$大正生まれのブログ

 11月25日。この日は『快傑ライオン丸』における、初代タイガージョー=虎錠之介を演じられた伝説の名優・故・戸野広浩司さん65歳の誕生日です。
 戸野廣浩司記念劇場にて戸野広さんのバースデーパーティーがおこなわれるとのことで、参加させていただきました。

 当ブログでは何度か記事にしたこともありますが、ここの劇場は戸野広さんのお名前を冠するだけあって、戸野広さんにまつわる企画が度々おこなわれています。また館内には戸野広さんが愛用していたというギターも置かれているのです。
 2月の記事では、戸野広さんが急死された直後の事がらが題材にされ、実話と創作を融合させることでファンタジックな世界を作り上げた舞台『トノ、何がしたいんだ?』について書かせていただいたものです。思えば、あの記事が当ブログ初の記事らしい記事でした。それまでからするとビックリするようなアクセス数をはじき出し、オロオロしたのをおぼえています(笑)。


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 当日。14時半受付の15時開始ということですが、例によってギリギリになってしまい、息を切らせながらの到着。
 受付には営業の黒田さん。ここへは伴大介さんらのトークショーをはじめとするイベントなどで何度も足を運んでいるほか、中目黒へ妹尾青洸さん率いるゲキ塾。さんの舞台を観に行ったら黒田さんと館長の平山さんがお越しになってて帰りに食事をご一緒させてもらったりで、たいへんよくお世話になってるのです。ちなみに『トノ』の脚本と演出は平山さんが担当されてました。
「間に合いましたか?」
 と焦る私でしたが、どうやら参加者の皆さんは電車の遅れなどが響いてほとんど来ていない。逆に、しばらく待つことになりました。
 唯一いらしてたのが、生前の戸野広さんを担当されてたマネージャーさんでした。館内には特撮ドラマにおいては屈指の名曲として知られるタイガージョーのテーマが流れている。いい機会なので、待っているあいだはマネージャーさんとお話させていただくことに。

 この日、私が楽しみにしていたもののひとつは、舞台『トノ』の千秋楽を撮影されたものの上映会です。2月に観劇したあとも「あのへんの意味は何だったんだろ?」「あそこはどうだったっけ?」と気になる箇所がいっぱい浮かんできて、できればもういっぺん観たいと思っていたのです。
 ですが基本的にはそれっきりというのが舞台ですから、まさかもういちど観れるとは思ってもいませんでした。だからとても楽しみにしていたのです。


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 平山さんが、戸野広さんのお母さまから届いたというハガキを見せてくださった。平山さんや黒田さんらは戸野広さんのご実家がある広島県三原市にも足を運ばれていて、ご遺族の方々とも面識があるらしい。
 舞台『トノ』を撮影したものは三原へも送ったのだそうですが、このハガキは、それに対する礼状でした。
 戸野広さんのお母さまの直筆文が私の手に・・・なんだか戸野広さんとの距離が近くなったような錯覚を起こしました。もっとも、私は広島県出身でして福山市にも6年弱住んでたことがあるので、もともと三原は少し馴染みのあるところではあるのですが。

 その映像がこれから上映開始されようとするところで、出演者だった斎藤啓子さんがご到着。舞台のときとはイメージが違い、お若く見える。
 あとで知ったことですが、この方は元女子プロレスラーだったらしい。そのわりには小柄でスリムな印象。黙ってたらとても女子プロレスラーだったなんて気づかれないことと思います。

 また、こちらも『トノ』の出演者でした狭間鉄さんがお見え。狭間さんは戸野広さんのよき友人だったそうで、生前の戸野広さんのことを知る貴重な役者さん。ここの劇場の最高顧問でもいらっしゃるそうです。
『トノ』の劇中では、髭を剃り、影武者として戸野広さんの後ろ姿を演じたというエピソードを語られる場面があったのですが、それは『ライオン丸』の撮影で実際に狭間さんがやったことらしい。ちなみに『トノ』での狭間さんは戸野広さんのお父さん役を演じておられました。

 あと誰か来ていたような気もしますが、なかなか集まらないので『トノ』の上映を始めることになりました。

 オープニング。ここが最も注目したかった箇所。先日の記事にも書きましたが、戸野広さんの婚約者=キクを演じた中川やたおさんが歌う場面であります。その曲目は昭和の懐メロ『爪』。私と観劇していた伴さんが絶賛していた部分である。
 もっとも、やたおさん自身は人前で歌うのが苦手だったみたいでして、稽古のときは何度もやめてほしいとゴネていたそうですが。みんなが「オレも歌うから」とか言って、なんとか説得してたんだって(笑)。
 後ほど、これは誰が選曲したのか伺ってみたところ、それは狭間さんだったことが判明。「(生前、戸野広さんが)こんなの歌ってたな」と口にしたのが採用されたのだという。
 伴さんは『爪』を歌っていた歌手として「○○○○だよ」と話しておられたのですが、この曲は布施明さんや石原裕次郎さんら多くの歌手に歌われていた競作だったらしく、残念なことに検索しても伴さんが指摘していたと思しき歌手の名前(たしか男性歌手だったような・・・何度か伺ったのですが、なんべん訊いても忘れてしまう)にヒットしない。では実際、戸野広さんが誰のものを歌っていたのかというと、とくに誰のというのはないのだとか。
 ちなみに、やたおさんがひとりカラオケで練習していたのはペギー葉山さん版だったんだって。
 結果的にこの演出は功を奏し、関係者の方々からも「あれはビブラートを使わなかったのがよかった」と好評でした。やたおさん、よかったですね。
 ただ、公演の際の私は、座っていた席が後方だったこともあり、歌っているのは共演者でもあるゲキ塾。から参加の小川ロクさんだとばかり思っておりました。あとになって「物語的に、あそこでロクさんが歌うのは不自然」と、辻褄が合わないことに気づいた全温度チアーさんなのでした。

 だけどこのシーン、歌い終わったところで、戸野広さんが急死したことにより関係者が慌てている様子が描かれるのですが・・・。ここでキク=やたおさんは退場するでもなく、そのまま舞台の中央に立ってるんですよ。
 ここの“間”をやたおさんはどのような気持ちで、どんなことを考えながら佇んでおられたのだろう? 表情つくるのも難しそうだ。もし自分が演じていたらと思うと、いかにも辛くていたたまれない(笑)。
 やたおさん、これ見てたらそのへんのことをおしえてくださいな。



爪・・ペギー葉山 投稿者 sfgk1

 上映されたものは、千秋楽に2回あった公演のうちの2回目。つまり、いちばん最後のもの。私が観に行ってたのは同日1回目の公演のものでした。
 私がやたおさんとお話できたのは、その1回目の公演のあと。出演者の皆さんが劇場の外で送賓されてるときのこと。出演者のなかにはゲキ塾。正太さん&ぐっちょさん、それと先ほどにも書きましたロクさんの3名もいらっしゃった。この方々のお芝居を観たのはこの日で3度目だったのですが、みんな挨拶の対応に忙しそうでしたし・・・私はそのあと伴さん会のメンバーとともにお茶でも飲みに行くことになってたので、とくに話しかけることもなく立ち去ろうとしてたんです。
 そのとき、すぐ近くにいたやたおさんが、ポツンとひとりで立っていたのが目に入ったのですよ。おそらく直前までは誰かと話していたのだと思いますが。なので、ちょっとだけお話させてもらった次第でして。
 ただ「お疲れさま」を言いたかっただけなのですが、つい「『ライオン丸』はご覧になったことあるんですか?」って訊いてしまいました。
 そしたらやたおさん、少々バツの悪そうな顔をされ・・・どうやら、ぜんぶ観たわけではないものの、戸野広さんが活躍する、一部の映像だけは観たのだとか。おそらく、やたおさんに限らず若い出演者の方々は、だいたいおんなじようなかんじだったのではないでしょうか。
 で、やたおさんは戸野広さんについて「カッコイイですよねー」との印象を持ったんだそうです。

 ん、カッコいい?

 ちょっと驚いてしまいました。いや、たしかにカッコイイといえばカッコイイかな。
 なんで私が驚いたのかというと、私はテレビに出てくる登場人物をカッコイイという視点ではあんまり見ないからなんです。それはヒーロー番組であっても例外ではなく、そもそもカッコよさというものを求めてはいないし、そこの部分を語ることもほとんどない。とくにタイガージョーにおいては、その哀しい生きざまが突出していただけに。
 普段からそんなですから、やたおさんのこの言葉が新鮮に聞こえたんですよ。そうか、カッコよく見えるんだぁ(笑)。

 やたおさんと直接お話したのは、それっきり。このあと私たちは伴さんたちと喫茶店へ、やたおさんたちは2回目(最後)の公演へ突入されるわけです。
 ところが、あとで伺ったところ、やたおさん曰く最後のお芝居が不本意な出来だったそうなのです。その最後の不本意だったという回が撮影されたものを、約9ヵ月後にこうして拝見させてもらっているわけですが。
 どこがそんなに悪かったのかは私にはわかりません。それどころか、これの上映後、平山さんは「やたおは最後のがイチバンよかった」と称賛していたほどで。
 本人にとっては残念でも、周りからは高い評価・・・そんなものなんですかね。面白いですね。

 ちなみに私、ゲキ塾。の皆さんとは11月25日の時点で面識がほぼありませんでした。塾頭の妹尾さん以外は。
『トノ』の上映会後、平山さんからは「あれ、正太さんは全温度チアーさん知ってるって言ってましたよ」と驚いておられましたが、本当にそうなのだから仕方がない(笑)。
 塾生の皆さんが書かれてるブログへは、ちょいちょいコメントでおじゃますることはあります。でも、実際に顔を合わせて会話したことがないんですわ。なので私は正太さん・ぐっちょさん・ロクさんの顔を知ってても、正太さん・ぐっちょさん・ロクさんは私の顔を知らないハズなのです。すなわち「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません」的といいますか、あしからずな状態なわけですよ。もしかしたら妹尾さんからは、全温度チアーさんがおさげ髪の似合うローティーンの美少女であることくらいは伝え聞いておられるかもしれませんが。
 やたおさんと会話できたのは、たまたま近くにひとりで立ってらっしゃったから。あれがなければ、やたおさんのブログへたどり着くこともなかったかもしれません。

 話題を戻しますが、やたおさんを映像で見ていて気づいたことをもうちょっと書こう。それは表情についてです。
 まずは眉毛。昨今では眉を吊り上げてる人が多いですよね。それも、目のだいぶ上の位置に。流行りなんですかね。
 ところが、やたおさんの場合はハの字をしていて、それも目との距離がそんなに開いてないように見えたんです。結果、十代でありながら非常に「せつなさ」に長けた表情になっておられた。錯覚かもしれませんけどね。
 それがメイクのせいなのか普段からそうなのかはわからないが、作品の時代設定が'72年12月ということなので、現在とは異なるファッションという意味で正解なのかもしれない。

 ただ、舞台の映像を観ていて「あれ、やたおさんって、こんなだったっけ?」と思ったりもしました。いや、たしかに公演当日に見たときのやたおさんはそういう出で立ちではありました。
 しかし、その後ブログやらツイッターやらを拝見するうちに私のなかで出来上がったやたおさんのイメージは「せつない」よりも「面白い」の人になっちゃってたもんで・・・。

 ちなみに、ゲキ塾。から参加の共演者・ぐっちょさんも、シャツをズボンのなかに入れてたのは時代的に正解だったと思います(笑)。

 うわぁ~、やたおさんの歌のところだけでこんなに書いちゃいましたよ(汗)。
 この調子で書いてたらキリがないな。なので他の出演者の皆さんには申しわけありませんが、あとは省略します(汁)。
 でも、観ているうちに「そうだ、あそこはこんな台詞があったな」とか「おっ、ここの設定はこういう意味があったのか!」といった、忘れていたことや初めてわかったことなどの発見がありました。
 先ほども書きましたように、映像だったら繰り返し観ることができるものも、基本的に舞台ではそれができない。モッタイナイですね。ホント、これ観れただけでも劇場に足を運んだかいがありましたわ。



↑イタズラっ子ぽい目もとです。私のなかで、やたおさんのイメージは現時点においてはこれに近い。
 でも公演のときに見たやたおさんは、この人じゃなかったと思うんですけど(笑)。


 さて上映が終わるころには他の出席者も集まりかけていました。そのなかには出演者だった高橋春菜さんもいらっしゃる。笑顔が魅力的で、近くで見たらずいぶん綺麗なお方でした。
 ここで、戸野広さんの誕生日パーティーの開催です。ステージの上には戸野広さんの顔写真が置かれ、ステージの下にはテーブルを並べて食べ物や飲み物がどっさり。それを囲んで各々が自由に談笑するわけです。この記事には既に後日談や裏エピソードも書いてますが、そういうのも歓談中に伺ったものが大半を占めます。


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 準備が整おうとうする際のこと。6歳のときにテレビで見た戸野広さんに惹かれ、それ以来ずっと想いつづけているという女性=浩司お兄ちゃん大好きさん(長いので、以下は「浩好きさん」に略させていただきます)が駆けつけてこられた。この方がスゴイのは、さほど特撮には興味がないのに戸野広さんだけが好きだというところ。かなり珍しいタイプです(笑)。
 浩好きさんは劇場に到着するや、私に向かって「全温度チアーさんって、どの方ですか?」。たぶん平山さんのブログへ書いた、私が出席する旨のコメントしたものをご覧になったのだろう。・・・にしても、そんなに気になったのかな(笑)?

 バースデーケーキのキャンドルに火が灯される。25歳で亡くなった人を祝う、65歳のバースデーケーキというのも粋だ。そして狭間さんの音頭で乾杯。その際、狭間さんは戸野広さんの顔写真に優しく語りかけるのだった。もっとも、戸野広さんの写真は横を向いてる顔なんですが(笑)。
 さらには平山さんが、三原在住の戸野広さんのお母さまに電話を入れ、誕生日会の最中である報告を。お母さまと顔見知りである狭間さんも、笑顔で電話に出られる。
 私は高橋春菜さんの横の席だったので、当初は主に春菜さんとお話させていただきました。春菜さんは気さくな方で、初対面の私にもニコニコしておられ、何度も飲み物を注いでくださった。
 やたおさんと同様、やはり春菜さんも『ライオン丸』は部分的に観ただけのようでしたが、タイガージョーというキャラクターがいかに素晴らしかったかという私の話を真摯に聞いてくださった。もちろん、春菜さんにも『トノ』にまつわるエピソードは伺いました。やたおさんのことは「プロ意識が高い」という印象をお持ちのようでした。


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 平山さんが、なにやら大事そうなものを奥から持ってこられた。それは、三原の戸野広さんの実家からもらってきたという、五右衛門風呂の欠片だった。
 おそらく五右衛門風呂というのは現在では使われてないから欠片としてもらえたんだと思いますが、そこに戸野広さんが入っていたのだと思うとファンにとっては貴重な逸品ということになる。
 で、なんと平山さんは、それの一片を私にも分けてくれたのです(驚)。大事にしなきゃ。これ、事情を知らないと黒い塊ですので、ゴキブリと見間違えたり簡単に捨てられたりしそうです。実際に帰宅後、そのことを忘れてた私は、あやうく捨ててしまうところでしたから・・・危ねぇ危ねぇ(汗)。

 そうこうしているうちに、日本キックボクシング連盟のリングアナなどでご活躍という塩野勝美さんら数名が遅れて来場される。そのあとは平山さんの奥さまにあたるMARUさんも。MARUさんも元女子プロレスラーらしいのですが、斉藤さんよりもさらに小さく見える、かわいらしいかんじの方です。すなわち、この場には女子プロ出身の方が二人もいたことになりますね。
 遅れての来場者が現れるたびに乾杯をやり直し。その都度、狭間さんが音頭をとる。結局この日は3回くらい乾杯することに(笑)。

 参加メンバーはほぼ揃った。決して大人数ではないけれど、そのぶん参加者の皆さんとは蜜に会話することができ、じつにアットホームな空間で素敵な時間を過ごすという様相になったのです。
 見ればカメラマンとしても活躍されているという塩野さん、春菜さんをモデルに写真撮影をされてました。春菜さんもサービス精神が旺盛なのか、快く応じておられます。
 塩野さんが春菜さんにスマイルをリクエストしているのですが、春菜さんはポーズで作った笑顔よりも、その前後の会話中に見せる自然の笑顔のほうが絶対に素敵だと思うんですけど・・・よけいなお世話かな(笑)?

 パーティー後半は狭間さんのお話も聞きたくなり、席を移動してみた。既に浩好きさんは狭間さんと夢中になって会話しておられる。浩好きさんにとって狭間さんは、戸野広さんの情報を聞かせてくださる最高の語りべである。いや、浩好きさんじゃなくても伝説の名優・戸野広浩司さんを最も知る人物という意味では、たいへん貴重な方なんであります。
 それだけではありません。狭間さんの醸し出す雰囲気が、じつにイイ! 大らかで優しくて、包み込むような温かさを感じさせてくださる方なのであります。平山さんや黒田さんをはじめ、皆さんから慕われておられる理由もわかります。
 もちろん、戸野広さんがどのような方だったのかも伺いました。せっかくなので、貴重なエピソードを書いておきたいと思います。

 狭間さんや戸野広さんは団塊の世代にあたるのだそうだ。
「その世代の方って、学生運動とか差別の話が好きだったり右だ左だとムキになったりする人が多いですよねー(笑)」と私が話すと「そうなんですよ(笑)」と狭間さん。いや、狭間さんからはそんな雰囲気は感じられませんでしたけどね。終始、穏やかな笑顔でしたし。
 戸野広さんは博学だったお父さまの影響もあってか、差別には断固として反対の立場だったのだそうです。
 ある日のこと。戸野広さんが狭間さんと渋谷を歩いていたら、差別を推進(?)するかのような集団が少数の反差別派の人を取り囲むように威圧している現場に遭遇したことがあったとのこと。
 それを目にした戸野広さんは単身、多勢にものをいわせて説き伏せようとするとはナニゴトか! と猛然と食ってかかったのだそうだ。
「戸野広、おまえ・・・!」
 それを見ていた狭間さんは、ただただ呆気にとられるばかりであったとか。
 これだけでも戸野広さんの只ならぬ勇猛果敢ぶりが伺えるエピソードでした。というのも、広島県というのは、いまもって差別問題が濃く残っているところです。そのなかでも戸野広さんが育った三原は決して都会的なところではありません。しかも、あの時代であったことを思えば、戸野広さんのような方がいたというのはスゴイことではないかと思うのですよ。
 とにかく正義感の強い人だったそうですわ。いいこと聞きました。



↑『ライオン丸』におけるタイガージョー=虎錠之介の人物描写は突出していました。
 その生きざまは主人公よりもはるかに魅力的であり、悪役でありながら視聴者の胸を揺さぶりまくりでした。


 浩好きさんもお酒が進み、非常に饒舌。そのうち、どういうわけか先日お亡くなりになった地井武男さん(地井さんのことも好きだったらしい)を思い出し、涙をポロポロこぼしだす。ちょっとちょっと、いま泣かないでください(笑)。 ヾ(・・;)
 このあと浩好きさんはホイットニー・ヒューストンの曲を歌われまして・・・それっきり姿が見えなくなりました。どうやら飲みすぎて、トイレから出れなくなってしまったらしい。
「よっぽど嬉しかったんでしょうね」
 そんなことを狭間さんと。無理もないです。没後40年にして一途に憧れてきた戸野広さんを語らう場に遭遇したわけですからね。戸野広さんにしたって、まさかご自分が死んでから40年も経って誕生日会なんて思ってもいなかったでしょう。
 浩好きさんは「自分が死んだら、あっちの世界で戸野広さんのお嫁になる」ことが夢なのだそうです。こりゃあキクに強力なライバルが出現しましたね(笑)。

 23時半。もう残った参加者は少なくなっていますが、私も終電の時間が近づいてきたので失礼することに。
 この誕生日会は今回だけではなく、今後もおこなわれる予定だそうです。参加費わずか2500円でこれだけ楽しめるんですからね、戸野広ファンの方は次回は参加されるといいですよ。
 今回集まった皆さん、またお会いしましょう。もちろん浩好きさんも、またお会いしましょうね。
 ・・・とうとうトイレで一泊されたそうですが(笑)。