この1990年代後半の当時とは、大きく様変わりしたインターネットとその環境。
最近の政治や犯罪でも、ネット上のさまざまな所謂「たんつぼ」のような掲示板に吐き捨てられる多くの意見。
これはいったいなんなのかといえば、一つはすべてのメディアに対するなんらかの義憤、もどかしい怒りと言うか、そんなものが鬱積したものであると確信している。
その怒り、その矛先がおかしいのもある。一部の怒りとしては、メディアの作り手がそんな扇情報道にまったく責任取らないってことが、関係しているのではないだろうか?
この番組の最後の方に・・・確か過剰メディアの反省?らしきものを、話題だけにはしていたが、結局昨今のワイドショーやニュース番組を見れば、全く反省していないのはよくわかる。最近でも、悪いことしてやめたのに馬鹿な退職アナウンサーがいなかったか?もういい。収入高いんだから責任だけ取れ。
でもその当時を客観的に見ていて感じたことは、こんな「首切り」事件なら、視聴者の願望としては、まずは「映像」に関心がいかざるえない。なのでトップで扱う。そりゃ毎日になるでしょう?と思ってたが、それ相当に気分が悪かった。
そんな切り口は日本だけ?
政治の重要問題や案件、政治家のインチキは、ほっぽり出して、北朝鮮やオウムや残忍な殺人事件など、一日中そんな報道ばかりやってたのは。
それが今の今になって「失われた何十年」になっているのか?関西なら吉本の相変わらずのひどいイジメ番組を見ていたら、同じような思いがある。
それでもメディアは責任はとらなくていい。それは官僚とまったく同じ構造なのかもしれない。このインターネットの世の中に、収入は下手すりゃ上がり続けたりする。
そりゃいい番組とそうでない番組の選別は視聴率しかできないだろう?本当か?広告を提供する会社にも問題はあるけれど。