大阪読売テレビ55周年 あのころの鼓動~神戸連続児童殺傷事件

大阪読売テレビ55周年 あのころの鼓動~神戸連続児童殺傷事件

読売テレビ55周年 あのころの鼓動~神戸連続児童殺傷事件ってのが放送されていた。神戸児童少年殺害事件を扱ったこの特番、55年も放送してて、特番する内容が万博に・・・豊田商事に・・・そしてこの殺人事件ぐらいしかなかったんか?と驚くばかりであった・・・

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担当精神科医のコメント・・・



「人間のはらわたをとりだした所で彼は射精する云々・・・」




こうやって裁判審理って判断されるのか・・・たった6年で医療少年院を出ていることに驚いたのと同時に、その1年後に本退院もしていたことに驚いた。


だがその奥に潜んでいた凶暴性のサディズムとは、また違った真実がそこにはあるような気がしてならなかった。




さて・・・・



この番組で一番、最低だと思った人間は、彼しかいない。







友が丘中学校の元校長、岩田信義校長だ。







抗議の手紙を迷惑そうに見せびらかすその姿は、70歳を過ぎても、まだ健在を誇示したいのだろうか。メディアはこんな奴ほど糾弾すべきだとは思ったけれど。





「A少年に責任があるかと言うことを聞いていない!学校に責任があるかどうかを聞いてる!」





ってその当時の新聞記者が詰問していた。おお、態度がでかいだけではなく、本質らしきものを問うメディア記者もいたんだと感心した。





それをインサートした上での岩田信義校長のコメント。






「学校が不利になったから公表しなかったわけではなく・・・・」




あきれたものだ。結果的にA少年がすべて悪いとなすりつけているような感じだった。そりゃA少年は悪いだろう。凶悪だ。






ただね・・・結果論として「小学校時代からちょっと奇妙な奴がおる、態度が変で目つきが悪い要注意人物であった」





あんたほんとか?





これかなりの問題発言だと思った。そりゃそんな奴が自分の周りにも見かける。年寄りが一人で住んでるお方とかだと、なおさらそんな少年は怖くなるだろう。陰湿ないたずらはよくしてるのを見かける。



話を戻すと・・・



その公立学校の態度は、警察の調書とまるで同じには見えた。おそらくA少年は、不良でも、例えばなんとか連合のような入れ墨してる学生でもないだろう。




犯罪発覚前のA少年に、もしそんなレッテルを貼っていたとしたら、おそらくですよ・・・神戸市のすべての公立中学や小学校、ましてや高校進学までそんな評価をしている生徒が、少なからずいたということになる。




統一地方選挙も始まるんでしょう?相変わらず、いいかげんな候補者がどの地域にも乱立するようだけれども・・・日本大丈夫かな?と思う時もある。





この岩田信義校長、後付けで決め打ちする最たるものだろう。そりゃ抗議くるわ・・・そりゃあんたひどい手紙もらうわ・・・と思わせたのだった。





例えばね、最近の大阪の桜宮高校の体罰問題でも滋賀県のいじめの問題でも公立学校の公務員がこれならば、そりゃ解決しないわ・・・








校長がこれなら、【教師もろくなの絶対採用してないよ!】断言できる。








あんた校長レベルで年収いくらもらってるねん?年金でも公務員共済だけ下がらないんだ。民間だったら即クビレベルの地位だろう?





結局、橋下徹市長でも桜ノ宮高校の問題でも問われている一つは、こういうのじゃないか?と、確信して思った。







そんなこと言ってる公立学校の現状があるのにもかかわらず、おそらく統一地方選挙でも、また地域の政治家に立候補する奴らはろくなのがいなそうないのは・・・どこの地域も同じなのか。













名門高校とか大学とか、ベンチャー企業なんちゃらと、金儲けして成功してるからすべて正しい、といって、まともだとは限らないさ。こんな地域は特にそうだと思う。東京都内でも同じような感じだもん。そんな進学校出身者ほど、性格悪い奴も多いじゃん。









岩田信義校長は、抗議の手紙を、テレビに見せびらかして「こいつ・・・頭おかしいアホか?」と思わざるえなかった。学校が不利になったから公表しなかったとはあきれたものだ。







警察も警察で・・・警察に挑戦するような人間だったら、そんな社会的弱者ばかり狙わんわ・・・オウム真理教見たら、わかるだろうに・・・






ただ・・・その根深い真実は同じだ、と断言しておく。いずれ露見されるだろうか?






岩田信義校長にしても法律や教育の専門家以外では、そこらの70代のおじさんに聞くのとたいしてかわらん結果を偏見に結び付けているだけの意見のように思えた。






こんな事件が医療少年院で税金投入されるとするならば、結果的に残虐な殺人事件や経済的困窮で自殺しなくてすむような健全な労働を手引きする職業訓練や同一労働・同一賃金に近づくような雇用システムに税金を投入した方がよっぽど世間の人々を救うのかもしれない。




ここ数十年は、普通の人間も、そういう殺人者も同じような境遇に滑り落ちている現実はないだろうか。シェアリングではなく、リストラの方向が間違っているのだろう。






ただ、それは言っているような再犯者の職業訓練とは全く別物である。





その当時の映像が映し出された。







シンナー吸った若者や不審者などの目撃情報。インタビューや新聞、テレビメディア中心に明らかに間違った情報を垂れ流し続けた責任はあるように改めて感じた。




今も過剰なメディアはたいしてかわらないのか、








被害者感情を守るのおれのメディアだけは違う!








という感覚自体もどうかとは思う。







そういう奴ほど、他人の気持ちに鈍感で傲慢なのは、







過去のメディアや関西と言う地域性が証明している。











追伸・・・高山文彦ってノンフィクション作家は、何者なんだろう。ちょっと立ち読みしたことはあるが、まるでこの事件は著者本人が、親戚かスポンサーか何かに頼まれて、まるで誰かに急かされたように書いた、発言したように思った。








誰かに・・・






この1990年代後半の当時とは、大きく様変わりしたインターネットとその環境。




最近の政治や犯罪でも、ネット上のさまざまな所謂「たんつぼ」のような掲示板に吐き捨てられる多くの意見。



これはいったいなんなのかといえば、一つはすべてのメディアに対するなんらかの義憤、もどかしい怒りと言うか、そんなものが鬱積したものであると確信している。



その怒り、その矛先がおかしいのもある。一部の怒りとしては、メディアの作り手がそんな扇情報道にまったく責任取らないってことが、関係しているのではないだろうか?


この番組の最後の方に・・・確か過剰メディアの反省?らしきものを、話題だけにはしていたが、結局昨今のワイドショーやニュース番組を見れば、全く反省していないのはよくわかる。最近でも、悪いことしてやめたのに馬鹿な退職アナウンサーがいなかったか?もういい。収入高いんだから責任だけ取れ。


でもその当時を客観的に見ていて感じたことは、こんな「首切り」事件なら、視聴者の願望としては、まずは「映像」に関心がいかざるえない。なのでトップで扱う。そりゃ毎日になるでしょう?と思ってたが、それ相当に気分が悪かった。



そんな切り口は日本だけ?



政治の重要問題や案件、政治家のインチキは、ほっぽり出して、北朝鮮やオウムや残忍な殺人事件など、一日中そんな報道ばかりやってたのは。


それが今の今になって「失われた何十年」になっているのか?関西なら吉本の相変わらずのひどいイジメ番組を見ていたら、同じような思いがある。


それでもメディアは責任はとらなくていい。それは官僚とまったく同じ構造なのかもしれない。このインターネットの世の中に、収入は下手すりゃ上がり続けたりする。


そりゃいい番組とそうでない番組の選別は視聴率しかできないだろう?本当か?広告を提供する会社にも問題はあるけれど。






この10数年、全体的は犯罪の数は横ばいか低下しているものの、ほぼ同じような凶悪事件はほぼ毎年頻発するようになった世の中。それを見れば、メディアはなんらその抑制には貢献していない。その逆だといわざるえない。



この児童殺害事件ってのは、基本的にはオウム真理教の事件と本質的な部分は同じであると思う。それはなぜかって話になると・・・



暗部なので言えない部分もある。



ただそれが当時の14歳の少年の「警察に対する挑戦」と短絡的に考えるのも、時代錯誤というかなんというか・・・もう少し、あなたがたは、世間に言っていない事、警察はあるんじゃないかとは思う。




それを今でも、そのままバックに何もなかったかのように垂れ流して報道するメディアも間違っているのだ。



2つとも、背後にあった事実を報道していないような気はするよ。ただ残忍な犯罪者のモデルや行動、性格をイメージ構築し、無知な凶悪者を増やしただけすぎないのだから。



その人間の持つ根源的な部分の狂気ってのは誰にでも存在するものであって、それが表昇華するかどうか、あるいはそこを何で穴埋めするかってことになるのだろう。




結局、メディアはなんだかんだ被害者のことどうだの言った割には、そんな本質を述べる人間をまるで犯罪者扱いにしていた事実はある。地方なんてなおさら保守的だろう。



加えて、この事件を、メディアは阪神大震災のどうのこうのに結びつけた奴もいたがびっくりした。あきれたわ。それなら火事の広がった原因とか本気で調べたことあんのか?とかも考えた。そっちの方なら「より真実」に近いかも。



医療少年院に送致されたのは、それが家族問題であると断定した上での軽減措置だと認識している。


それはおかしいとは思うけれども、同じように犯罪を犯すことなく、思い悩んでいる人々を差別したり、偏見を持たせて、社会とのかかわりを断絶させたりした責任は、そういうメディアや政治の責任が大きいのではないか。



家族問題と言う点では、現状の社会問題の解決と大きく関連していると思った。


話を戻そう。この殺害した少年の謝罪の手紙がクローズアップされる。



この時期は非常に多感、メディアで見たか読んだかしたことが頭の奥深くに眠っていて、その表象があの手紙だったのだろうか。それは知らんけど、残酷漫画ってどんなのだろう。


自分はその頃の少年の思い出といえば、とある先生に忘れ物だけで、密室に閉じ込められて下駄のようなサンダルやガラスの灰皿で約1時間以上殴られ、歯が折れた思い出しかないという特異な経験しかなかった。でも全く不良ではなかったですよ。ほとほと憔悴しきってはいたけれども。



同じ少年の人生でもこれだけ違うかと思ったけれども、後に出てきた校長の態度がひどすぎた。



ただ彼の退院後の人生という点では、罪の償いは別として、全く違う観点から「いぶかしげ」に思わざるえないことが多かった。



それはなんなんだろう・・・例えるならば日本の悪しき歴史や思想的な根源みたいなものが、そこには深く横たわっていて、彼にそれがこびりついている。そんな風に思えたのだ。



おそらく神戸新聞にはそんなことは書いていないだろうし、被害者どうだのレベルで終わっているだろう。それなら初めから被害者をそっとしておいてやればよかったのだ。



過剰な報道、インチキ臭い警察情報は、多くの差別を生んだり誤解を招いた。



当時をよく覚えてる・・・


おそらく今振り返ってみると、この辺りからそういうメディアのレッテル貼りが顕著になってきた。オウムが「ブート」で、サカキバラが「リ」ブート。



景気は気からと言うが、社会風土もそうだったのか。




フリーターとか正社員を抑制し始めたのもこの頃ではなかったか。別にそんなことしなくても十分やっていけるのに、今の55歳~65歳以上の保身のためにそうなった。彼らを見ていて、今の若者と比べると、非常にかわいそうに見ていた。現在でも、その残滓は見られ、こういう所も政治はまったく解決していない。地方メディアは、本当にクソだった。



くだらない情報求人誌はインチキな情報ばかり載せていたことも思い出した。そりゃリクルートは、政治家の賄賂なんかするよりも、今の失われた20年を考えると社会的、同義的責任かなり大きいよな。


地方ではそんな情報さえなかったのだ。


つまり、多くの世代の人々を、メディアが一緒になって、大きな偏見を生み、収入や格差を大きくした一つの要因になったのではないか。



犯罪とはまったく別次元の問題に拍車をかけた気はするね。

神戸連続児童殺傷事件を扱ったこの特番、55年も放送してて、特番する内容が万博に・・・豊田商事に・・・そしてこの殺人事件ぐらいしかなかったんか?と驚くばかりである。


こういう所でも、今はインターネット、地デジの世界、全国も地方も分け隔てなく同じ放送の場で、大衆に勝負するべきだと思うのだ。


たまたま見たその感想はがっかりした印象を持った。前の回の豊田商事の問題でも、その残党が今でもやっている、驚愕のひどい商売を明らかにする所まではやらなかったのも甘い。


神戸新聞社に送られた警察の挑戦だのなんだの・・・おそらくそんな思いは14歳の少年であれ、大人の人間であれないだろうが。何かしらの義憤を持っている人はいるのだろう。


でも一般的に言えば、よほどの思想家やへんな宗教家でない限り、そんな義憤は無駄な話ではないんだろうか。


神戸と言うと阪神大震災のことを思い出されるのだが、2年前に東北で同じような災害があったことを比較すると、こんな認識がある。


そんな地域で編集をしている人言えば、おそらくメディア内では所詮同じ業界の悪口言い合ってるしょうもない程度の人ばかりなんだろうな、と思ってしまった。



震災があったから事件があったから「ラッキー?」みたいな。日々暮らしている人との乖離はないのか。


震災などを見ていても、実は周縁的なほとんどの、裕福でなかった人の方がラッキーではなかったのだが、家が潰れた人はすばらしく、潰れてない人は我慢しろみたいな風潮はある。


障害者であれ、一般人であれ、最近の数々の神戸市や兵庫県の政策をちらちら垣間見ると確信している。橋下徹氏が行政に取り組む隣の大阪府は、変わり始めている。


そんな地域に住んでいた人の現状はいろいろ聞いているけれども、その地域に住む人も現実はほとんどわかっていない。


いわば・・・本壊と半壊の違いみたいなものか。


例えるならば、無壊で交通マヒくらいなら、障害者じゃないので「被害者」ではない、みたいな報道を何十年もメディアは垂れ流し続けている事実はある。


この災害に相まって、どう考えてもメディアだけはクソほど儲けてると思うんだけれど。最近の大企業の内部留保とかを考えると・・・細かい所はいいませんけど。