我慢すればきっと良いことがあるに違いないと思い込む | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

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昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

このブログを書いている間、ブログの記入欄の隣に「投票ネタ開催中!!」とあって、円グラフがある。

あなたはなに派といったような軽いものである。


これを見て、自分の頭の中身を円グラフにするとどうなるか考えてみた。


おそらく半分以上占めるのが、「変態性欲」であろう。

次いで占めるのが「一発逆転」だろう。

そして、最後が「我慢すればきっと良いことがあるに違いないと思い込むこと」だろう。


3つ目は少々長いフレーズだが、自分にはこの感覚が常々付き纏っている。


これは自発的なものではない、むしろ他発的なものである。

というのも、自分の父からよく言われたフレーズだった。

どんなにつらくても我慢すればきっと良いことがある。

明けない夜はない、夜明け前が一番暗いのだ、と父はよく言っていた。

よく聞かされ、自分も知らぬうちに意識の根底に刷り込まれていた。

当時は、厳格な父が好きではなかったので、言われても必死に反発した。

しかし、現在は昔ほどの嫌悪感は抱いていない。

もう80近い、耄碌した父に反発しても意味がない、嫌悪感を抱いても何も変わらないのだ。


高校を選ぶ時、父から「男子校を選べば、女子に脇目も振らずに勉強に励むようになるから、良い大学にも行ける」と助言を受けた。

父も県内一の男子校で3年間、勉強と野球に励み、いわゆる一流と言われる大学を卒業した。


自分もそうなれるかもしれない、男子校に行けば、女子にわき目も振らずに勉強に没頭するに違いない、と思い込んだ。

私立の男子校は、同じく合格した都立の共学に比べ進学率、偏差値ともに良かった。

ここで、勉強すれば、女子にわき目も振らず、頑張るだろうと思い、進学を決意した。


結果は3年間、いや卒業してからを含めれば30年間、女子にわき目を振って生きている。

なぜ、都立を選ばなかったのか、という後悔の念を3年間もったまま卒業した。


そんなとき、わき目を振るくらいなら、いっそナンパでもして声を掛けまくって女遊びをすればいいじゃないか、とも思ったこともある。


しかし、それができない。

堂々巡りだが、我慢すればきっと良いことがあるに違いないと思い込んでいるのだ。

変な倫理観が、道を踏み外させないのだ。


でも、今は後悔している。

いまさら女の子をナンパなんてできない。

醜悪な容貌の中年が、女子高生を道端で必死に口説けば、下手すれば児童福祉法違反か、条例違反で逮捕される。

もう、そんなことはできないのだ。


司法浪人のときだって同じことを考えた。

司法浪人している間は、どうせ無職なんだから、アルバイトでも派遣でもなんでもやって他のスキルを身につければいいじゃないかと。


しかし、できない。

バイトや仕事を始めたら勉強に集中できなくなり、一生受からなくなってしまうんじゃないかと思ってしまう。


でも、現在は仕事をしたくてもまともな仕事がない。

やるなら法律の知識を生かせる仕事をしたいが、そんな仕事は自分が働けるようなところにはない。

もっと早めに見つけるべきだった。


いままで我慢しても何も良いことなど碌になかった。

でも、なぜかこの感覚が常に付きまとう。

だから失敗を重ねるのかもしれない。


この感覚を持っていてよかったと言える日が早く来てほしい。