前編をupしたら一部の層から予想以上の反響をいただきました。これはひとえに岸田さんの話が面白いからだと思います。書いてるほうも、当初は「とくに印象的だったポイントを書き起こしてみたい」をするつもりが、端折る箇所が少なくて結局はほとんどの部分を掲載してしまってます。
 後編の今回も、カットした部分は非常に少ない。それだけ内容が面白かったですから。
 あと、アメブロで岸田さんについて書いておられる記事も見てまわりました。すると大半の方が『きみの朝』にまつわる内容だったんです。
 もちろん『きみの朝』は大ヒット曲ですから知名度が高いのは当たり前なのですが、私が岸田さんの曲でイイと思うのは『きみの朝』以外の曲なんですよね。『きみの朝』以上に推したい曲が、岸田作品のなかにはいっぱいある。『きみの朝』だけの人じゃないから私は岸田さんを推せるんですよ。
「『きみの朝』は好きだけど、それ以外の歌は知らない」という人にはぜひ、ほかの曲も聴いてみていただきたいものであります。

 

 

 それでは後編、いきます。
 前回以上にビックリなエピソードが飛び出しますので、コーヒーかサントリーオールドでも飲みながらお楽しみください。コーヒー

 

 

「ようこそ、スナック歌謡界へ。ここは昭和歌謡のスターたちのオアシス。あの日の内緒ばなしや、驚きのオンステージがきっとあなたを酔わせます。今夜も私と一緒に、いちばん輝いていたあのころへタイムトリップしてみませんか? じつを言うと、昭和歌謡界の住人たった私でも知らなかった話が次々と飛び出て、毎回驚き、そして楽しんでいます。マスターという立場を忘れるほどに。さて、今日はどんなスターとどんな昭和を過ごせるか。開店の時間でーす」



太川「デビューが、1ヵ月違いなんですね」
岸田「えっ」
「1976年、昭和51年の11月でしょ」
「ボク、11月です」
「ボク、12月なんですよ!」
「へえー!」
「それ今回、初めて知って。1ヵ月違いなんだって」
「ということは、芸能生活45年」
「ちょうどおなじですね」



「『金八先生』って、大ブームになったドラマ。じつは・・・なんですよね」
「じつは『愛と喝采と』っていうドラマで『きみの朝』がヒットしたときのテレビ局のプロデューサーが・・・柳井さんが温めていた教師シリーズというのをやろうと決めたんですよ。そのときにボクの『きみの朝』が売れたので、ボクが京都教育大学の学生だというのもあって・・・」
「そうだ! 先生になるつもりだったわけだから。ピッタリだ」
「そうそう。『きみの朝』が売れたとたんに、うちの事務所は音楽事務所ですから、全国にツアーのスケジュールをドアーっと入れちゃったわけですよ。だから『ドラマを撮ってる時間はありませーん』って」
「断わっちゃったの?」
「断わったというよりも、できませんっていう話をしたときに、なんと『幸福の黄色いハンカチ』でこうなって(手で持ち上げる仕草)、ひと区切りついていた(武田)鉄矢さんがいたわけですよ」
「おなじ事務所?」
「おなじ事務所なんですよ、海援隊も」
「『うちの岸田はダメだから』? じゃあ・・・」
「もう、『武田鉄矢、ちょうど空いてますけども』みたいな(笑)。そうすると、鉄矢さんが出てくれるんだったら・・・鉄矢さんも福岡教育大、かじってますから」
「そうなの?」
「『だったら、鉄矢さんにやってもらって、次のパターンを岸田さんにっていうことにしましょう』みたいなことが、事務所で話し合われたらしいんですよ」
「じゃあ『新八先生』も、もうそのときに次は・・・って決まってたの?」
「もう次の先生シリーズはボクで・・・っていうことは決まってた」

 

 

「『金八先生』やる前に、そのプロデューサー・柳井さんから「この詞に曲を書いてみて」って言われて、もらって、見たら『暮れなずむ町の・・・』」
「『贈る言葉』!」
「『贈る言葉』の詞なんですよ。で、『武田鉄矢』って・・・『鉄矢さんが書いた詞ですか?』って。『そうなんだよ』ということで、『ちょっとこれに曲を書いてみて』って言われたときに『ボク、他人が歌うためにって、あまり書いてなかったので、どうせ自分が歌うんだと思って作ったんですよ』」
「あ、もう作った?」
「作ったんですよ。歌い上げる歌を。で、渡してたんですけども、あとで訊いたら、鉄矢さんが歌うというね、ことなんで・・・『このメロディーで、こんなハイトーンで、こんな幅の広い曲は歌えねえよって話(笑)。もう最初に言っといてくれりゃいいのに。当然ボク、自分で歌うんだと思ってましたから。そうじゃなかったんですけれども。で、そのおかげで名曲が生まれたという・・・(苦笑)」
「あれは誰の作曲でしたっけ?」
「千葉(和臣)さんですよ。海援隊の」
「そうかぁ・・・。他人にも幸せを与えてるじゃないですか。いいチャンス。自分もチャンスをもらってっていう人生・・・他人にもそうやって与えてる」
「(笑)でも、流れからすると、人生ってものはそういうもんなんですよ。金八先生はボクには縁がなかったと。流れで、そうなったということ。ボクが金八先生やったらね、きっとあそこまでヒットしてなかったと思いますよ。だって演じるのは『台詞がなくていいよ』って、『歌ってりゃいいよ』って、そのすぐ次ですから」
「そうか」
「それをね、金八先生のあの長台詞でこうやったら、ボクには到底、できましぇ~ん、ですよ」
「ハッハッハッハ。ああ、そう。でもあれが大ヒットして、そのあとやんなきゃいけないわけでしょう」
「半年間あるわけじゃないですか、金八先生が。そしたらもう中ほどから視聴率がグングングングン上がって、雑誌でも取り上げるし、すごいことになっちゃって。『これ・・・この次、オレだよなぁ』って思いながら。演じたこともないのに」
「こわっ」
「今度は歌だけ歌ってちゃダメなんだと思ったときに、新宿の喫茶店に鉄矢さんに来てもらって『鉄矢さん、ちょっと、どういう気持ちでやったらいいか教えてくださーい』って、いろいろ訊いたことありますもん」
「へーえー。そしたら?」
「そしたら、『もう、思いどおりにやりゃいいんだよ』って、それで終わりだった。ぜんぜんタメにならなかった」
「(笑)もっと欲しかったのに? アドバイスを」

音譜『1年B組新八先生』主題歌『重いつばさ』


「新八先生って、なんの教科の先生か、みんな知らないんですよ。・・・・・・英語の先生なんですよ」
「新八先生? ホント?」
「半年間のなかで、26話のなかに、3回しか英語のシーンが出てきてないんですよ」
「授業の?」
「そう。『さあ出席とるぞ』って言ったら、かならず事件が起こって『なにぃー!』って(ダッシュの動き)」走る人
「ハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
「外に走って・・・河原を走ってます」
「ハッハッハッハッハッハ! ああそう、よかったですね」
「よかった、よかった」
「へぇー、体育教師じゃなかったんだ」
「そう」
「でも難しいですよね、子どもたち相手で。子どもを説得したりしないといけないじゃないですか。そういう台詞って難しいですよね」
「もう、とにかく、お芝居を自分が作っていかなくちゃいけないっていう立場。子どもたちはお芝居、作るんじゃないので。そういった部分のなかではやっぱり、役者として技量がいるんだなーっていうのは、そのときにすごく感じましたよ」
「でもそれがきっかけで、また『渡る世間は鬼ばかり』に出たりするわけでしょ?」
「『渡る世間』は、また違うプレッシャーで。もう周りが名優さんだらけなんでね」
「しかも長く続いてる。何年目に参加ですか?」
「いや、パート1から、途中から入ってきて、『遺産をよこせ』という役で入っていって、で、改心をして、“幸楽”で働き始めるというところまでがパート1で。そういうところから入ってきて・・・」
「途中で入ると、ちょっと嫌だったでしょう。もう空気あったまっちゃってますもんね、現場の・・・」
「まあでもね、仲のいい人たちばっかり・・・赤木春恵さんも(『新八』の)校長先生で一緒だったし」
「ああ、そうか」
「そういう顔見知りがいてくれたんで、かなりラクはラクでしたけどもね」

 

 

「橋田(壽賀子)先生は、ぜんぜん岸田さんのことを知らなかったんですって?」
「そうですよぅ! 橋田先生はね、10年くらいずっと『渡る世間』やってて、『岸田くんて・・・あんた、歌う人だったんだね』って(笑)。『え、知らなかったんですか?』って。『そう、ボク、歌手なんですよ』っていう話をしたら『アラそう』って」
「それで終わり(笑)? そっから話、進まないの?」
「そうそうそう。でも、10年間は役者として見てくれてたんだなあっていうことの裏返しですから。だから、それは嬉しかったですよ」
「じゃあ、橋田壽賀子先生に届くように、『きみの朝』を。歌手だよってところを。歌っていただきたいのですが」
「アコースティックヴァージョンというか、ギターヴァージョンをね、ちょっとボク、あの曲でやってみたくて」
「あれ最初、ピアノからですもんね」
「コンココーン、パパパンパンパンパーンパパパ・・・♪」
「あれが朝っていう爽やかさなんですよね、ピアノのね」
「ずーっとそれで歌ってきたんで、それが聞こえてこないと『きみの朝』じゃないなあって思ってたんだけども、ギターでもやれるんだったらって思って。ギターのフレーズであれやろうと思うとね、すごい指使いが難しいんですよ。そうなんだけども、元オフコースの鈴木康博さん・・・鈴木のヤッサンに『ちょっとアレンジ手伝って』って言って、弾いてくれてるやつがあるんですよ」
「じゃあピアノのフレーズとおんなじことをギターで?」
「ギターで。ちょっと、それのヴァージョンで今日は、歌ってみたいと思います」

 岸田さん、『きみの朝』(アコースティックver.)を歌う。
 岸田さん自身がギターを弾くわけではない。


「ホント『渡鬼』ではね、いろんな人に、いろんな勉強させてもらいましたよ」
「(泉)ピン子さん、大丈夫でした?」
「ピン子さん、大丈夫でしたよ」
「(笑)あの人、本番の寸前まで話しかけるでしょ、ピン子さん。で、ハイっつって、すぐ切り替えられるのよ、あの人。瞬時に役に入れるのよ。話しかけられているこっちは、替えられない。だから、こっちはトチるわ、向こうはちゃんとできるわ。あのピン子さんの切り替えの早さ、すごいですよね」
「すごいですしね。岡倉のお母さん・・・山岡久乃さん、2ヵ月くらい舞台やって、ものすごい長台詞を山岡さんがやられてて、岡倉の藤岡(琢也)さんと、二人芝居で40分、しゃべってるっていう、そういう舞台があったんですよ。そのときにボクが出てて。出番を待つ袖があって、そこで二人で待つことがあったんですよ。ボクが『いやあ長台詞がすごいですよねー。長台詞、ホンットに覚えが悪くて』って言ったら、『敏志くん、500回やってできなきゃ、1000回やればいいのよ』って言われて。『そうですよねぇ』って、それしか言えなかった」
「それ言われたらね」
「だからそれで、山岡さんてそんなにやってんだってのが、その瞬間にわかってね」
「杉村春子先生もそうでした。言いづらい台詞があるじゃないですか。『100回練習すればできます、言えます』。あのへんの方はもう、すごいんです」
「ねぇ~」

 

 

「ところで。ここで、思い出の曲を、もう1曲お願いしたいんですが」
「『きみの朝』売れて、いろんなところでコンサートをやってるときに、出待ちしてる女の子のワーッといるなかに、ひとり、少年がね、いて。かき分けるようにやってきては『岸田さーん、あの曲はどういう気持ちで歌ってるんですかー?』っつって。中学生なのか高校生なのか、そういう子がいたんですよ」
「女の子がキャーキャー言ってるなかで?」
「言ってるなかを」
「一気に質問しに?」
「そう、男の子がスッて。けっこう鋭い目をしてね。何回もそういうことがあったんで・・・」
「あ、何回も来てんの?」
「そう、何回も来てんですよ」
「歌い方を訊いてたの?」
「そうそうそうそう」
「で、なんて答えたか憶えてないですか?」
「あの・・・・・・詞をよく・・・よく噛みしめてごらんとか、なんか言ったような気がするけど(笑)。ぜんぜん、いい加減なことを」
「(笑)」
「それが、マネージャーが『あの子が、あの子が、なんかレコードデビューするらしい』って。その彼がね、なんと尾崎豊だったの」
「すーごいじゃないですか!」
「でも、そのときに思った。出てきたときに『この顔だあ』っての、すぐわかりましたね」
「あの子だーって?」
「そうそうそうそう。で、歌を聴いたら、ものすごい、いい歌を歌ってるんですよ(笑)。テーマもね、ハッキリしてるし。で、どことなくね、ボクの歌い方にもちょっと似てるところがあるんですよ」
「ほええええええ」
「ボクが、例えば叙情派フォークだとすると、彼はそこにロックをちょっと入れてってみたいな歌い方なんだけれども、発声の仕方というのがすごく似てるなあって思ったことがやっぱりあって。彼が好きな音楽という部分のなかで、ボクの歌い方っていうのも、たぶん彼のなかには好きな部分があって、たぶんほかのものもいっぱい聴きながら彼の音楽が出来上がったんだろうなっていうのは、すごく感じましたね。それから名曲がどんどん彼も出てきて、『I LOVE YOU』っていう曲を聴いたときに『こーりゃあ、いい曲だなあ!」と思ってね。すごいいい曲だと思って・・・」
「どうですか、歌詞の意味、噛みしめてました?」
「もう噛みしめまくって・・・」
「ハーハハハハハハハハ!」
「噛みしめたらね、上手く歌えません」
「ハハハハハハハ!」
「今日はちょっとそれをね、やってみようかなーと」

 岸田さん、『I LOVE YOU』を歌う。

 


「(拍手しながら)いやあ、いいですねえ」
「なかなか、名曲ですね」
「いや、いいですよ、歌」
「ありがとうございます」
「今回、キーの高い歌ばっかり選ばれましたけど」
「あのね、ボクの特徴っていうのはやっぱりハイトーンなんで、それで好きな歌がこういう歌になっちゃうんだけども。ずーっと続けては歌えない」
「アッハハハハハ。ちょっとインターバルをね。お酒飲んで」
「飲まないとね(笑)」
「ボクはファルセット、ダメなんですよ」
「ああ、そうですか」
「だから、(『I LOVE YOU』の)かたーく♪ ・・・あれ出ないんですよ。だから聴いてて『いいなあ』って。ファルセット、どうやって出すんですかぁ?」
「ファルセットはね、すべての力を抜いちゃう」
「抜くんですか。力みすぎなのかな?」
「鼻歌でね、フーンフンフーンフンとかって・・・」
「フーンフンフーンフン・・・」
「そう、それファルセットなんですよ」
「かたーく♪ ・・・これだ!」
「それです、それ!」
「かなーし♪」
「それ」
「(手をパンと叩いて)ようっし、ボクも次、歌お!!
「ハッハッハッハ・・・」
「ご指導、ありがとうございました。そうか、力みすぎてた」
「そうそう、力入れちゃったら、ぜったいダメ」
「そうかあ」

 

 

 終了~。も~うね、岸田さんがこんなにビックリエピソードをお持ちの方とは想像もしていませんでした。
 とくに終盤ね。岸田さんと尾崎豊さん? まさかの組み合わせ。考えたこともなかったよ。イメージがぜんぜん違う両者だけに。だって教師になるはずだった岸田さんと、かたや教師にケンカを売るような歌を発信することになる尾崎さんですよ(笑)?
 発声の仕方、似てるかなあ? ああ、低音が似てるかも。いや、高音も似てる。・・・ちょっと待て、若いときの岸田さんの顔つきも尾崎さんに似てるぞ! おいおい、何もかもソックリじゃないか! (◎_◎;)
 尾崎さんの音楽については、浜田省吾とか佐野元春とかブルース・スプリングスティーンとかジャクソン・ブラウンらの影響を受けたらしいって、そのへんの面々なら聞いたことがあったけど、岸田さんの名前は聞いたことがなかったんですよね。叙情派フォークで新八先生やってた岸田さんとはあまりにも世界観が違うから、イメージを保つために尾崎さんはあえて岸田さんの名前を挙げなかったのかな?
 いまも尾崎さんが生きておられたなら、現在の岸田さんのようなお姿になっていたのだろうか?


【関連記事】なんと、歌手としての岸田さんを知らなかったと思われる尾崎豊ファン(?)が時系列パニックに陥ったような記事がありました。 ※コメント欄に、おそらく『スナック歌謡界』を見たと予想される人からの投稿がみられます。


 ひとつだけ。岸田さんには申しわけないんですけども、私の勝手な思いがあるんです。
 前編でちょっとだけ触れていましたが、岸田さんは故・本田美奈子さんらと『ミス・サイゴン』というミュージカルへ出演されていたことがあります。このときに岸田さんは、より腹式呼吸を重視する歌い方にシフトしてしまったのです。そこが個人的にはちょっぴり不満でしてね。
 と申しますのも、私は岸田さんの、囁くようなと言いますか、壊れそうなと言いますか、初期のナイーブな歌い方が好きだったんですよ。その後の力強い歌唱法は、岸田さんじゃなくてもやってる歌い手はいっぱいいるんじゃないかと思うのです。いまの『きみの朝』は、コーヒーよりもプロテイン飲んでるほうが似合いそうな気がしなくもなくて(苦笑)。
 だけど、その歌い方のほうが本来は正しいのでしょうし、ご本人が仰るように、その歌唱法だから歌手生命が長く続けられていると言われれば、そうなのかもしれません。痛し痒しですな。 (^^ゞ
 前の歌い方も、やろうと思えばできるのかな? ついでに、お蔵入りとなった岸田作品としての『贈る言葉』も、どこかで聴けないものだろうか。

 

 

音譜番組では扱われませんでしたけど、個人的にお気に入りなナンバー『酔待草』(1978年発売)を貼っておきます。 ※動画サイトには「生涯で聴いた歌で一番好きな歌です」とコメントされてる方もおられました。


 ――そんなわけで『太川陽介のスナック歌謡界』岸田敏志編、非常に取れ高の大きい回でありました。

 


 ただ、このお店、お客さんがひとりしか来ないスナックなんですよ。本物のお店だったら経営が成り立たないだろうな。
 しかもゲストがお金を払ってるの、見たことないし。¥