年内に書いておきたいものが残っておりました。
 じつは8月3日に、今年も新宿のヒルトンホテルでおこなわれた上野山功一さんの懇親会へお招きいただきました。
 この日の夕方まで、上野山さんは『イナズマンF』で共演された伴大介さんの集い「伴さん会」へのゲストとして参加。そのあと宿泊先のホテルへ戻って・・・という、いつもながらのハードスケジュールでありました。
 毎回毎回そうなのですが、私はあまり早くホテルへ着いてしまうと悪い気がするので程よいタイミングでおじゃましようと思ってるんです。だけど私が到着するころには既に多くの方がいらしてて、もう始まってる状態なんですよね。
 この日もそうでした。エレベーター前にて、この会の常連さんで阿佐ヶ谷の「延寿堂きくち整体院」で院長を務めておられる菊地先生とバッタリし、いつものように上野山さんのご子息に迎えられ一緒に部屋まで。そしたら、やっぱりもうみなさん楽しそうにやってる。これで「ありゃりゃ、遅れて損したっ」って気になる(笑)。

 

 

 部屋へ入った私は、そばにいた一世風靡セピアの志水さんとしばし雑談し、広川太一郎さんのお弟子さんで上野山さんが上京の際にはいつも世話役を買って出ておられる広川太三郎さんともご挨拶。なかなか上野山さんにはたどり着けない(笑)。
 なお太三郎さんは本当は弟子じゃなかったそうなんですが、私が間違ってここへ「お弟子」って書いたばかりに広川さんの奥さんから「弟子でいい」ってことにされたらしい(笑)。だけどそれを喜んでくださり、このたび奥さんが書かれたというストレッチ系の本をプレゼントしてくださった。こういうのが怪我の功名というのかな? ストレッチなら母が好きなので読んでもらおう。私も腰が悪いので拝見してみましたが、非常にわかりやすい内容になっていました。


本杉山ゆみ『50歳から始める介護されない体づくり:食事とストレッチで健康寿命を10歳延ばす』


 ようやく上野山さんにご挨拶ができた。上野山さんは
「いたんだろ?」と、てっきり私が伴さん会会場のどこかへ座っていたものだと思ってらっしゃったようですが、私は上野山さんが前にゲストだった回を最後に、あとは二次会のみを1回出ただけでそちらへは足を運んではおりません。
 この日も申しわけないんですが辞退いたしますという旨はメールしたんですが、どうやら上野山さんはピンときてないご様子。

「・・・ああ、パソコンのほうか!」
 おそらく上野山さんはメールをPCと携帯電話のものとで使い分けておられ、PCのほうは何らかの事情で見られない状態だったのではないかと思われます。そのメールでは「知人も連れて行っていいですか?」と伺うくだりもあったのですが、その知人の参加がなくなったのでとくに問題はありませんでした。 (;^_^A

 あとはみなさんで持ち寄ったおつまみを食べながら、ひたすら雑談タイムであります。私は主に、常連ではあるけれどこれまではあまり絡むことのなかった方と映画の話などを。
 しかし反対側の席には、この会初参加の岡田勝さんが座っておられます。そうです、大野剣友会の大ボスの岡田さんですよ! これまでは見かけたことのない若い女性(この日のうちは誰だかわからなかったのですが、あとでツイッターを見てみたらヒーローショーのお姉さんをしている方でした)を連れて来場されたらしく、その方を含めた複数人でゴキゲンに談笑されている。
 さらにその斜め前には、もう常連でらっしゃる脚本家・石森史郎さんが着座。毎回思うんですけど、この豪華な方々のなかに私のようなド素人が紛れ込んでいる情景に不思議さを抱かずにはおれません。 (;^_^A



 それではこの日、私が交わしてきた会話の一部を書いていきたいと思います。
 まず岡田さんとは、当初、既にいた何人かの方と楽しく話しておられたので、それを私は横で聞いていただけでした。そのうち飲み物を取りに行ったのかトイレへ行ったのかはわかりませんが(トイレが喫煙所ということになってたので)人が少なくなったため、だいぶ経ってから
「はじめまして」とご挨拶してみました。岡田さんも「これはどうも、はじめまして」と。そこから軽くおしゃべりをば。

「本当は初めてじゃないんですよ。中野でやった荒木しげるさんのトークベントで、いっぺんお会いしてるんです」

 大野剣友会といえば出演作品は多々ありますが、ここはまず『仮面ライダー』の思い出などを伺ってみました。会話をしていくうち、岡田さんの言葉のなかで作品に取り組む姿勢には自負があったのであろうことを窺わせるワードが含まれていたのを感じとった私は、あのカラダを張ったアクションをあらためて絶賛せずにはいられませんでした。
岡田「他がやらないことをやらないと」
 なんと頼もしいことでしょう。ものづくりをしている方は、こうであってほしいものです。
チアー「いつも『ライダー』シリーズを見てて思うのは、とくにエンディングで流される画で危険なロケをされてましたね。例えば、初期のものでいえば水へ落ちていくのとか」
岡田「最初は〇〇で、その次が△△で、3番目が××で・・・」
チアー「それ、落ちる順番ですか?」
岡田「そう、オレが4番目」
チアー「順番、ぜんぶ憶えてるんですね」
岡田「落ちるのは怖いよ。オレ、高いところ嫌いだから。でも、もっと怖いのは水。泳げないから」
チアー「何かの本に『泳げないメンバーがいて・・・』って書かれてありましたけど、あれは岡田さんだったんですか?」
岡田「そう。あとはブンヤと・・・」
チアー「いっぱいいたんですね、泳げない人」
岡田「まあね」
チアー「『X』のときのトンネルの上でのアクションも何げに危なくて、見ててヒヤヒヤします。あれ、足を滑らせたら落ちちゃうんじゃないですか? しかも視界の悪いマスクつけて・・・」
岡田「落ちるよ。あのトンネルは稲城の・・・」
チアー「歴代のライダー俳優さんのなかで、とくに『これは!』と思われる方は岡田さんから見てどなたになりますか?」
岡田「タケシだな」
チアー「いまどきのライダー作品についてはどう思われてらっしゃいます?」
岡田「見てないの」
チアー「私は屈折してるので、仮面ライダーに関しては衣装のほころびをみつけるのが好きでした。マスクが歪んでたり、後ろから髪の毛がハミ出てたり・・・おそらく作り手からすると『見てほしくない』箇所を見るのが好きで・・・」
岡田「ほぇー、いろんな見方があるもんだねぇ」
 高校時代の腕白だったころのお話も聞けましたよ。

 

 

 ここで快傑ズバットが登場しました。菊地先生はコスプレマニアさんで、コスチュームはご自身で制作されてるそうです。前回はショッカーライダー、そして今回は上野山さんが『ズバット』の第1話「さすらいは爆破のあとで」へ“日本で2番目の拳銃使い”ランカークとしてゲスト出演されたときに被ってた帽子を持参することになっていたので、満を持してのズバット参上となりました。
 菊地先生は身長も高くてスタイルもいいので、こういうのがとても似合うのです。映えるのです。むかしはヒーローショーで仕事されたこともあるって仰ってたかな?

 

 

 こうなると当然、撮影会の様相となるわけで。ショッカーライダーのマスクも持参してこられたので、それも込みの画となります。さながらカオスな世界観に。ショッカーライダーマスクに関しては、そのうちみんなで触ったり被ったりでオモチャになってましたけどね。岡田さんが被る=つまり本物になるひと幕もありました。
 なお前にも書いたことがあったと思いますが、ランカークの帽子は上野山さんが『イナズマンF』で荒井誠として被っていたのとおなじものです。

 

 

 上野山さんからは『ズバット』に関する貴重な証言をいただきましたので、ご紹介します。
上野山「(早川健の)チッチッチってポーズは、むかし宍戸錠がやってたやつだったんだ。それをスタッフだったか、どういうふうに彼(宮内洋)に伝わったのかは忘れたけど・・・」
チアー「するとアレをズバットで使われるようになったのは、もともとは上野山さんの案だったんですか?」
上野山「そう」

 やはり『ズバット』に日活色を持ち込んだのは上野山さんの功績だったことが判明しました。
 

 

 そして石森史郎さん。会の常連さんではあるのですが、だいたいどなたかとお話されてるので、これまでは私がお話を伺うということはあまりなかったんです。しても短い会話どまりでした。それが今回は、けっこう長めにお話していただけました。
 石森さんは劇場版『銀河鉄道999』の脚本も書いておられます。そのへんのエピソードを。

石森「松本零士は・・・」
 スイマセン。これ書いていい内容なのかわからないので、このたびはいったん見送らせてください。『999』ファンの方々にはビックリエピソードなんじゃないかと思うんですが。
 要望があればいつか書くかもしれませんが、書くとしてもアメンバー限定記事でですね(苦笑)。ただ、この話題には途中から岡田さんも入ってこられ、
「石森章太郎の奥さんがメーテルなんだよ。顔じゃなくて、あの格好が・・・」ってコメントされてたのだけは書いておきます(笑)。
 

 

 次に1974年公開の西城秀樹主演映画『愛と誠』について。
石森「(出演者が)いっぱい死んじゃってねぇ」
チアー「早乙女愛さんも亡くなってたそうですよ」
石森「へぇ、そうなの。彼(ヒデキ)が亡くなったときは相当悪かったみたいでね。言葉もしゃべれなくなってて・・・」
チアー「新御三家のなかで、元気がウリだった人が先に亡くなってしまいました。旧御三家、ロック御三家・・・いろいろある御三家で、彼がいちばん早くに」
石森「若い人が亡くなるのは本当に残念なんだよね。ボクの弟子も3人ほど若くして死んじゃってね・・・」
 

 

 石森さんが『ザ・カゲスター』では最も多くの回を担当されていたのを知ってましたので、そちらの話題を伺おうと思いまして。そしたら・・・。
石森「子ども番組は難しいんですよ」
岡田「カゲスター、やってたの?」
 ここでも岡田さん、興味を示されました。もちろん同番組でも大野剣友会が参加していたからなのでありますが。
 そこからは、なにやらお二人でカゲスタートークに突入していったわけですけれども・・・それにしても石森さんが88、岡田さんは69。この年代のおじさん二人がカゲスタートークを繰り広げている様は、もしも当事者だと知らない人が見たとしたらどう映っただろうか(笑)?

 

 

 そういえば岡田さんはこの日、石森さんのお顔を見ても当初はピンとこなかったってことを仰られてたっけ。
岡田「ぜんぜん会うことなかったんだけど、さっき名刺見たら・・・石森史郎? はて見覚えが・・・ああ、脚本で見たんだって(笑)」
石森「いい仕事してくれたから、ずっと会ってなくてもボクは憶えてたんだよ」
 


 あらためて感じたのは、上野山さんは本当に年齢を感じさせない。多くの方が指摘されてるように、なんといっても声に張りがある。上野山さんがご自身のブログで綴られてたのが、同学年でもある宍戸錠さんのお声が弱々しくなっていることを心配されていたこと。思えば森光子さんですら晩年は声に元気がなくなってたように思います。
 ところがですよ。石森さんにしたって口調はハッキリしてるしウィットに富んだ会話も容易くできちゃう。頼もしいかぎりです。もうこのお二人は年齢の常識を当てはめることなく、ずっとこのままでいていただければと希望いたします。あ、岡田さんはひと回り以上は若い世代なので、まったく心配ナシです(笑)。
 その上野山さんと石森さんですが、ここで素晴らしいことを企画されてるのだとか。来年はオリンピックだから上京はNGとのことですが、2年後、舞台を決行する企画があるのだそうです。これはいまから楽しみだぞぅっ!
アップ

 


【追伸】
 数日後、石森さんから封書が届きました。近々おこなわれる舞台『TOKYOせんちめんたるジャーニー』の公演案内を兼ねてのものだったのですが、それに加え、石森さん専用の原稿用紙2枚にわたり自筆のお手紙が添えられていました。有難いやら、おそれ多いやら。
あせる
 そこには、学生時代からのつき合いである上野山さんとの思い出話というか、上野山さんへの想いがビッシリと。石森さん曰く、上野山さんには当時から世話になったので頭が上がらないのだとかで。
 個人的なことになりますが、少し前、私とは最も古くからつき合いのあった知人が亡くなりました。誰かとの繋がりを長く続けることは本当に難しい。当人たちの意思だけではどうにもならないものだと思い知らされてたところだったのです。
 それを思えば、こんな高齢になるまで続けておられる上野山さんと石森さんの関係は快挙だと思います。まして他人とのかかわりが下手クソな私には、とてもマネのできることではないようにも思えます。
 どうかその関係を、いつまでもいつまでも続けていってほしいと願う次第であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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