(▼▼メ)/●~*【謹賀珍年】*~●\(▼▼メ)
 新年の挨拶はあまり好きではないので、素っ気なくこの程度で終わりにしたいと思います。
 
 当ブログにおける昨年(2018年)の記事を振り返ってみました。各テーマの投下数は以下のとおり。
 
 
 以上、37記事。10日にいっぺんの更新を守ってたらこうなった。
 よくもこんなに書けたもんだ。更新のペースは決して早くはないけれど、自分としてはこれでも多いくらい。もうちょっとローペースにしようかな?
 1日に複数回更新してるアカウントもあるけれど、ちょっとモッタイナイと思うことがあります(もちろん個人のブログですので、どんな展開をしていくのかは各々の自由なのが前提で申してるのですが)。というのも、よほどそのブログに興味があるという方は別として、通りすがりの人からは、アクセスした時点でトップになってる記事しか見てくれないものだから。
 更新回数が多いとアクセス数こそ稼げるでしょうが、それは読者登録してくれてるおんなじ人が来てるだけということでもあるわけで。伝えたいことがあって、より多くの人に見てもらいたいのなら、しばらく放置したほうがいいのではないかと思ったりするんですよ。せっかく「この記事、面白いんだけどなぁ」って思うような内容でも、過去記事にした瞬間、もうその記事を見る人が激減してしまうのが他人事ながら残念で。
 かといって、あんまり閲覧数が多いのも困りもので。スパムコメントが来たり匿名掲示板に晒されるなど、悪意ある者の餌食にされる可能性も高くなりますんでね。
 では私が「もっとローペースにしようか?」と思うのは多くの人に見てもらいたいのが目的なんじゃなくて・・・単に面倒くさがりだからなんですけど。
 
 2018年は大ヒット記事が出てしまいました。西城秀樹追悼記事です。あれをどなたかがツイートすると、たちまち多数のヒデキファンからアクセスが殺到する、という現象が未だに起こってます。ふだん重箱の隅をつつくようなことばっかりやってる当ブログですが、あれで「メジャーな題材を扱ったらこうなる」ことを思い知る経験にはなりました。
 ただし・・・これは前にも書きましたけど、いまのところ支持してくれてるのがわかるのはヒデキファンの方々からのようです。こちらとしては、そうじゃない人を対象とした記事にしたつもりだったので、その部分で本当に意図が伝わったのかは「?」なところもあります。
 だからヒデキファンの方から「もっとヒデキのことを書いてほしい」という声もあったようですが、それだと意味がないのです。面白くない。ヒデキファンじゃない人にヒデキを知ってもらうかわりに、ヒデキファンの人には『チコタン』を聴いてほしいしカブトムシのクイズもやってもらいたい。そのほうが100倍うれしいのですよ。
 せめて他の誰か・・・例えば「次は落合信子のことも書いてほしい」と言われるほうが、ぜんぜんうれしい(書かないけども!)。
 また、もともと当ブログをご覧いただいてる方からすると、あれがさほど特別な記事には映らなかったのではないでしょうか。ふだんがふだんですので、ここがどういうところかをご存知の方には「まぁ、こんなもんじゃろ」程度にしか感じなかった方も多いんじゃないですかね?
 書いてる側からすると一つひとつに想いはあります。大当たりしたからといって、あの記事だけがそんなに特別なのかというと、そういうものでもないですからね。
 一発屋の歌手が代表曲ばかり求められると「自分はそれだけの歌手じゃないぞ」と思う、ああいうのにも似てるんじゃないですかね?
 
 そうは言いますが「一つひとつに想いは~」のなかでも、強いものもあれば弱いものもあります。ここではよく「横着記事です」と宣言してることも少なくないですが、当然そういうものは想い入れが弱いです。
 ところが当ブログの場合、そっちのほうがウケがよくなる傾向にあるのが残念なところ(苦笑)。つまり、発信する側と受け取る側による需要と供給のバランスが反比例しちゃってると(爆)。
 だけど長くご覧になられてる読者さんならご承知だと思います。ここがそういうところなのを。「書いてる人が、期待されたら裏切りたくなる習性のある生き物なんだからしょうがない」・・・と、諦めのような目で見てくださってるんだろうと思っております。
 
 で。発信する側にとって想い入れの強い記事はというと、やっぱりプロレスになるんですよ。これは対世間モードを意図的に大きくして発信してることが多いので他の記事とはタッチが違います。
 プロレスの記事にすると、いつもはあまり見ない方からの反響が来る傾向になるのが面白いですね。ヒデキ記事ほどではないですけど閲覧数が多めになるのは、アメブロ登録者の外側からお越しの方が増えてるんだと思います。もっとも、かならずしも好意的な目で見られてるわけではないとも思いますが。
 だけど正直、プロレスの記事を書くのはしんどい。他の記事と比べ、より高い集中力と多少の闘魂を要するからだ。臨戦態勢に入る。返ってくるものに対抗するための準備は他の記事の比ではない。その点、昨年の記事を振り返ってみると・・・。
 
 上記のようにプロレスをテーマにした記事は6つもあったのには自分でも驚いている。しんどいと言うわりには、いちばん多く書いていたことになるからです。
 では内容的にはどうだったのか。
 前半は快調に、言いたいことを書いてます。でも長文すぎます。我ながら「それ、何回かに分けてupすればいいのに」「読むほうが大変だよ」って思います。そして現代プロレスにケンカ腰です(笑)。このスタイルは、すっかり定着してしまいました。なかにはそれが楽しみだという奇特な有難い読者さんまで現れるようになりましたが(爆)。
 ところが中盤になると息切れしたのか、次第に勢いの衰えを感じるようになります。見てる人はどう思われたかは存じませんが、自分ではそんな気がするのです。出来がイマイチな気がする。書いてても手ごたえがない、と言いますか。
 しかし、最後に投下した「クローズアップ現代を見て、また新日本に失望する」では、自己満足ながら久しぶりに会心の記事を書けたように感じました。でも、あれだって途中まではやっぱり「なんかイマイチかな~?」と思いながら書いていたものです。
 それが、ここで扱った“
社会不適合”というワードを咀嚼しているうちに一気にインスパイアさせられたのか、終盤の毒々しい文言が次々に生まれてきたのだからアラ不思議。それまでは感覚的には感じていたものの、どうもうまく表現できないでいたものが「そうか、これだったのか!」というカンジでポロポロと。なんとかカタチにすることができたような気分になれたのです。ひらめき電球
 たまたまこの記事を目にされたと思われる某現役プロレスラーの方からも、ちょっとだけホメていただきました。さらに社会不適合というワードを授けてくれた主でもあるターザン山本氏の目にもとまったらしく(当方では自身のブログ、他者のブログにかかわらず、つけたコメントの一部をツイッターへ同時投稿しているため)、これを拡散(リツイート)されるということがありまして。そうなると当然、多くのプロレスファンからのアクセスが殺到するわけです。
 山本氏が記事を「面白い」と思ってくださったのか、それとも「アホなやつがいるぜ」と思われたのかはわかりません。基本的に氏は「いいね」をしない主義の方なので、その真相はわかりかねます。ただ、当たり前なことや興味のないものには徹底的に興味を示さない氏がリアクションを起こしたということは、なんらかのカタチで琴線に触れる記事になってたのかなぁと、そこは光栄であったと解釈したいと思います。
ニコニコ
 
 やっぱりうちの場合は多数派を挑発するような記事になったほうが「らしい」ですよね?にひひ
 
 
 記事に採り上げたプロレス界で起こった出来事へ話を移しましょう。
 近年のファンには理解され難いのが前提なプロレスを期待していた諏訪魔と藤田の対決は予想どおりスイングしない試合となり。それでも私的には他の試合よりは圧倒的に面白く映ったのだが、やはりというか、その後は頓挫状態に。
 次に丸藤。全日本でチャンピオン・カーニバルを制覇したまではよかった。その勢いでいけば2018年のプロレス大賞MVPは長らく続いている新日本勢を抑えて丸藤になるのも現実味が出てくる・・・とも思ったが、案の定というか三冠獲りに失敗。(「本当に獲る気はあったのか」という疑問も相まって?)ここから失速へ。
 なんとか自身のデビュー20周年記念大会まではやり遂げたものの、その後はケガにより試合へ出ることすらできなくなってしまった。
 
 ここで丸藤のデビュー20周年記念大会でおこなわれたヒデオ・イタミとのシングルマッチについて少しだけ触れてみる。
 結論からいって、過去の両者の対決にみられたクオリティにはおよばない内容で終わった。その理由として挙げられるのが、彼らの体調の悪さ。とりわけイタミのほうが顕著であったとの指摘が複数件あり。試合後の本人の落胆した表情からも、単なる敗戦によるものとは違う、申しわけなさのようなものが滲んでいるように思えた。
 ケガについては仕方ない部分もある。それでも、やはりイタミ・・・いやKENTAの住むべきところはNOAHだと感じた向きも大勢いたのではないだろうか? WWEで、やりたいプロレスはできているのか? 体調が悪いなりにも、丸藤とやったほうがWWEでやるよりは燃えるものがあったのではないか? ・・・本当は彼自身も、それをわかっているのではないか?
 そうは言ってもWWEでこれといった実績を残せないでいる以上、手ブラで里帰りするわけにもいかず・・・といった塩梅だろうか(勝手な推察)。
 現状を打破するにはもちろん、ケガが回復するのがイチバンではあるが・・・。
 
 次。ではご期待に応えまして、今回も多数派を敵にまわすようなことを書いていきたいと思います。
 東京スポーツ新聞社が定めるプロレス大賞には棚橋弘至がMVPになりましたが、彼には当ブログからも「この人のプロレスは見たくない大賞」がもれなく贈呈されます。おでめとう。
昨年、棚橋は「プロレスは残酷なものであってはならない」とまで言い切ってしまったのだから、当ブログがこの賞を捧げたくなるのは当然でありましょう。激おこ牛若丸っすよ!プンプン
 プロレス大賞は各スポーツメディアの記者による投票で決定するものであるが、週刊プロレスでおこなわれた読者が選ぶ投票のほうでも棚橋がグランプリに選ばれた。
 いまに始まったことではないが、マスコミも、ファンも、もうどうしようもないところまで行ってしまった。本来の闘いよりも「お金になる」が、なにより評価されてしまう。プロレスラーの「強さ」で団体を引っぱっていた杉浦よりも、試合を休んで映画出演しても「プロレスを世に伝えるためによくやった」と解釈されポイントの対象になるのだから。殺伐としたものよりも、健全なもののほうが評価されてしまう。呆れてモノが言えんよ。もう、これについてはノーコメントじゃ! ヽ(`Д´)ノ
 
 
 週プロさんは毎回のように「新日本プロレスの客入りがまた伸びました~」と書く。さもグッドニュースだといわんばかりの論調で書く。でも。
 ならばこちらだって何度でも書く。私はプロレス団体の会場が満席だとか、売上げが好調とか・・・そういうのを見たいんじゃないんですよ。そりゃ儲かってないよりは儲かったほうがいいとは思いますよ。だけど、そこじゃないんだよなぁ。すごく雑な言い方をすればもちろん「闘い」ということにはなるのですが、最近のこの業界でいわれる闘いというのは私のいう闘いとは違うもののように思えて仕方がない。
 売上げを伸ばす闘い? わかるけども、そんなのどこの業界でもやってることじゃん。儲かってるところを見せるんじゃなくて、プロレスを見せてほしいのですよ。だいいち、なんで観るほうも一緒になってそんなとこまで心配しなきゃいけないんだろ? その話題、この業界に多すぎじゃない? もっと大事なところ、あるでしょ。
 そう、リング上のことなんだけども・・・。しかしそこがまたしょうもないのだ。いまの週プロはホメてばかりで単調なことこの上ない。
 週プロにみられる、よくある論調はこんなかんじだ。「むかしより洗練された技術だ」と。キレイなプロレスのことか? あんな「サーカスみたい」と揶揄される予定調和感満々なプロレスがか? 表面的なだけで気持ちがまるで見えないプロレスがか? 「攻防」ではなくて「殺陣」に見えるプロレスがか? 試合だけじゃなく言葉で補足しないと伝わらないのがフツーになってしまったプロレスがか? それを指して「時代だから」ということにするのか? で、あれで「むかしより進化した」ことになるのか?
 いや、週プロだけじゃないな。各メディアとも似たような論調だね。プロレスに対し、さも理解のあるような姿勢を見せつつも、じつは高をくくっている。本気度が伝わってくるものが、ほとんどない。
 
【結論】私が見たいと願うアンハッピーエンドなプロレスは、2018年も隅へ追いやられてしまいました。だからノーコメントじゃ! ヽ(`Д´)ノ
 
 
 最後に。
 12月5日、とうとうダイナマイト・キッドさんも逝ってしまわれた。
 
 
 死んだその日が誕生日。まるで、ど根性ガエルのような去り方でした。
 でも、ダイナマイト・キッドこそはもっともリスペクトできるプロレスラーのひとりであったことは間違いありません。


 彼は多くを語るタイプではありませんでした。
 そして私も、この場はあまり語らないでおきたいです。

 
 そんなわけで、ヒデキファンのみなさまにもプロレスの記事をお楽しみいただきたいと思います。
 あれを書いた人が、これも書いているのです。