5~6月の記事に「ある作業に追われていて、いまはブログどころじゃない」というようなことを書いたことがありました。今日はこれについて記事にしたいと思います。
 
 
 チアーさんが10年間参加していたサイト「イエスノー世論」が、5月31日をもってサービス終了するとの告知がありました。後にサービス終了日を6月28日まで延期する運びにもなったのですが、いずれにしてもこれまで書いてきた文章がすべて消去されることに違いありません。強い想いをこめて書いてきたコメントが多数あったため、これらが消されるとなると一大事なわけでして。
 このサイトであったことは当ブログでもよくネタにしているので熱心な読者さんはご存知な方もおられると思いますが、あらためて説明いたします。「イエスノー世論」というのは誰かが意見を書いたトピックを作成し、その意見に対し他の参加者がイエスかノーの二択に投票することで円グラフにて統計が見れるという性質のもの。さらに170文字以内でコメントを書くこともできる、というのがメインの遊び場でした。
 まだツイッターもなかった時期、自分の意見を不特定多数の人に発信できる場所として重宝していたものです。もちろん他者のコメントを見るクセをつけるのにも適したサイトであったとはいえます。さらには、とくに興味のなかったジャンルでも「それについて考えてみる」「一応は読んでみる」「ふだんからネタ探しをする」といったクセがついたことで、少なからず自分の視野が広がった部分もあったかもしれません。
 しかし、ハッキリ言って読解力に乏しい参加者が多数いたため、こちらとしては「限られた文字数のなかで、いかに正しく伝えられる文章を書くか」を考えさせられた場所でもありました。なにしろ「行間を読む」能力がまったくない人がものすごく多かったのですから。参加者の中心が、若くて50代。中心になってるのは60代以上。なかには70代以上と思われる層もいる。ならば良質な日本文学や歌詞に含みを持たせた昭和歌謡などに触れる機会はいっぱいあっただろうにとは思うのですが、どうやら読む力も書く力もなければ守備範囲も狭いと感じさす層が大半のもよう。ギャグセンスにかけては絶望的。プライドだけは高く、やけに沸点の低さが目立つ。過ちを犯した者は絶対に許さない――そんな人たちを相手に展開していくのですから、そりゃあ若い層は寄りつくはずもなく。まるで年寄りの寄合所みたいな場所になってた。平成世代のレギュラーは私くらいなもので。ショック!
 かといって、わかりやすくするためにベタだったり野暮な文章にもしたくないし・・・もっといえば、そんな人たちのために労力を費やすことは大いに疑問でありました。せっかく考えたトピックを投下しても趣旨が理解できる人はかなり少ない。だから適切な回答も面白いコメントも期待できない。それどころか、誰かが考えたトピックの揚げ足をとって面白みを潰そうとする者が多い。
 だから毎回毎回、虚しさを覚えないことはなく・・・そこらへんの問題に葛藤する日々だったともいえます。みんな「新しい人が入ってこない」って嘆いてましたけど、そういう空気にしてるのは自分たちのせいだって自覚してないんですよ。実際、面白みのあるメンバーはどんどん去っていきましたからね。
 
 ちょっと話を変えます。前にも書いたことがありますが、このブログにしたって当初は本当にブログを始めようとして作ったアカウントじゃないんですよ。最初はチャットで遊んでたのがきっかけ。たまたま参加してた人がやってるブログを紹介してもらったら、それがアメブロで。コメントでも書いてあげようとしたら、アメブロに登録してる人しかコメントできない仕様になってたから仕方なくアカウントを作って。でも自分がブログをやろうとは考えてなかったので、しばらくは放置してたんです。
 ある日、いつものようにイエスノー世論へコメントしようとしてたときのこと。自分の表現したいことがとても170文字には収まらないと思った私は、代わりにここへ文章を書き、そのURLをサイトのコメント欄へ貼りつける作戦に出た。それが最初の記事。そしたらサイト外の人もここを訪れるようになり、なんか知らんけど「もっと書いてほしい」みたいなコメントが来たりで。「そんなに需要があるんなら、たまには書いてみようか」ってなった。
 
 そういったツールをいくつも掛け持ちで同時進行していくうちに思った。「ブログは自分の城である」と。基本的に、見たい人が見にくる場所。それがブログなんです。
 でも、このサイトはそうではありませんでした。まるで自身のことを「まともな人物である」「常識人である」「正しい人である」とでも言いたいかのような論調で展開していく参加者が大半を占めていました。面白い文章を目にすることは、めったにありません。基本的に「いかに読み手を楽しませるか(ただし、伝わるのは100人にひとりくらいでいいと思っている)」、そして「他の誰にでも思いつくことを書くのはNG」を念頭に置きつつ文章を作っていく私としては、おそらく「楽しませる文章には興味がない」というか「正しいか正しくないかにしか興味がない」「我こそは正しいコメントを書く者なり」といった意識が強い参加者の集うこの場所は、常にアウェーだったといえます。ブログでは楽しまれるようなことを書いていても、そこでは「楽しみ方がわからない」というような人が多かったはずです。
 ツイッターは、このサイトとブログの中間くらい。見たい人(フォロワー)が見にくる場所でもあり、それ以外の不特定多数の人の目にもとまる場所であるという意味では。
 そんな過程を経て現在に至ってるわけですが、おかげさまで当ブログにも熱心にアクセスしてくださる物好きな読者さんもおられ、それはそれで有難いことなんですが。しかし、もっとも全温度指数の高い文章を展開していたのは間違いなくイエスノー世論でした。自分の好きなことを好きなように書いていけばいいブログは心地いい場所になりがち。でも、それだけだと「ぬるく」なってしまうおそれもあります。自分を理解できない人のほうが多数派を占める場での発信は明らかに他者とは違う異質なものであったと我ながら感じていましたし、文章の構成を考える機会であるとともにメンタルを鍛える場であったともいえました。
 
 もうひとつ、このサイトへ参加するようになった理由があります。私は人生の大半を支持率0の環境で過ごしてきました。「本当の自分はこういう考えがあるんだけど、それを肯定する人がいないのでぜんぶ飲み込んでオワリ」・・・な。でも、それだと「これは自分じゃない」との想いが常にある状態で生きてることになる。だけど、そういうものだと思って生きていくしかすべはないと思っていたところもあったかと。
 このサイトは世論サイトなので、世間の人たちがどんな考えを持って生きているのかがわかる。そして気に入ったコメントには支持票を入れられるようにもなっている。こちらが書いたものにも投票される。だから自分の考え・感覚が世の中的にはどのへんの評価を受けるのか、どこまで通用するものなのか――そのあたりを探るマシンになるのではないかとも思ったのです。
 やっていくうちにわかったのは、自分の考え・感覚は、そんなに悪いものではないというもの。これまでの世界なら支持する者など誰もいなかったのが、外へ出てみると案外、面白いと思ってくれる人もいるもんだというのは感じました。最初のうちはですけどね。
 その反面・・・いやそれ以上に、けっこうな高学歴で博識な人も多数参加していましたが、ひと皮めくれば「ああ、人間って、偉い人でもこの程度のものでしかないのか」というのを思い知るサイトでもあったのです。正直、レギュラーのなかでリスペクトできる人は皆無と言ってよかったです。たまに「オフ会しましょう」という声もありましたけど、誰と会いたいとも思いませんでしたもん。そもそもが、このサイトでは他者とコミュニケートをとることに興味はなかったので、誰かに呼びかけられるようなコメントを見かけることがあってもスルーしてました。
 まぁ、よくも悪くも勉強にはなったサイトでしたけどね。
 
 そんなこともあって想い入れは強い。サイト全体の空気があまりにもマンネリズムの繰り返し(似たような切り口のお題が繰り返され、どのメンバーがどんなコメントをしてくるかが容易に予想できてしまう)なため、途中からどうでもよくなってはいました。今後だって、いつ参加しなくなるかわからない状態でもありました。それでも、すべてが消されてしまうのはやっぱり痛いのです。10年前に書いた文章は、いまの自分には書けなくなったものもある。なかには当時の自分と現在の自分では意見が違うものもある。それらを確認するという意味でも、このサイトの存在は自分にとって大きいものでした。
 だけど閉鎖されるとあっては仕方ありません。せめて自分が書いたものだけはバックアップしておこうと。サービス終了が発表されてからは、その作業に没頭する日々が続くことに。
 ですが10年も参加していたサイトです。ここのブログで記事にする際には自分が作ったトピックをネタにしていただけですが、実際は他の参加者が作ったトピックへコメントで参加して書いたもののほうが圧倒的に多いのです。その数、合わせて4200件以上。バックアップ作業は予想以上の大変さになりました。
 
 ところでイエスノー世論へ参加するようになったきっかけは、まぐまぐという会社が発行するメールマガジンに以下のようなトピックが転載されていたのを目にしたからなんです。
『円谷特撮作品の最高傑作はウルトラセブンだ』というもので。
 これを見て当時の私はNo側の意見で一生懸命コメントを書いて投稿しようとしたところ、なぜかエラーになる。どうやらここは170文字しか書けないということを後になって知る。仕方なく1/3くらいに縮めたのが「たしかに『セブン』はメッセージ性が高いし映像クオリティもいい。ただ、物語の主役は常に宇宙人であり、人間ドラマに関しては少々不満だった。私が知る限り、円谷プロの最高傑作は『怪奇大作戦』である。この時期の特撮技術は最高であり、なんといっても人間の狂気が描かれているのが秀逸・・・」といったもので。
 しばらくはそれだけだったのですが、少しブランクが空いて再訪問すると、他にもいろんなトピックがある場所ということに気づき、コメント数も増えていくことになった次第。多い時期には1日に20トピック近く参加していたこともありました。
 だけど『円谷特撮作品の最高傑作は・・・』で他者のコメントをあらためて見てみると「それは答えにはなってないだろ」というものが非常に多かったのですね。
 
【例1】「ちょっと世代の違いを感じてしまうのですが、私が初めて見た円谷作品は1957年公開の映画『地球防衛軍』。私がウルトラセブンを見た頃はもう子どもではありませんでした」←これなんかは世代を言い訳にしてるのがダメ。ハナから「あれは子どもが楽しむもの」と決めつけている。このお題は「子どものときの思い出」ではなく、現在の視点で見て判断できて初めて参加できるトピックだから。見てないんだったら参加を控えるべき。それに、たぶんこのお題は円谷プロダクションとしての最高傑作を問うものだと思う。『地球防衛軍』は円谷英二氏が特技監督として参加はしているものの、東宝作品だからね。
 
【例2】「個人的にはゾフィーが一番かっこよかった。ただゾフィーが単体で放送していたかはよくしらない」←論外。どのヒーローがかっこよかったかじゃなくて、あくまでも作品を問うお題だから。文章力もそうですが、読解力も浮き彫りになってしまうのがこういうサイトのこわいところ。この人に限らず、「どのキャラクターが好きか?」と「どの作品が傑作か?」を区別できない者はけっこう多い。
 
 上記のトピックなんかは比較的楽しいほうではありましたけど、全体的には世の中に起こっている出来事や政治について論じようとするお題が多かったです。だから感情的になって互いをこき下ろすようなことを書いてくる参加者も多々見られました。殺伐としたところだったんです。
 
 イエスノー世論について書きたいことはまだいっぱいあるのですけど、長くなりそうなので続きは次回以降のテーマ「世論」の記事へ繰り越ししたいと思います。
 
 
 では本日のイエスノー世論回想記事にまいりましょうか。今回のトピックはイエスノー世論へは2010年2月に出題したものですが、当ブログでは2017年9月に掲載した記事の続編にあたります。このシリーズにはまだまだストックがあるのですが、なんと2年も放置してしまったことになります。いけませんね。
 とりあえず前の記事を見ていない人、または忘れてしまった人は今回の趣旨がわからないと思うので、いっぺん過去記事に目を通したうえでご参加ください。
 
 
【問題】
 
例の巨大化カレーを何も知らぬモンキーが盗み食い。彼は全長800mと化すが期待どおり・・・いや案の定、体質不適合で体重80㎏のままであった。町なかで横たわるモンキーは瀕死の重体。事情を知ったグレーは怒り狂い、正義戦隊と人類に反旗を翻す。ベージュに毒ビームを浴びせ、ブルーと共に街を破壊にかかった。参謀長は消息不明・・・。
 
あ、モンキーはどうしよう?
 
・もっとカレーを食べさせてみる→Yes
・ほっとく→No
 
ゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャーゴレンジャー
 
「なんか他のもん食わせろーーーー!」とコメントしつつもYesに投票してる人がいました。この方は面白がってくれてるのがわかるのでいいです。
 だけど「トピの状況説明だけではどういう事態が発生しているのかわからないのであらすじを最初から詳しくお願いします」「全温度チアーさんもう記憶できません」というコメントをしてくる人がいます。これはダメです。まずトピックを作成するにも文字制限があります(210文字)。だからこれ以上の情報を書くのは不可能なんです。それに過去のトピックを検索するツールならどのページにもついているのですから、例えば「キレンジャーズ」だけ入れて検索すればこれまでの流れは一発でわかるのですよ。それを使おうともしないのがおかしいのです。面倒なことならともかく、そんな簡単なことも怠ってるのがダメダメ。
 もうひとり、いいコメントしてる人がいた。
「800mで80kgの形状が猿じゃ1気圧常温下の気体水素よりも軽くなってる。数字の前提を守ったら、それって800mの糸状になったのか? 怖い! 怖すぎるぜそのカレー! カレーに近づく事さえ怖い! もう猿どころじゃない・・・」
 そうですよ、ここまで想像を膨らませてくれるようであれば当トピックも浮かばれるというものです。
 
 ちなみに「モンキー」というのは、このサイトの住人にしかわからないワードでもありました。よく政治家を「猿」呼ばわりして罵るだけのトピックを書いてくる人がいましてね。たぶん酔っ払った勢いで書きなぐってるんだと思います。文面だけを見れば汚いのですが、毎回毎回「猿」が出てくるのでだんだん伝統芸能とか狂言的な様式美に見えてきて・・・と言うとホメすぎか?
 文面が汚いうえワンパターンでしたから他の参加者からは苦情殺到ではありましたが、私は面白がってましたかね。ただの悪口なので本来なら私も嫌悪するところでしたけど、この名物キャラだった参加者のトピックは許せました。こちらが書くコメントにも、かならず猿を入れるようにしてましたよ。例えば「猿の国会がおこなわれ・・・」というような怒りモードのトピックが立てば、こっちは「むしろ本当に猿ばっかりの国会中継なら見てみたいので歓迎します」的なコメントをしてました。そのうち猿が出てこないものを出してきたら、良識派(?)のなかにはヨシとする者もいましたが、私は逆に不満なので「猿を出せー」ってコメントしたこともあったっけ。
 そんなこともあって、ある意味で「猿」というのはこのサイトにおける重要なワードでもあったのです。それを私がいじってみたくて拝借した次第でして・・・だけどこちらが「このサイトの住人にしかわからないワード」のつもりでも、実際には気づきもしてない参加者が多かったんだろうな。
 なお「キレンジャーモンキー」という呼び名が、この隊員に与えられた称号なのか、それとも本当に猿の隊員だったのかは明らかにはしていません。もちろん、わざとです。
 
コメント全温度チアーさんのコメント⇒【Yes】このシリーズ、今回で4回目となってしまいました。どうでもいいトピックにつき、お暇な方だけ適当に遊んでくだされば。この続きは私にも、あるのかどうか判りません。
【備考】壊滅した旧正義戦隊のうちキレンジャーグリーンの殉職理由は、上層部の「必殺ブロー“ギャラクティカ・ナントカ”を会得せよ」との指令により発電所に放り込まれたが、即死したためです。