この曲だけでも私にとって神戸という場所にはほのかな憧れのようなものがあるにはあったのですが、2年前にここへ書きましたように、映画なども含めて我が人生ベストワン候補に挙げられるドラマ『過ぎし日のセレナーデ』でメインとなるロケ地も神戸だった。それも震災前。
 では実際に神戸へ行って何か思い出になるようなことをしたのかというと、それほど大したことはしていない。『過ぎし日~』に至っては最初に見てから2年前に見直すまで忘れていたほど。とはいえ思い出ゼロというわけでもないので強引に書いておく。面白くなかったらゴメンね。

 知人Yが神戸市須磨区に住んでいたので、そのころはもう東京に住んでいた私は呉へ帰省する途中でよく寄らせてもらってたんですよ。Yは私より先に東京へ住んでたんですけど、あまり会えないうちにあっちへ引っ越しちゃった。そしたらそのほうが行きやすくなったという事情もある。

 兵庫駅前にあったレンタルビデオ店に『愛の戦士レインボーマン』が全巻揃っていたんです。それを数本ずつ借りて、Yの家でダビングさせてもらうのを何度も繰り返す・・・ということをやっておりました。東京に住んでいながら兵庫県のレンタルビデオへ通う――そんなアホなことをやってたのは私くらいなものだとも思うが、あのときは特撮ヒーローへの情熱が非常に強かったからできたのでしょう。
 しかし違法ダビングを繰り返す私も私だが、たしか『レインボーマン』のビデオはレンタル禁止だったんじゃなかったっけ。だから東京のビデオ店では見かけなかったんだと思う。だけどあの店とYにはいまでも感謝しておるぞよ。

 あと、現地でYはマイカーでドライブしてくれたんだが、そのときのコメントを書いておこう。
「須磨は震災のときモロにやられた街なんじゃが、いま住んどる家のところだけは助かったらしいんよ」
「はい、ここが●●くん御用達のビデオ屋~」
「はい、ここが●●くんの事件の管轄だった須磨警察署~」
「はい、ここが●●くんの事件で有名な校門~」
 ●●くんというのは神戸連続児童殺傷事件で有名になった少年Aのことで、なぜかYはまだ一般には公開されてなかったはずの少年Aの実名を知っていた。地元ではみんな知ってたんだろうか?
 レインボーマンを求めて行ったのに、まさか酒鬼薔薇巡り(?)をさせられるとは予想外でした。ありがとね、Yさん。 (;^_^A

 

 

 なんか、ずいぶん関係ない話を書いてしまいました。いいかげんに閑話休題といたしましょう。
 えーと、なんだっけ? ・・・そうだ、もんたさんの訃報だった。正直、いまだに実感が湧かない。ただ、頭ではとても残念なことなんだろうなーというのを理解しているつもりなのだが。感情が追いつかないでいる。

 

 

 

 

 


 ほんの少し前、もんたさんがテレビ出演されたのがツイッターのトレンド入りしていて。後日、たまたまつけたテレビに映ったのがちょうどそれの再放送らしきものでして。その番組を拝見したんです。
 まったく衰えていない歌声。こりゃあ大丈夫だと。もんたよしのりの健在ぶりを見て安心したばかりだったのにね。

 

 

 もんたさんは私にとってのスーパースターでした。
 私は、いまもときどきアゴをしゃくれさせてみせることがあります。これに関しては猪木さんではなく、もんたさんの影響です。カッコつけてやってるつもりなのに、誰も気づいてくれません。