どうも今回は書くべき記事が定まりませんでして。アレはこないだやったばかりだし、コレをやるにはもう少し時期を待ったほうがよさそうだ・・・・・・と、そういうネタならいくつもあるのですが。
 しょうがないので、本当はツイッター向けに書きとめていたんだけど投稿するタイミングを逸していたものをまとめて記事にしてみようと思います。



『ザ・ベストテン』というテレビ番組がありました。国民的人気番組『ニュースセンター9時』の裏で、ひっそりと放送されていたTBS系の歌番組です。昭和53年に始まり、毎週、番組が定めるヒット曲上位10曲のランキングが発表され、同時にそれらを歌う歌手が生出演で歌うというスタイルの番組でありました。
 この当時、歌謡曲には多大な影響力があったものと想像します。でもその手の音楽に興味のない者からすれば、ああいうのは「バラエティ番組のコントとコントのあいだにある休憩や準備のためにできる間を繋ぐために見せられる(聞かされる)もの」であり、ただただ退屈な時間でしかなかったのではないかと思います。
 まして歌番組となると、その「退屈な時間」をまるまるメインにしたショーなわけですから。ガチャガチャで怪獣やらスーパーカーの消しゴムをゲットしたいのにリヤカーの模型とかメロンの模様の入ったピンポン玉・・・といった、まったくお呼びでないシロモノばかりを引き続けてるみたいな気分で見ていた人もいっぱいいるハズ。
 でもテレビは一家に一台が当たり前な昭和のお宅では、家族のなかにそういうのが好きな者がいると、好むと好まざるにかかわらず見たり聞いたりしないわけにはいかなくなるのでありますね。



 そんな時代の番組。
 ですが、そういった番組は基本的に再放送はしない。まして『ベストテン』なんて、放送が終了した瞬間に賞味期限が切れてしまう性質なわけです。その週を見逃したら、もう永遠に見れるということはありませんでした。
 ところがです。TBSチャンネルさんでは、この手の番組を再放送してくれるようになりましてですね。何十年も前のテレビスターさんが歌ったりしゃべったりしてる姿をじっくり見返すことができるのです(※『ザ・トップテン』のほうはファミリー劇場で放送されてることがありました)
 これはイチ視聴者からすれば楽しいことなんでしょうが、かつての出演者からすれば恥ずかしいだろうなーと同情してしまう余地が大いにある企画でもありますね。・・・まぁ、だいたい面白がってますけど。


 

 その3回目くらいの再放送は1980年8月14日放送分から。この週のランクは以下のとおりとなりました。
 そのあとで書きとめていたものを並べてみます。先ほども述べたように、これらはツイッター用に書いたものなので、やや短い文の羅列になっております。


  • 当時の映像が流れる前に、現在の黒柳徹子が軽く解説をする。TBSチャンネルでは松田聖子初登場回ということでプッシュしている。演出家の意向で、空港へ到着した飛行機から一般の客が降りてくるのに紛れて現れ歌わそうとしたらしいのだが、放送にちょうどいい時間と飛行機到着時間にズレが生じ、番組側は航空会社へかなり無茶なお願いをしていたんだとかで。
  • まずは「レコード売上」「有線放送」「ラジオ総合」「はがきリクエスト」各部門のランク発表。律儀にも久米宏は、すべての曲を読み上げる。そして徹子はそれのジャマをするように茶々を入れる
  • もんた&ブラザーズが「レコード売上」「有線放送」「ラジオ総合」の3部門でトップ。そういえば後にもんた&ブラザーズへ強く惹かれることとなる自分としては、まさに見たかった時代の番組ということでもある。また、この手の番組は若い層が見るものだと思っていたのだが、意外にも「はがきリクエスト」上位には演歌やムード歌謡勢へのリクエストも多数入っていることがわかる。当時の若者は演歌・ムード歌謡にも抵抗がなかったということだろうか?
  • 10位のアリス。矢沢透がしゃべった(笑)。谷村新司が帽子を目深に被りすぎてて“次元大介”状態。娘さんが生まれたという話題に。
  • 9位のオフコースは例によって出演せず。この回の欠席理由は「レコーディングのリハーサル中」とのことだが、彼らがこの番組に出ることはその後もない。出ない理由を毎回考えていたのだろうか?
  • 8位で、この回のハイライトとされる松田聖子登場場面。中継で“追っかけマン”こと松宮一彦アナが東京国際空港からレポート。ところがやはりタイミングがよくないのか、松宮アナは全日空スーパージャンボ・ボーイング747SRの全長・全高・エンジンの推力とか、滑走路の広さだとか、誘導路が専門用語では「タクシーウェイ」と呼ばれるだとか、かなりどうでもいい無駄知識を延々と語り出し、明らかな「引っぱり」感が否めない。このときの視聴者は相当イライラしていたものと予想できる。
  • で、主役の聖子は「客に紛れて」ではなく真っ先に降りてきた。しかもスタンバってるのがわかるお粗末さ。その後ろを一般客がノーリアクションで素通りしていく。生放送の難しさといえばそれまでだが、演出家がこだわるほどの見せ場とは思えない画になっていた。
  • このとき聖子を見た久米宏は「この先、やっていけるのか?」と思ったそうだが、たしかにその体つきは弱々しく見える。もっと食べて適度に筋肉や脂肪もつけておかないと見映えもよくないし、受け身をとったときのダメージも心配。攻撃力もないだろう。マサ斎藤が佐々木健介に指導したように「おまえはタッパがないんだから横幅をつくれ」と助言する者をつけないとダメだ。あれでは立派なプロレスラーにはなれない。もっとも、後に江戸真樹という輪をかけて弱々しい人が現れ、そして半年で消えていくことになるのだが。

  • 7位の山口百恵、6位のシャネルズは出演せず。聖子のために時間を割いたので、番組サイドが「旬の過ぎた歌の歌手には出てもらわなくていいや」って思ったのか? シャネルズの「当分、この番組への出演は見合わせたい」との理由が気になる・・・ん、アレのことか!?
  • 5位のロス・インディオス&シルヴィアは品川パシフィックホテルでおこなわれているショーの真っ最中だが、そこから中継。どうせなら歌詞に出てくる「高輪」に合わせ、すぐ近所にある高輪プリンスホテルだったらよかったのにとも思う。歌いながらシルヴィアが会場の外側(客席の後ろ側)を歩いてまわり、これを反対側にまわっていた棚橋静雄が迎え中央で一緒になるという演出。カメラには映っていないが、マイクのコードをさばいていたスタッフがいたはず。そのヒヤヒヤ感を想像し、こっちまでヒヤヒヤする。
  • 4位は西城秀樹。初ランクインとなった曲。札幌市月寒公園野球場からの中継。こちらのレポーターはMr.デーブマン氏。とくに面白い場面はなく残念。ただ、草野球の選手たちがノックしてる横で歌っているのが地味に変テコであり、小雨が降ってるらしくグランドコンディションはあまりよくなさそうなのが気の毒であった。
  • 上位3曲へ入る前に、CBC中部日本放送の『CBC歌謡ベストテン』との中継が繋がる。ここで、アクエリアスなる謎バンドが紹介される。この地区では上位にランクインされるバンドなんだそうで。調べたところ、アニメ『まんが猿飛佐助』の主題歌を演奏していたらしい。ヴォーカル(このコーナーでは『社長』と呼ばれていたが)の河原龍夫氏いわく「ポスト山口百恵ちゃん」を掲げてデビューすることになったとのこと。
  • 11位以下の発表。中村晃子の『恋の綱わたり』、五木ひろしの『倖せさがして』、八代亜紀の『雨の慕情』の3曲がベストテンからランク外へ落ちていたことが判明。いずれもベテラン勢。とくに五木ひろしは、同一歌手による連続ベストテン入りの記録が途絶えてしまった残念な週になっていたもよう。
  • 3位は、まだフォーク色の強かったころの長渕剛。当然のように欠席。でも前の週では異例のテレビ出演を果たしていたらしい。
  • 2位の田原俊彦には15歳のファンからの要望でマット運動をやらせていた。ものすごくつまらなくて笑うしかない。現代なら炎上しそう。それより、歌の最中のバック転は「やってみた」感しかなく、やらないほうがいい。足を高く上げるアクションは、まずまず。
  • 肝心の歌なんだが・・・この人はとにかく低音が出ない。絶望的に出ない。しかし彼を真似する人が多いということは面白いと思われてるということ。あれをウリにしてしまったのかもしれない。とにかく、単に歌が下手な人というのとは違う種類の歌い手なんだと思う。
  • 1位はもんた&ブラザーズ。むかしはこの時期のこの番組へ出ていた彼らの映像を見たくて仕方なかったものだ。ドラム担当のマーティー・ブレイシーが自宅の奥さんと電話で会話させられる。奥さんは日本人らしい。だが事前になんにも考えてなかったらしく、グダグダな会話に終始する。このへんにも生放送のおそろしさが窺えるのであった。
  • もんたよしのりの挑発的な目がテレビ映えする。あれれ、この目、誰かに似てるぞ? ・・・おおそうだ、NOAHの拳王だ! もんたが似てるというよりも、拳王の目がもんたに似てるのだ。そういえば拳王を見るたびに誰かに似てると思ってたのは、こういうことだったのね。
  • 最後にもんたよしのりが事務所の社長と電話で会話する。社長の声が聞こえる。声の主は、北島三郎。そういえば彼らは翌1981年に大ブレイクすることとなる山本譲二と仲がよかった。北島音楽事務所所属だったのだ。

 

 放送を見て思ったのは、やはり歌手は基本的に歌以外は素人同然ということである。歌ったり演奏したり曲づくりをすることには非凡なものがあっても、しゃべりが上手いのかといえばそうではないのだ。ラジオでは生き生きとしている谷村新司ですら、テレビではかなり大人しくしていた。また、しゃべりを得意とする松山千春のような歌手に限ってテレビには出ないというじれったさが、この時期にはあったように思う。
 それはたぶん、文章にしてもおなじなんだろう。現在でも、SNSなどで面白いことを書けるミュージシャンを見かけることはめったにない。
 さらに生番組である。やり直しも、よけいな箇所をカットされることもない。ときに司会者から急にコメントを求められ、オタオタしながらもガンバって返す姿が見られる。が、やっぱりグダグダなのだ。録画され編集され安全仕様に加工された番組を見慣れている現代人の感覚からすると、かなり締まりのないやりとりに映るだろう。
 そんななか、久米宏の存在が非常に大きい。彼が進行役を務めているというだけで安心感が出ているのだ。だから徹子が暴走しそうになっても、ちゃんと軌道に戻してくれるだろうという信頼のようなものが、スタッフ間のなかにもきっとあったんだと思う。

 そしてこの回に関していうと、もっとも印象的だったのは歌手たちではなかった。松宮一彦氏である。
 たぶん多くの視聴者からすれば彼の長々と語る無駄知識の時間に、嫌悪感を抱いたのではないだろうか。もちろん松宮氏が悪いわけではないんだけれども。
 8位が発表される時間帯と飛行機到着の時間が合わない。ところが飛行機から降りてくる聖子の画をどうしても見せたいという演出家の意向も譲らない。それを強引に繋ぎとめようとした結果がアレだったんだろう。その溝を埋めようとした松宮氏が憎まれポジションを一手に引き受けたカタチになったのであろう。

 そういえば松宮氏もMr.デーブマン氏も、若くして他界されてしまった。とくに松宮氏の最期は悲しい終わり方だったものだ。
 そんな彼らの生き生きとした姿をたっぷり見ることができるこの再放送企画は、やはりアタリであったと思うことにしたい。