大正生まれのブログ

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~104歳/全温度チアー/ゴースン・タイガー!共同 「目指せ偏差値マイナス20」推進blog~


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(▼▼メ)/●~*【謹賀珍年】*~●\(▼▼メ)
 新年の挨拶はあまり好きではないので、素っ気なくこの程度で終わりにしたいと思います。
 
 当ブログにおける昨年(2018年)の記事を振り返ってみました。各テーマの投下数は以下のとおり。
 
 
 以上、37記事。10日にいっぺんの更新を守ってたらこうなった。
 よくもこんなに書けたもんだ。更新のペースは決して早くはないけれど、自分としてはこれでも多いくらい。もうちょっとローペースにしようかな?
 1日に複数回更新してるアカウントもあるけれど、ちょっとモッタイナイと思うことがあります(もちろん個人のブログですので、どんな展開をしていくのかは各々の自由なのが前提で申してるのですが)。というのも、よほどそのブログに興味があるという方は別として、通りすがりの人からは、アクセスした時点でトップになってる記事しか見てくれないものだから。
 更新回数が多いとアクセス数こそ稼げるでしょうが、それは読者登録してくれてるおんなじ人が来てるだけということでもあるわけで。伝えたいことがあって、より多くの人に見てもらいたいのなら、しばらく放置したほうがいいのではないかと思ったりするんですよ。せっかく「この記事、面白いんだけどなぁ」って思うような内容でも、過去記事にした瞬間、もうその記事を見る人が激減してしまうのが他人事ながら残念で。
 かといって、あんまり閲覧数が多いのも困りもので。スパムコメントが来たり匿名掲示板に晒されるなど、悪意ある者の餌食にされる可能性も高くなりますんでね。
 では私が「もっとローペースにしようか?」と思うのは多くの人に見てもらいたいのが目的なんじゃなくて・・・単に面倒くさがりだからなんですけど。
 
 2018年は大ヒット記事が出てしまいました。西城秀樹追悼記事です。あれをどなたかがツイートすると、たちまち多数のヒデキファンからアクセスが殺到する、という現象が未だに起こってます。ふだん重箱の隅をつつくようなことばっかりやってる当ブログですが、あれで「メジャーな題材を扱ったらこうなる」ことを思い知る経験にはなりました。
 ただし・・・これは前にも書きましたけど、いまのところ支持してくれてるのがわかるのはヒデキファンの方々からのようです。こちらとしては、そうじゃない人を対象とした記事にしたつもりだったので、その部分で本当に意図が伝わったのかは「?」なところもあります。
 だからヒデキファンの方から「もっとヒデキのことを書いてほしい」という声もあったようですが、それだと意味がないのです。面白くない。ヒデキファンじゃない人にヒデキを知ってもらうかわりに、ヒデキファンの人には『チコタン』を聴いてほしいしカブトムシのクイズもやってもらいたい。そのほうが100倍うれしいのですよ。
 せめて他の誰か・・・例えば「次は落合信子のことも書いてほしい」と言われるほうが、ぜんぜんうれしい(書かないけども!)。
 また、もともと当ブログをご覧いただいてる方からすると、あれがさほど特別な記事には映らなかったのではないでしょうか。ふだんがふだんですので、ここがどういうところかをご存知の方には「まぁ、こんなもんじゃろ」程度にしか感じなかった方も多いんじゃないですかね?
 書いてる側からすると一つひとつに想いはあります。大当たりしたからといって、あの記事だけがそんなに特別なのかというと、そういうものでもないですからね。
 一発屋の歌手が代表曲ばかり求められると「自分はそれだけの歌手じゃないぞ」と思う、ああいうのにも似てるんじゃないですかね?
 
 そうは言いますが「一つひとつに想いは~」のなかでも、強いものもあれば弱いものもあります。ここではよく「横着記事です」と宣言してることも少なくないですが、当然そういうものは想い入れが弱いです。
 ところが当ブログの場合、そっちのほうがウケがよくなる傾向にあるのが残念なところ(苦笑)。つまり、発信する側と受け取る側による需要と供給のバランスが反比例しちゃってると(爆)。
 だけど長くご覧になられてる読者さんならご承知だと思います。ここがそういうところなのを。「書いてる人が、期待されたら裏切りたくなる習性のある生き物なんだからしょうがない」・・・と、諦めのような目で見てくださってるんだろうと思っております。
 
 で。発信する側にとって想い入れの強い記事はというと、やっぱりプロレスになるんですよ。これは対世間モードを意図的に大きくして発信してることが多いので他の記事とはタッチが違います。
 プロレスの記事にすると、いつもはあまり見ない方からの反響が来る傾向になるのが面白いですね。ヒデキ記事ほどではないですけど閲覧数が多めになるのは、アメブロ登録者の外側からお越しの方が増えてるんだと思います。もっとも、かならずしも好意的な目で見られてるわけではないとも思いますが。
 だけど正直、プロレスの記事を書くのはしんどい。他の記事と比べ、より高い集中力と多少の闘魂を要するからだ。臨戦態勢に入る。返ってくるものに対抗するための準備は他の記事の比ではない。その点、昨年の記事を振り返ってみると・・・。
 
 上記のようにプロレスをテーマにした記事は6つもあったのには自分でも驚いている。しんどいと言うわりには、いちばん多く書いていたことになるからです。
 では内容的にはどうだったのか。
 前半は快調に、言いたいことを書いてます。でも長文すぎます。我ながら「それ、何回かに分けてupすればいいのに」「読むほうが大変だよ」って思います。そして現代プロレスにケンカ腰です(笑)。このスタイルは、すっかり定着してしまいました。なかにはそれが楽しみだという奇特な有難い読者さんまで現れるようになりましたが(爆)。
 ところが中盤になると息切れしたのか、次第に勢いの衰えを感じるようになります。見てる人はどう思われたかは存じませんが、自分ではそんな気がするのです。出来がイマイチな気がする。書いてても手ごたえがない、と言いますか。
 しかし、最後に投下した「クローズアップ現代を見て、また新日本に失望する」では、自己満足ながら久しぶりに会心の記事を書けたように感じました。でも、あれだって途中まではやっぱり「なんかイマイチかな~?」と思いながら書いていたものです。
 それが、ここで扱った“
社会不適合”というワードを咀嚼しているうちに一気にインスパイアさせられたのか、終盤の毒々しい文言が次々に生まれてきたのだからアラ不思議。それまでは感覚的には感じていたものの、どうもうまく表現できないでいたものが「そうか、これだったのか!」というカンジでポロポロと。なんとかカタチにすることができたような気分になれたのです。ひらめき電球
 たまたまこの記事を目にされたと思われる某現役プロレスラーの方からも、ちょっとだけホメていただきました。さらに社会不適合というワードを授けてくれた主でもあるターザン山本氏の目にもとまったらしく(当方では自身のブログ、他者のブログにかかわらず、つけたコメントの一部をツイッターへ同時投稿しているため)、これを拡散(リツイート)されるということがありまして。そうなると当然、多くのプロレスファンからのアクセスが殺到するわけです。
 山本氏が記事を「面白い」と思ってくださったのか、それとも「アホなやつがいるぜ」と思われたのかはわかりません。基本的に氏は「いいね」をしない主義の方なので、その真相はわかりかねます。ただ、当たり前なことや興味のないものには徹底的に興味を示さない氏がリアクションを起こしたということは、なんらかのカタチで琴線に触れる記事になってたのかなぁと、そこは光栄であったと解釈したいと思います。
ニコニコ
 
 やっぱりうちの場合は多数派を挑発するような記事になったほうが「らしい」ですよね?にひひ
 
 
 記事に採り上げたプロレス界で起こった出来事へ話を移しましょう。
 近年のファンには理解され難いのが前提なプロレスを期待していた諏訪魔と藤田の対決は予想どおりスイングしない試合となり。それでも私的には他の試合よりは圧倒的に面白く映ったのだが、やはりというか、その後は頓挫状態に。
 次に丸藤。全日本でチャンピオン・カーニバルを制覇したまではよかった。その勢いでいけば2018年のプロレス大賞MVPは長らく続いている新日本勢を抑えて丸藤になるのも現実味が出てくる・・・とも思ったが、案の定というか三冠獲りに失敗。(「本当に獲る気はあったのか」という疑問も相まって?)ここから失速へ。
 なんとか自身のデビュー20周年記念大会まではやり遂げたものの、その後はケガにより試合へ出ることすらできなくなってしまった。
 
 ここで丸藤のデビュー20周年記念大会でおこなわれたヒデオ・イタミとのシングルマッチについて少しだけ触れてみる。
 結論からいって、過去の両者の対決にみられたクオリティにはおよばない内容で終わった。その理由として挙げられるのが、彼らの体調の悪さ。とりわけイタミのほうが顕著であったとの指摘が複数件あり。試合後の本人の落胆した表情からも、単なる敗戦によるものとは違う、申しわけなさのようなものが滲んでいるように思えた。
 ケガについては仕方ない部分もある。それでも、やはりイタミ・・・いやKENTAの住むべきところはNOAHだと感じた向きも大勢いたのではないだろうか? WWEで、やりたいプロレスはできているのか? 体調が悪いなりにも、丸藤とやったほうがWWEでやるよりは燃えるものがあったのではないか? ・・・本当は彼自身も、それをわかっているのではないか?
 そうは言ってもWWEでこれといった実績を残せないでいる以上、手ブラで里帰りするわけにもいかず・・・といった塩梅だろうか(勝手な推察)。
 現状を打破するにはもちろん、ケガが回復するのがイチバンではあるが・・・。
 
 次。ではご期待に応えまして、今回も多数派を敵にまわすようなことを書いていきたいと思います。
 東京スポーツ新聞社が定めるプロレス大賞には棚橋弘至がMVPになりましたが、彼には当ブログからも「この人のプロレスは見たくない大賞」がもれなく贈呈されます。おでめとう。
昨年、棚橋は「プロレスは残酷なものであってはならない」とまで言い切ってしまったのだから、当ブログがこの賞を捧げたくなるのは当然でありましょう。激おこ牛若丸っすよ!プンプン
 プロレス大賞は各スポーツメディアの記者による投票で決定するものであるが、週刊プロレスでおこなわれた読者が選ぶ投票のほうでも棚橋がグランプリに選ばれた。
 いまに始まったことではないが、マスコミも、ファンも、もうどうしようもないところまで行ってしまった。本来の闘いよりも「お金になる」が、なにより評価されてしまう。プロレスラーの「強さ」で団体を引っぱっていた杉浦よりも、試合を休んで映画出演しても「プロレスを世に伝えるためによくやった」と解釈されポイントの対象になるのだから。殺伐としたものよりも、健全なもののほうが評価されてしまう。呆れてモノが言えんよ。もう、これについてはノーコメントじゃ! ヽ(`Д´)ノ
 
 
 週プロさんは毎回のように「新日本プロレスの客入りがまた伸びました~」と書く。さもグッドニュースだといわんばかりの論調で書く。でも。
 ならばこちらだって何度でも書く。私はプロレス団体の会場が満席だとか、売上げが好調とか・・・そういうのを見たいんじゃないんですよ。そりゃ儲かってないよりは儲かったほうがいいとは思いますよ。だけど、そこじゃないんだよなぁ。すごく雑な言い方をすればもちろん「闘い」ということにはなるのですが、最近のこの業界でいわれる闘いというのは私のいう闘いとは違うもののように思えて仕方がない。
 売上げを伸ばす闘い? わかるけども、そんなのどこの業界でもやってることじゃん。儲かってるところを見せるんじゃなくて、プロレスを見せてほしいのですよ。だいいち、なんで観るほうも一緒になってそんなとこまで心配しなきゃいけないんだろ? その話題、この業界に多すぎじゃない? もっと大事なところ、あるでしょ。
 そう、リング上のことなんだけども・・・。しかしそこがまたしょうもないのだ。いまの週プロはホメてばかりで単調なことこの上ない。
 週プロにみられる、よくある論調はこんなかんじだ。「むかしより洗練された技術だ」と。キレイなプロレスのことか? あんな「サーカスみたい」と揶揄される予定調和感満々なプロレスがか? 表面的なだけで気持ちがまるで見えないプロレスがか? 「攻防」ではなくて「殺陣」に見えるプロレスがか? 試合だけじゃなく言葉で補足しないと伝わらないのがフツーになってしまったプロレスがか? それを指して「時代だから」ということにするのか? で、あれで「むかしより進化した」ことになるのか?
 いや、週プロだけじゃないな。各メディアとも似たような論調だね。プロレスに対し、さも理解のあるような姿勢を見せつつも、じつは高をくくっている。本気度が伝わってくるものが、ほとんどない。
 
【結論】私が見たいと願うアンハッピーエンドなプロレスは、2018年も隅へ追いやられてしまいました。だからノーコメントじゃ! ヽ(`Д´)ノ
 
 
 最後に。
 12月5日、とうとうダイナマイト・キッドさんも逝ってしまわれた。
 
 
 死んだその日が誕生日。まるで、ど根性ガエルのような去り方でした。
 でも、ダイナマイト・キッドこそはもっともリスペクトできるプロレスラーのひとりであったことは間違いありません。


 彼は多くを語るタイプではありませんでした。
 そして私も、この場はあまり語らないでおきたいです。

 
 そんなわけで、ヒデキファンのみなさまにもプロレスの記事をお楽しみいただきたいと思います。
 あれを書いた人が、これも書いているのです。
 

 

 

 

 

 


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 こないだ久しぶりにカラオケに行ってきました。メンバーは3人。オールナイトでダラダラです。
 基本的に何を歌ってもかまいませんが、Kさんはロボットアニメをはじめとするテレビ番組や映画の主題歌を中心に。かたやAさんもそのへんはもちろん、一般の歌謡曲なども守備範囲。ときどき洋楽に走るのですが、ほとんど英語がグダグダです(笑)。
 それでもAさんは諦めません。それは「カラオケとはこういうものなのだ!」という悟りの境地に達している人の姿でした。私もあれが正しいカラオケだと思います。ありがとうございます、勉強になりました。
 

 さて本日の記事は「よいこのデンジャラスセレクション」ですよ。すっかり「また嫌な予感がする」といった声が聞こえてきそうなのを尻目に、眉ひとつ動かすこともなく敢行していくのが恒例になってしまった感のあるシリーズですね。
 今回は「日々」に因んだ曲の特集をお送りしたいと思います。もちろんすべての動画を再生しながら記事を見ていただくのは嬉しいことですし、また、そうでないとわからない記事でもあります。そのかわり、けっこうな時間を費やしてしまうハズです。だから忙しい方は小分けにして少しずつ見ていただくことをオススメいたします。
 そんな記事なのに、いつもup直後に「いいね!」がつくのはどういうことなんだろ? "o(-_-;*) ウゥム…
 
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音譜朝倉理恵『風の中の日々』<作詞:山口洋子/作曲:坂田晃一>

 当ブログで朝倉理恵の曲を扱うのは何度目だろうか。「究極のクリスタルヴォイス」と称される極上の歌声。個人的に女性歌手のなかで魅了される歌声といえば真っ先に浮かぶのが彼女のもの。
 この方はアニメソングもたくさん歌っているのだが、いまのところ有名なアニソン歌手として名前が挙がってるところをあまり見たことがない。しかしながら『ふしぎなメルモ』のed曲『幸せをはこぶメルモ』で見せた表現力の高さを見過ごすわけにはいかないだろう。当時は高校生だったと思われる彼女(※「桜井妙子」名義時代)が披露したウィスパリング・テクニック(※ジャズやソウル系のバラードで、ささやき声を歌声として活かされる技術。隠れて会話をする声とは異なり、振動をともなう。声門閉鎖を意識的に弱く不完全にし、息を大量に流して気息的な音を多く出す歌唱法。「ささやき声にハミングの音色が混ざった状態」ともいわれる)は特筆に値する。それも付け焼き刃ではないことはすぐにわかります。こんなの、いったいどこでマスターしたんだろうなぁ?
 何が言いたいのかというと・・・要するに評価が低すぎると思うのだ。だからこうして記事として採り上げるのだ。
 
 
 さて本曲ですが、1974年のテレビドラマ『誰のために愛するか』で朝倉自身が歌った主題歌シングルのB面だった曲。2ndアルバム『誰のために愛するか』にも収録されています。
 またしても彼女の声質に相性のいい坂田晃一氏による作曲&編曲作品。加えて'70年代モノでしか味わえない沁みる音質。もうね、イントロの時点で「これは大好物なやつだ!」っていうのがわかりました。1秒でわかりました。
 絞り出すようなクリスタル&ウィスパーヴォイスをご堪能あれ。
 

 
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音譜パチソン『火の鳥』<作詞:谷川俊太郎/作曲:Michel Legrand>
 
「パチソンの最高傑作」との声もある、注目曲。
 私はまだ観てないのですが、1978年に『
火の鳥』の実写映画があったんだそうで。そのイメージソングに使われた曲は松崎しげる(通称“コーヒー豆”)が担当し、圧倒的な声量で多くの支持を得ておったそうな(※このイメージソングについてはハイ・ファイ・セット版とサーカス版も存在する)。
 本曲はそのパチソン版なんでありますが・・・なんだこりゃ? 聞こえぬ低音、届かぬ高音、歌手が歌いながら途中で心が折れてる感すらあるではないか。
 ここまでくると原型のイメージがわかないので松崎版を聴いてみたさ。それから、あらためて本曲を聴いてみたさ。そんで思ったさ。
 謝れ! 手塚治虫に謝れ! 作詞した谷川俊太郎や作曲したミッシェル・ルグランにも謝れ!
 たぶんこれ、難しい楽曲だと思うんです。このパチソン歌手、地声は悪くなさそうなんですよ。だけど彼の音域ではまかない切れず、キャパオーバーになってるのが明白なんですよね。
 にもかかわらず、何ゆえレコーディングを続行した? ふつうは中止だろ。レフェリーストップをかけるだろ。歌ってる人は歌手生命が終わってしまったんではないか?
 ――そう思わずにはおれない仕上がりになってるのが最大の聞きどころです。
汗
 

 
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音譜大阪すみよし少年少女合唱団『こどものための合唱組曲「日記のうた」』<作詞:蓬莱泰三/作曲:南安雄>

 本日イチバンの問題作・・・になるハズだった。
 蓬莱泰三&南安雄による最凶コンビによる作品と聞けば、当ブログでも大きく扱いました『こどものための合唱組曲 チコタン――ぼくのおよめさん』と、それのさらなる進化形(?)ともいえる『日曜日 ~ひとりぼっちの祈り~』に見た、暗黒系児童合唱曲を語らずにはおれないハズ。そして本曲はその流れを汲む作品。ならば当然、あのアタマを抱えたくなるような世界観を期待せずにはいられなくなるのであります。
 これも前の2作品同様、複雑な音楽構成と徹底的に練習漬けにさせられたであろう子どもたちの歌声で、音楽としては上々の仕上がりになっているといっていいでしょう。そしてもちろん、ストーリー仕立ての歌詞が聴く者をいかに絶望のどん底へ突き落すのか――が最大の注目ポイントになってくると思います。
 ところがです。あろうことか本曲は、児童向け唱歌にありがちな、ほのぼのムードな曲として終わってしまいます。こちらが抱く超バッドエンドな期待を、悪い意味で大きく裏切ってくれるのです。
 何故じゃ? 『チコタン』と『日曜日』で大きなクレームがついて屈してしもうたんか?

 本組曲の構成は以下のとおり。某少年小学生の1週間にあった出来事が題材となっております。
 
㊊朝、目が覚めたらおとうちゃんとおかあちゃんが味噌汁の熱さをめぐってケンカしてた。
㊋学校の帰りに子犬を拾った。誰だ、子犬を捨てたやつは!
㊌算数の試験。ぜんぶできたと喜んでたが、ぜんぶ引き算を足し算にしてた。
㊍児童公園のブランコで宇宙ごっこをした。
㊎「晴れ・のち・くもり・のち・雨・のち・くもり、そ・れ・だ・け」
㊏先生の結婚式なので朝から自習。「ちゃんとヒゲ剃ってるか、センセ?」「ハナクソとったらあかんで」・・・などと心配する。
 
 ・・・と、簡単に説明するとこんなかんじか。たいして面白くはないですね。これは大きな減点ポイント。本来なら当ブログで扱う必要もないダメ曲ですじゃ。むかっ
 しかしです。このなかに日曜が入ってないことに注目したい。もしや日曜は、先に挙げた『日曜日』に独立してまとめられていたのだろうか? と。すなわち『日記のうた』を含めたこれら3曲の主人公少年は同一人物? だとしたら・・・!!叫び
 いや、勝手な推測にすぎませんけどね(作者は否定してるそうですが)。でも、あらためてこれら3曲を続けて聴き直してみると、壮大な絶望物語が完成しそうです。時系列に沿って聴けば『日記のうた』⇒『チコタン』⇒『日曜日』の順番になります。
 

 

 

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音譜フォー・クローバース『時のいたずら』<作詞:阿久悠/作曲:坂田晃一>
 
 当ブログにて荒木しげるさんの記事で(アメンバー限定記事を含む)二度にわたり掲載したことのある、フォー・クローバース(=フォー・セインツ)が演奏する『冬物語』のB面曲。A面はドラマ『冬物語』の主題歌であったが、こちらはその挿入歌であった。A面同様、こちらも坂田晃一作品である。
 これで今回の記事には坂田晃一作品が2つになった。この曲も、いかにもというような坂田作品の香りが心地よく漂う。また、ヴォーカル=上原徹氏の甘い歌声が存分に発揮された仕上がりとなっている。ギターの音色も美しいのですが、こちらはダニー石尾氏による演奏でしょうか?
 だけどこれ、この三拍子、何かに似てます。そうだ、先ほどリンクに貼りました過去記事の「朝倉理恵を追え」に掲載した『風のマドリガル』とほぼ一緒なんですよね。もちろん、どっちも坂田作品です。
 ではどちらが先なのかというと、シングルとして発売された『時の~』が1972年ったのに対し『風の~』は1974年発売のアルバム『誰のために愛するか』の収録曲だったことから、こっちのほうが先だったようなのです。
 もしかしたら『時の~』の出来がよかったので、朝倉理恵には焼き直しで提供したのかもしれません。もっとも、『風の~』のほうは作詞が朝倉理恵本人によるものでしたけど。
 いいちこのCMソングで使われてもおかしくない曲ですね。
 

 
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音譜ヤン・スギョン『愛されてセレナーデ』<作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし>
 
 いまでこそそこそこの知識はあるものの、私は最初からテレビのドラマが好きだったわけではありません。いまある知識もリアルアイムで追ったものより、ビデオやCS放送などを観て後づけで得たもののほうが圧倒的に多い。そういう観方をしているからか、世代であろうと古い作品であろうと関係なく話ができるようになったところはあると思います。
 じつは私、もともとはドラマというものをあまり見ないほうでした。どっちかというと避けてたくらいでした。面倒なんですよね、気持ちがドップリ浸かるのが。
 そんな私が「ドラマもいいかな」と思うようになったのが、フジテレビ系列で放送されていた『過ぎし日のセレナーデ』でした。
 いまでは基本、私は映画でもドラマでも観るジャンルは問わない。ただ恋愛モノだけは、どこかに苦手意識のようなものがあり、すすんで観ることはあまりない。でも『過ぎし日の~』は恋愛モノなんですよね。最初から恋愛ドラマだって聞いてたら観なかったかもしれない。
 だがこのドラマにはチャラさがなかった。恋愛によって幸福になるお話ではなく、恋愛により人生を狂わされ、平和な生活も壊れてゆき、生涯にわたって不幸から抜け出せない人たちを描いたドラマだった。恋愛とは、ときに命のやりとりも辞さないものである――という、本来なら当然ではあるが「臭いものにフタ」にしてしまいがちな現代人に、厳しさを滾々と唱えているような作品だった。
 ひとりの女(演:高橋惠子)をめぐって兄(演:古谷一行)と弟(演:田村正和)が約半世紀にもおよぶ確執を繰り広げる様を描く、絶望的な物語でありました。
 文章で説明しても伝わりづらいが、とにかく重い。いっさいの遊びがない。そのかわり差別はある。殺しもある。タバコもパカパカ吸う。演者の本気度が違う。どの場面を観ても画面に吸い込まれるような力がある。これほど肝の据わった辛口なドラマは、軽さありきでなければならないような風潮になってしまった昨今の番組ではめっきり見かけなく・・・おっと、今回はドラマレビューの記事ではありませんね。
 その主題歌がコレなんですが・・・・・・ここまで書いてきてわかったことがあります。当コーナーではあまり有名でないものを扱うのが基本コンセプトでやってるのですが、この曲はそこそこ売れてたことがわかりました。それも第32回日本レコード大賞で最優秀歌謡曲新人賞まで獲っていたそうで。知らんかった。いやぁ~失敗、失敗。
 これもヤン・スギョンがウィスパリング・テクニックで歌ってますね・・・あ。これって作曲が三木たかし先生になってるんですけど、旋律が「シューベルトのセレナーデ」と呼ばれるものと一緒なのは気のせいですから。
あせる
 

 
♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*
 
 お疲れ様でした。『過ぎし日のセレナーデ』の濃い動画でお腹いっぱいになったところで終わりたいと思います。
 もうゲップ状態ですよね? ね? (* ̄◇)=3 ゲプッ
 
かお
 
かお
 
かお
 
かお
 
かお
 
 ・・・と思ったけれど、おまけでもう一曲を追加したくなりました。さっきので満腹になった方はスルーでいいです。
 
音譜のこいのこ『ヒポポタマス』<作詞:三輪道彦/作曲:小山田暁>
 
ひらけ!ポンキッキ』で紹介された歌曲のなかに『ヒポポタマス』というのがある。これはわりと有名なので、ご存知の方もおられよう。『運の悪いヒポポタマス』または『かわいそうなヒポポタマス』と憶えている向きも多いようだが、このタイトルが正しい。
 生まれてからわずか1週間で土葬されてしまうまでのシークエンスを「
るるるるるるるるるるる~る♪」を交えながら歌われたあげく「これでおしまい これでおしまい んんんーんーん~♪」で締められるという、朝のこども番組にはもってこいの迷曲であった。歌詞はイギリスの伝承童謡のひとつソロモン・グランディを基にしたものなんだそうだ。
 ヒポポタマスとはカバのことを指す。カバなのに一週間でジ・エンドとは哺乳類にあるまじき短い一生ですな。しかしながらこのヒポポタマスくんは、短い一生のなかで学校へ入学しているし結婚までしているので相当に濃密な人生を送っていたのだろう。ただし人生の半ばで発病し、残りの半分は闘病生活で占められてしまいます。生き急ぐにも程がある。
 そんな彼を運の悪さで片づけてしまってるところに本曲の深みを感じながら、そして悦に入りながら拝聴したいと思います。
 
 
♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*
 
 では「これでおしまい これでおしまい♪」なので、本当にこれでおしまいにいたします。んんんーんーん~♪
 
ひらめき電球

 思い出したことがあります。
 むかし妹がロシア民謡の『一週間』をアカペラで歌ってたことがあったのですが、それが超ショートカットヴァージョンでしてね。
 こんなかんじでしたよ。
 
♪日曜日に市場へでかけー
 月曜日に帰るー
 リャリャリャーリャリャリャーリャーリャ~♪
 

 

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