テーマ「テレビ/映画」の記事が4月30日を最後に、ここ半年ほどは途絶えておりました。
 それまでは1年で8本という、当ブログとしては多めの頻度でやっていたのがストップしてたんです。本日は久しぶりにこのテーマでやりたいと思います。

 

 

 J・COMチャンネルで放送されてる『太川陽介のスナック歌謡界 ~昭和スターが集う店~』は侮れない番組だ。
 太川陽介さんがスナックのマスターに扮し、ゲストと、いまだから話せる当時のエピソードやヒット曲の誕生秘話などの貴重なトークを繰り広げる。歌唱パートでは、誰もが知る往年の名曲のほか、ゲストにとっての「想い出の名曲」も歌唱される。
 30分枠の番組だが、ひとりのゲストを前後編に分けて放映されるので、実質は1時間番組みたいなものかと。つまり、往年のスター歌手の話が1時間(CMをカットすると約50分)たっぷり聞けるというわけだ。
 一般の歌謡番組とも違い、ひとりのゲストだけにまるまる1時間も注ぐのだから当然、中身は濃くなる。よそでは聞けない「へぇ~!」って思うようなエピソードが飛び出すこともある。聞き役の太川さんも歌手として、ゲストの方々と同時期に活躍してた人。話の引き出し方が上手いので、ゲストもリラックスしながら話せるのではないでしょうか。
 だけどJ・COMのオリジナル番組ですからね、たぶん番組の存在じたい知られてないんじゃないですかね。その手の話が好きな方はチェックしといたらいいですよ。

 


 このほか、伊藤咲子さんが来たときは衰えぬ歌唱力で涙なしでは聴けない『乙女のワルツ』を披露。この方はカラオケパブを経営したり、近年でもテレビに出てる姿をちょいちょい見かけるので、日ごろから歌い慣れているんだと思う。
 ただ、さすがに“乙女”の声ではなくなっていましたよ(笑)。そのかわり力強く、堂々とした佇まいでしたけどね。

 

 

 そんな『太川陽介のスナック歌謡界』ですが、このたび記事にしたいと思ったのはシンガーソングライター=岸田敏志さんの回。かなり興味深い内容でした。じつは個人的に好きな歌手のひとりでもありました。この方、旧芸名「岸田智史」から改名されてるんですけど、てっきり本名をベースにした名前だと思っていたのに、いま調べてみたら「稲田英彦」っていう、かすりもしない本名でした。😅
 むかし何かの番組で、岸田さんがご自身のことを話してるのを見かけたことがある。憶えてるのは以下のとおり。


・一家がみんな教員だったそうで、本人も当初は体育教師志望だと話していた。ちゃんと教員免許も所持している。
・素人のころ下宿先の自室でギターの練習をしてたら近所から苦情を言ってくる人がいたので本来なら謝るところを、その人の言い方が「レコードの音を小さくしてくれ」だったので、自分の演奏がレコードの音として聞こえたことが嬉しくなって「ありがとうございます!」と返してしまった。
・代表曲『きみの朝』はサビの歌詞に「モーニング」というフレーズがあるが、作詞者の方は日本語しか使わないことで有名だったのに、横文字が入ってたから業界内でちょっとした騒ぎになった。


 そのへんの部分も込みだったり込みじゃなかったりでしたけど、だいぶ久しぶりにたっぷりと彼の話が聞けました。そのなかでも、とくに印象的だったポイントを書き起こしてみたいと思います。

 

 

 オープニングでは毎回、太川さんにより、この番組がどんな内容のものなのかを簡単に紹介されます。


「ようこそ、スナック歌謡界へ。ここは昭和歌謡のスターたちのオアシス。あの日の内緒ばなしや、驚きのオンステージがきっとあなたを酔わせます。今夜も私と一緒に、いちばん輝いていたあのころへタイムトリップしてみませんか? じつを言うと、昭和歌謡界の住人たった私でも知らなかった話が次々と飛び出て、毎回驚き、そして楽しんでいます。マスターという立場を忘れるほどに。さて、今日はどんなスターとどんな昭和を過ごせるか。開店の時間でーす」


 この間に使われるBGMは『木綿のハンカチーフ』⇒『Lui-Lui』⇒『ルビーの指環』。一転して音楽は止まり、コンクリートらしき壁で固められた薄暗い通路が映る。足音が聞こえてきてゲストの足もとから上半身(顔はハッキリとは見えない)にかけてパン、そして店内へ入ってくる瞬間にゲストの顔がわかる・・・というのが毎度のパターン。

太川「どうも、いらっしゃいませ」
岸田「ご無沙汰してます。来ちゃいましたよー」

「いちど、新幹線で会ったことありましたよね?」
「いつごろの話ですか、それ?」
「3~4年前だったような気がする・・・」
「えーっ、3~4年前に新幹線で!?」
「そう。新幹線でボクと、アダモちゃん(島崎俊郎)とか、アリスのキンちゃん(矢沢透)とか岡本信人さんなんかと軽井沢に遊びに行くってときに、おんなじ新幹線で乗り合わせたことがありましたよ」
「遊びに行くときに? ボクきっと『バス旅』ですよ(笑)。仕事ですよ」

「さてさて、今日、お飲み物。何をお召し上がりになりますか?」
「(棚を指さして)懐かしい“だるま”があるじゃないですか」
「じゃあ(サントリー)オールドで。飲み方は?」
「ロックで」
「おぅっ、ロックで! カッコいい・・・いつもそうですか?」
「もう・・・ちょびちょび」

 ここで『きみの朝』のサビが流れ、岸田さんの簡単なプロフィールが画面に映る。
 二人で乾杯して、オールドをひと口。岸田さん、聞こえるか聞こえないかの声で
「だるまだ・・・」。サントリーオールドの愛称が“だるま”ということを私は知りませんでした。

 

 

「教職員になりたくて、教育大へ行って。どこで繋がっちゃうんですか、音楽の世界と?」
「京都の大学に行って、下宿生活を始めて・・・。大学の3年のときに、一生趣味で使えるいいギターが欲しいと思って、洋酒喫茶っていうところがいちばん時給がいいってことがわかって、そこにアルバイトに入ったんですよ。4ヵ月くらいで18万円貯めて、持って、十字屋っていう楽器店があるんだけど、そこに行って(アコースティックギターの)マーチンのD-18ってやつを買おうと思って・・・『(弾くフリをしながら)わあ、いい音がするなぁ』って思ってたら、そこのお店の人がね、『こっちのギターも弾いてみますか?』って。マーチンのD-28っていうランクがひとつ上のやつをね、出してきたんです。(また弾くフリをして)こっちのほうが、ぜんぜんいい音がする』って(笑)、『また来ます』って、それからまた4ヵ月間くらい・・・」
「お金貯めて?」
「結局、32万。貯めて、買いに行きましたよ」
「最初に手にしたのがマーチン・・・!」
「下宿をすると時間が初めて、ものすごいあるわけですよ。自分の時間がね。夜中であろうがなんであろうが、やりたいと思ったら(弾くフリをしながら)、すぐにやれるし」

 


「それがまた、どういうきっかけで芸能界と繋がるんですか?」
「大学の4年のときに、卒業の前に旅をするのがステータスで。卒業旅行に北海道に旅行して、その帰りに東京にイトコがいるっていうんで寄ったんですよ。そうすると彼(イトコ)が『ピアノをやって作曲の勉強をしている』と。古賀政男先生の門下生だと言って」
「演歌系ですね、じゃあ」
「それはよくわかんなかったんだけど(笑)。彼んとこで『ボク、じつは曲を書いて、溜めて、遊んでるんだ』って言ったら『録音しようぜ』って。彼のピアノでアレンジしてもらって、その上にカセットテープを(ボタンを)ふたつガシャッと押すやつで、10曲くらい録音して遊んだんですよ」
「はあ!」
「ボクはそのまま帰ったんだけども、彼にCBSソニーのほうから『作曲してみないか?』っていうのがあって、夜中にやっと出来上がって、さあ録音だってときにカセットテープの新しいやつがなかったらしいんですよ。それで、消してもいいテープって『これだー』って選んだのがボクが録音して入れてたテープ・・・」
「ハッハッハ、その上に入れちゃったの?」
「消しながら、2曲だけなんで。そうしたら2曲は消えてたんだけども、そのあとに『黄昏』っていう曲が残ってたんですけども、提出したプロデューサーっていうのが、あの酒井政利さんだったんですよ」
「かぁ~、ソニーの。すごいプロデューサーですね」
「そのソニーの酒井さんが『この曲でオッケーですけど、そのあとに歌っているこの歌声の人は誰ですか?』って(笑)。『すいません、うちのイトコが遊びで録ったやつで・・・』って言ったら、『ちょっとお会いしたいんですけど』っていう話だったらしいんです。で、ボクの京都の下宿に『CBSソニーレコードの酒井と申しますけど』って電話がかかってきて、『あなた、レコード出しませんか』って言うから(笑)、その瞬間ピーンときてね。悪徳商法だって」
「ハッハッハッハッハ、詐欺の電話?」
「そう。だってまったく知らないところから、そんな・・・」
「一本目の最初の電話でいきなり歌手って言われたんですか? へぇ~!」
「そう。だから『ボクはもうすぐ教師になること決まってますんで、すいませんが』って切ったんだけども、また3日後くらいに『酒井と申しますけれども、こないだはちょっと変なかんじにとられたみたいですけども、イトコの方から聞いて、こうこうこうで・・・って、『ホントなんだ』って」
「詐欺じゃないんだ」
「詐欺じゃないんだと思って(笑)。でももう大学の4年の秋ですから、もうそんな進路を変えるなんてできないと思ってたから、『ちょっと、もういいです』っていう話してたら、『冬休みに、とにかく新幹線代と泊まり、ぜんぶ出してあげるから、遊びにおいで』って誘われて、ソニービルへ行ったらば『お待ちしておりました』って。パッと見たら山口百恵さんとかね、郷ひろみさんとか、すごい(写真が飾られてる?)バァーってなってる部屋に通されてですね」
「酒井さんがその人たちをプロデュースしているのを、まだそのときは知らなかったんですか?」
「ぜんぜん知らなかったです。酒井さんが部屋に来られてジーっとこうやって(全身を)見たあとに、いきなり『ねぇねぇ、あなたね、シングルレコードじゃ面白くないから、アルバムを自分の思いどおーりに1枚、作ってみないか?』って言われたんですよ」
「すっごいなぁ!」
「その瞬間に『えっ、なにっ、拓郎とか陽水とか、ああいう、あれとおんなじようなアルバムができるの?』って思った瞬間に、『よろしくお願いします』って(笑)、もう頭下げてましたもん」
「もうそのときは教職員はどっか行っちゃった?」
「もう一瞬でしたよ」



「それから、『きみの朝』まで8曲目ですもんね」
「8曲目のシングルです。『愛と喝采と』というテレビドラマがあって、それを企画していたTBSの柳井(満)さんというプロデューサーがいて、『武井吾郎っていう役をやってもらいたいと思って』って。『えっ! ボクは演技なんかできませんよ』って言ってたら、そのプロデューサーがね、『いや、この3回くらいコンサートを見に行ったんだけども、あなたは、歌ってるときに、演じてます』・・・」
「かぁ~、口説き文句」
「プロデューサーって、なんでも言うねぇ(笑)」
「ハッハッハッハ!」
「それで、『ホントに大丈夫ですか』って言ったらば『大丈夫、キミは歌ってさえいればいいから。台詞はちょっとしかないから』みたいな」
「そこで歌うわけですね、『きみの朝』を」
「そうです。テレビ局もすごいことを考えたなあって思うんですけども、『ザ・ベストテン』っていうのが木曜日の夜9時からで、ボクが出た『愛と喝采と』っていうのがそのすぐあとの10時からのドラマだったんですよ。で、スポットライトっていうコーナーがベストテンにあって・・・」
「『今週の、スポットライト!』ってやつですね」
「そうそう。評判とかね、注目曲っていうのを新人がやるんですけども、そこにボクが出て、歌うんですよ。その歌ったすぐあとの10時からのドラマに、生で、さっきの映像を見ている十朱(幸代)さんが、女マネージャーという設定なんで、『あらー、吾郎ちゃんが出てる出てるー!」とかっていうのを差し込んで・・・」
「そこの部分だけ生放送でやったんですか!」
「生放送で。これを見てた人は本当なのかフィクションなのか、もうぜんぜんわかんなくなっちゃって。その次の朝からホントにワアーっと売れたんです」
「メッチャメチャすごい発想の売り方ですね!」
「すごいですよ」
「TBSをあげて作ったヒット曲みたいなかんじ」

 岸田さん、ここで『きみの朝』を歌う。

「43年も経ってるのに、声がまったく変わんないですね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
「清々しい声」
「ミュージカルを途中で10年くらいやってた時期があって、そのときに発声練習というのをやるようになって、それがあったからまだ声が出てんじゃないかなーって思うんだよねぇ」



「大学4年でそろそろ(進路を)決めなきゃいけないのに、結局、芸能界へ入ったじゃん。学校はどうしちゃったの?」
「学校はね、大学3年のときにずっとアルバイトしてたのがたたって、単位が足らなくて・・・(笑)。ものすごいカッコ悪い状況になったんだけど、親父たちがね、猛反対しましたから。デビューを」
「あ、芸能界に入るのを」
「芸能界なんて、まったく知らないうちの一族。みんなね、学校の先生ですから」
「固いんだ」

「固い、固い。『とにかく、大学だけは卒業するから』っていう約束をしたの」
「言っちゃった?」
「言っちゃった。『ようし、おまえがそこまで言うんなら、やってみろ』っていう話になって。だから意地でも卒業しないといけなかったんですよ」
「だって仕事してたら行けないじゃないですか。だって京都の学校ですよ。東京がベースでしょ?」
「木曜日の朝には、どこでどんなコンサートをやってても、ひとりボク寝台列車に乗って、朝、京都に着くようにブッキングしてもらってね。それはもちろん事務所は持ってくれるわけじゃないので、ボクの自腹ですよ」
「日本のどこにいようと? 電車賃使って?」
「そう。鹿児島でコンサートやったときもね、8時30分のやつに乗らないと間に合わないってなったら、コンサートが6時半からで、ふつうだったら8時半ごろまであるんですよ。それを『今日はじゃあ、3曲短くして』って・・・」
「寝台車に間に合うように」
「時間見ながら『今日はありがとーう!』って言って、幕が閉まっ・・・」
「それに来た人、かわいそう。『短いなぁ、今日』(笑)」
「背に腹は代えられない」
「事情は言わないんですね?」
「事情は言わない。言えないですよ、そんな・・・」

「毎週木曜日の講義だけは、かならず出たんですか」
「出れるときは、かならず出てっていうことで、大学の5回生、6回生ってやったんですけども、7回生になったときに・・・」
「7年も行ってたんですか」
「8年いました」
「ハッハッハッハ! ホント?」
「8年がギリギリでしたよ」
「けっこうなお金になりますよね」
「だからボクのアルバム、それまでの3枚、印税はぜんぶそれに消えました」
「交通費に?」
「交通費に。でもね、親父と約束をして、ひとつの目標ができたというかね。そういうことをきちっとやっていっていることっていうのが、ボクの人生にはぜったいに役に立つんだなって、思いましたよ」

「そのころは交通費が賄えるぐらいの印税収入じゃないですか。ドガアーンと入ったのは、やっぱり『きみの朝』ですか」
「その前にね、山口百恵さんがね、まだ『きみの朝』が売れる前ですけども、ボクに曲を書いてほしいって、3曲、アルバムに曲を書いたんですよ。そしたらね、その印税がね、驚きましたね」
「いつ気づいたんですか?」
「北陸のほうにコンサート行ったときに、使い果たしてますから、新幹線代で、2万あるかなーと思いながら(ATMを)こうやってやったらシュッと出てきて『ああ、よかったー』って。残高を見たら、見たこともない残高があるから」
「(桁の)数が違うんですね」
「他人の口座から・・・? 間違えたと思っても『ちょっと待てよ、そんなわきゃないよな』っていろいろ考えたら、『あ、これは百恵ちゃんの印税しか考えられない』」
「点があるじゃないですか、(残高の)途中に、点がね。点、ふたつはいくんですか?」
「ふたつはいってましたよ」
「印税で。そりゃあビックリしますよ!」
「だから帰ってすぐに、お金引き出して、マーチンのD-40を・・・」
「またマーチン買ったの⁉ だって32万円のいいマーチン持ってたじゃない」
「持ってますよ」
「いくらの買ったんですか、そんときに?」
「そのときには80万」
「うわー、80・・・! じゃあ、いまもそれ使ってらっしゃる?」
「いまも使っておりましたね。いまやファンの人たちのあいだでは“山口百恵号”っていわれていますから(笑)」

「ここで、思い出の曲をお願いしたいんですが」
「デビューすることになって、レコード会社が決まって、それから出版社が決まって、それからプロダクションがいるってんで、どこにしようかって言われたときに、まったく芸能界を知らないんで、紹介されたのが、大阪から出てきたばっかりで潰れそうな事務所(笑)。『でもアリスっていうグループがいて。それともうひとり、いまよくかかってるでしょう。“『いちご白書』をもう一度”のバンバンが・・・』って(言われた)。バンバンかって。そのときボク、東京に出たときに街を歩いてたらパチンコ屋のそば行くと『いちご白書』ばっかりかかってたんですよ。いい曲だなーって聴きながら思ってて。で、バンバンがいる事務所っていうんで『そこにしますー!』って」
「じゃあ、(思い出の曲は)ばんばさんの、『いちご白書』をもう一度?」
「あのころを思い出しながらね」

 岸田さん、“『いちご白書』をもう一度”を熱唱。

音譜こちらはトークのなかで出てきた、たまたまプロデューサーの目にとまってデビューのきっかけになったという『黄昏』。1977年、セカンドシングルとしてリリース。


 今回はここまで。
 後編は近日中にupします。お楽しみに。 (^_^)/~

 

<つづく>