当ブログでは過去、上野山功一さんとの楽しい思い出を何度もレポートしてきました。残念ながら上野山さんがお亡くなりになったことで、もうそれ系の記事は書けなくなりました。でも今回は、そのなかで書き残していたものを書いておこうと思います。とはいえ、今日は上野山さんのことではありませんけどね。
上野山さんが福島から上京される際は新宿のヒルトンホテルで宿泊されていたんですが、そのたびに懇親会がおこなわれ、上野山さんの知人や私を含めたファンもお誘いくださっていたのです。なかには業界の方もおられます。こんな機会でもなければ、もう一生かかわることのなかったであろう方々ばかり。ものすごく貴重な体験でした。
そんななか、この会では出席率が高く、用事でやむを得ず欠席した日にも焼酎を送ってくださるなどの配慮をされていたのが脚本家の石森史郎さんでした。上野山さんが出席者を一人ひとり紹介していた日があったのですが、そのとき上野山さんは石森さんの番になると「数々の有名女優と浮名を流し~」と語って笑いをとる。「数々の~」というのは少し盛ってたのかもしれませんけど(笑)。で、石森さんは石森さんで、あっさりぶっちゃけてしまいます。
「(名前は明かさなかったが)その女優とスキー(?)旅行へ行ったとき、パパラッチがついて来た。ボクは困ってたんだけど、彼女は『見せびらかしてやりましょう』とか言ってきて。パパラッチがリフトで追ってくるのを確認すると、私も一緒に反対側へ乗せられて、すれ違いざまに彼女が『ハァ~イ!』って。女優は大胆なことをする」
そんなかんじの詳細まで話してくださった。 ※細かいところは私の聞き違いが起きてる可能性もございます
だけどそういう紹介がされないときは、誰が誰なんだかわからない。石森さんの場合、どちらかというと小柄で、黙っていれば目立たないふつうのおじさんに見える。だからご存知ない方からからすればどう話しかければいいのかわからないのか、ポツンと座っておられることも多かった。映画・テレビで数々の名作を輩出された大先生がここへいらっしゃるというのに、じつにモッタイナイことであります。
でもいったん話しかけると、とても気さくに対応してくださるんです。口調は穏やか。温厚。そういうところに女優さんが惹かれるのかもしれません。で、今日はそのときのことを書こうと思います。
・・・本当はコレ、書くべきなのか迷ったのです。自分のなかだけにしまっておくべきなのか、書くとしてもアメンバー限定記事にしたほうがいいのだろうかと。だからレポートを書いた当時も、ひとまず見送ることにした記憶があります。
しかし、いまにして思えば、石森さんはこの件を本当は強く訴えたかったんじゃないかと、そんな気もするんですよね。なので思い切って一般公開で書いてみますわ。
石森さんが脚本を手がけた作品なら数えきれないほど見ているはずで、でもご本人を前にすると特定のものが思いつかず。スマホでも持っていればそれで担当したものを確認しながら話を進めていけばよかったものを、生憎と私はスマホなる超ハイテク機器を持ち合わせていなかったため、家を出る前に簡単な予習をしていくも、せいぜい『ザ・カゲスター』の話題しか出てこず。これは石森さんの担当回が多かったシリーズだったがゆえに挙げた作品だったのですけど、これをそばで聞いていた岡田勝さん(同番組で殺陣を担当)が「カゲスター、やってたの?」と、興味を示され・・・というのは2019年の記事へ書きました。あ、いま見返したら『愛と誠』のことも聞いてましたわ。あと、いまから書こうとすることも、このときは躊躇してやめたことも書いてある。件のエピソードを聞いたのも、この日だったもようです。劇場版『銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)』の裏エピソードでした。石森さんが「松本零士は・・・」と言いかけたところで私は書くのを止めてます。今日はこの続きを書いてみることにします。
この仕事の依頼が来たとき、どうやら石森さんはそれまでの『999』がどういう作品だったのかを確認したようなんです。それで出てきたのが次の言葉だったそうです。
石森さん「松本零士は哲学がないのか! 大学出てないだろ! メーテルは鉄郎のお母さんなんですよ!」
え? え? なんかこれ、衝撃発言かも!
チアーさん「す、するとメーテルが鉄郎の母親へ似せた姿に・・・というのは松本さんじゃなくて石森さんが作った設定だったんですか!?」
石森さん「そうですよ。なのに(できた映画の)最後で<企画・原作・構成:松本零士>ってことにされている」
石森さんは穏やかでどこかトボケた口調だったからそのときは笑いながら拝聴していたんだけれど、こうして文字に起こしてみると、なかなか辛らつなことを仰ってたのかなーと、いまになって気づきました(笑)。
私は『999』、テレビ版は再放送枠でほとんど見ました。石森さんが脚本を担当した劇場版も見てます。だだ、それほど詳しいわけではないので、これは一般に知られているエピソードなのかがわからない。そこでネットで調べてみることに。そしたらやっぱり「メーテルには鉄郎の母が若いころの姿が与えられた、という設定を作ったのは原作者である松本零士である」という情報が出てきます。ということは、どうやら一般的には知られていないということか。あのとき石森さんとこの話をしたのは私だけで、ほかの人は聞いていない。各々で盛り上がってましたから。よそのどこかで石森さんがポロっと話すことがあったのかもしれないけど、少なくともそれが大々的に伝えられることはなかったということか。
ちなみにですが、石森さんはテレビ版『999』のほうの脚本には参加された実績がありません。テレビ版ではメーテルと鉄郎の母が瓜二つであることは最大の謎として描かれてはいるものの、最後まで「なぜ似ているのか」の明確な答えはボカされたままだったようです。ただED曲『青い地球』(作詞:橋本淳)の2番以降の歌詞で「母さんに似てるよ」「母さんを見てるみたいだ」と、鉄郎がメーテルのなかへ亡き母の面影を見出しているフレーズが2度にわたって出てきます。私の勝手な推測ですが、石森さんはここに着目されたのではないでしょうか。せっかくいい素材が落ちてるのに、それが作品に活かされていないじゃないかと石森さんはお感じになられたのではなかろうか。
そういえば長坂秀佳さんが『人造人間キカイダー』へシリーズ途中から参加するようになった際、キカイダーの左右非対称なデザインを見て「これは哀しい話なんだな」と直感。しかしそれがドラマに活かされていないと思い、自分が参加するようになってからは設定をフルに活かす方向へ力を注いだのだという話を聞いたことがある。たぶんですが、それとおなじようなことを石森さんもお考えになられたのではないでしょうか。
メーテル自身が「母・プロメシュームから、宇宙一美しい体として鉄郎の母の若いころの体を与えられた」とハッキリ語ったのは、石森さんが担当した劇場版が初だったとのこと。う~ん、ボカしたまんまにするのもミステリアスでいいのかもしれないけれど、たしかにこの設定なら、よりドラマティックなものとして見る者の心をつかみますよねぇ!
【メーテルが鉄郎の母に似ている理由】
— なおきち(旧姓:三上英次) (@nao2049) March 22, 2026
松本零士先生の映画構成メモより。 pic.twitter.com/vA81gmR896
劇場版『銀河鉄道999』はテレビ版がまだ続いている最中に公開されました。当時、劇場版を観た人はメーテルの謎を先取りしたつもりでテレビを見ていたのかもしれません。でもテレビ版では謎のまんまだったということです。また劇場版は、テレビ版がまだまだ続いているのに最終話にあたるエピソードをやってしまったことで物議をかもしたそうです。だからか、テレビ版での最終回では劇場版の展開をさらに膨らませたような終わり方で、スタッフの努力がうかがえるサヨウナラとなりました。「劇場版を観たから、ぜんぶ知ってるぜ」を許さなかったのは、お見事だったと思います。
ああいう終わり方はシリーズが長ければ長いほど効く。刺さる。その点、本作ではテレビシリーズが2年半もの長期にわたって展開されており、しかも一つひとつのエピソードが非常に濃い旅モノだった。そのうえであのラストである。そりゃ、あんなもの見せられた当時の少年たちが心を撃ち抜かれたのは想像に難くないというもの。さぞ大きなトラウマを負ったことでしょう。引きずったことでありましょう。
メーテルの謎と、その設定。『銀河鉄道999』においてはこれ、かなり重要なポイントだと思うんです。そのアイデアを出したのは石森さんなのに、結果的には松本さんが総取りしたカタチになってしまっていると。もちろん松本さんが意図してそうしたのではなく、スタッフが配慮しなかったからそうなってしまったのかもしれない。まぁ企画や原作は松本さんでいいのだとは思いますけど・・・石森さんからすれば手柄を横取りされたみたいになってるので、そりゃ悔しかったでしょうね。
「ボールが止まって見えた」は“打撃の神様”川上哲治さんが残したとされる伝説の名言。しかし本当は小鶴誠さんの発言で、当時の新聞記者が「知名度のない小鶴では記事にならない」と考え、既に人気のあった川上さんの発言として掲載したという説が近年では有力であります。それとよく似てますね。
#今日は何の日#コスモスの日#昭和の子ども#昭和54年
— 春の全温度チアー ≪かゆさ3倍!≫ (@_30776506271) September 14, 2025
玩具メーカー=コスモスから発売された、20円ガチャガチャの「銀河手帳」。もちろんアレのパチモン。 pic.twitter.com/xt8400OgeJ
あの日の帰り際、石森さんからは、おそれ多くもご自宅の住所が記載してある名刺をいただきました。
チアーさん「『ママちょっと来て』が見たいんですけどね」 ※『ママちょっと来て』は石森さんの脚本家デビュー作です。
これが最後の会話でした。
脚本家の石森史郎さん死去:時事ドットコム https://t.co/rtPHqgY022 #石森史郎 さん、6月にお亡くなりになってたの!?
— 春の全温度チアー ≪かゆさ3倍!≫ (@_30776506271) December 5, 2025
お芝居のお誘いに直筆の手紙までいただいてたのにご期待にそえられず、申しわけなく思っていて。いつか埋め合わせしたかったのに、もう叶わなくなってしまった。本当に悔やまれる。
上野山さんや石森さんと最後にお会いした懇親会、その時点で上野山さんは80代の後半、石森さんはさらにその上でした。にもかかわらず、2年後には上野山さん出演、石森さん脚本の舞台をするんだと語られていた。ところが世はコロナ騒動へ突入し、上野山さんは体調を崩して逝ってしまわれた。
その後、松本零士さんも2023年、さらに『青い地球』を作詞した橋本淳さんもつい最近、逝去されている。メーテルをめぐるエピソードを私が書かなかったのは、当時、まだ松本さんがご存命だったので遠慮したほうがいいのかなと思ったから、というのもあります。しかしこのエピソードがどうあれ、いまさら松本さんに傷がつくほどのことでもないだろう。それほどのレジェンドですのでね。だったら石森さんがこのように話されたと記録しておくほうが意義はあるのではないかと判断し、ここへ書いてみた次第です。







































