本邦初公開。あっしの姉です。
 お互い、もう長いこと会っておりやせんでしたが、必死に探しまくって、ようやくみつけやした。

 

 

 どーですか、このあざといファッション、あざといポーズ。まぁ本人が好きでやってるのであれば問題はないのでしょうが、あっしは恥ずかしくて見ちゃいられやせんよ。

 いまでこそ姉はこうなっちまいやしたが、もともとは非常に面倒見のよい、気持ちのやさしい女だったんですよ。
 例えば、うちは父と母が共稼ぎなうえ子育てには無関心な家庭でした。そんな親に代わって、あっしを世話してくれたのが他ならぬ姉。

 

 

 近所の子と遊ぶときも、あっしと一緒。

 



 勉学に励むときも、あっしと一緒。

 



 いまにして思えば、よくあんな劣悪な環境のなかであっし優先に動いてくれたものだと頭の下がる想いでございやす。そして姉がいなければ、今日のあっしの存在は確実にあり得やせんでした。

 

 

 そもそもの話、上州新田郡(ごおり)三日月村の貧しい農家に生まれたあっしは間引かれる運命にあったのです。家が貧困すぎて。いや、うちだけでなく村全体が貧しかったので、間引きは暗黙の了解にされてたんでありやす。
 母親から赤子が生まれる。それを待ち構えていた父親が手をかける。子は、間引かれるために生まれてくるようなもので。
 間引きの手段として使われていたのがコンニャク。あれを赤子の口へ詰め込み、窒息させるというのが主な手順でした。
 しかし、そんなことに使ったコンニャクでさえ取り出して食べなくてはならない・・・・・・それほど貧しかったのでありやす。

 あっしも例外ではなくコンニャクが用意されていたらしいのですが、父が実行する直前、機転を利かせた姉があっしを奪い去り、ひと晩じゅうどこかへ隔離してくれたのです。

 翌朝は村祭りでした。姉は「きょう生まれた子だー!」と、あっしを近所じゅうに見せてまわったのだそうで。
 間引きは暗黙の了解ではございやすが、こと村祭りの日に生まれた子だけは間引いちゃならねえって決まりが、そこの集落には存在しておりやした。この姉の行動により、さすがに父も母も間引きを諦めざるを得なくなったのでありやす。

 

 

 ――そんな話を姉から聞かされたのは、あっしが10になったころ。以来、故郷を捨てて無宿渡世の世界へ。食い物はなんだっていただきやすが、どんなにひもじくてもコンニャクだけは口にできなくなりやした。

 



 そこで皆さんに質問です。
 間引かれそうになったことはございやすか?
 または、身内に殺意を向けられたことはございやすか?

 

 

 姉は、あっしにとっちゃ命の恩人。風のうわさで家族は、あっしが故郷を捨てたすぐあと一家離散したと聞いておりやす。姉は病死したと伝わっておりやした。まぁ、世の中そんなものでしょうよとしか思わなかったものですが、生きていたとはね。
 天保九年現在、何処ぞの宿場で売れっ子の飯盛女として荒稼ぎしているそうで。
 もう会うことはないだろうとは思いやすが、姉(あね)さん、せいぜいお達者で。

 おっと、あっしにしちゃ、ちょっとしゃべりすぎやしたね。先を急ぎやす。ごめんなすって。