これでいいのだ

これでいいのだ

「重ね煮」と出会って、私は鬱から解放された。
食べ物の力の大きさを知った。
そして、私のごはんを食べた人が「ほっとする」とか「元氣出る」とか「癒される」と言ってくれる幸せ^ ^
自宅でカフェと料理教室をしています。

私の夢は、海や山に護られた場所で気持ちの良い建物で、癒しのごはんを食べ、のんびり過ごし、自分を取り戻す場を作ること。
人生のどん底で「重ね煮」に出会い、「重ね煮」を食べることで心と体が元氣になり、そこからどんどん人生が変わってきた。
出会いと別れを繰り返し、今は重ね煮料理教室、カフェ運営、糸エステ、指ヨガ施術をしています。

この経験が、いつか夢に繋がると信じています。

こんばんは(^^♪
重ね煮女将こと佐藤操です💓

さて、つづく・・から4か月が経ちました。

前回は
母との関係が
少しづつ変わってきたことを書きましたね。
 

父が亡くなった後
認知症も進んで行ったので
一人で住むのは無理になり

我が家で引き取って一緒に住むか
施設に入ってもらうかと悩んだ

母は生まれ故郷を離れたくないとかたくなだったので
結局はグループホームへの入居を決めました

それも納得いかない母は
ごねにごねましたけどね

そして
認知症状は徐々に進んで行きました

そうすると
不思議なんですが
気の強い母が少しづつおとなしくなっていったのです

そしてある日
「操のところに行きたい」
「一緒に住みたい」と言い始めたのです
びっくり仰天とはこのことです!!

そうは言っても
仕事もあるし難しいよねと思いながら
「そうだね~」と流していました

そして2023年12月

あの言葉を聞きました


突然
「あんたは可愛く生まれて良かったね~」って言ったのです

ええええええぇぇぇぇぇ~

いやいやあなた
あれだけ「あんたの顔が嫌い」って言ってたじゃない

こども産んで可愛いと思ったこと
無いって言ってたじゃない!!


これって
母の奥底には「可愛い」と思う心があったのに
母を取り巻く状況や環境で
それを感じる事が出来なかったって事なんじゃないの?

そうだとしたら
可愛そう過ぎた


そして
認知症が進んだことで
素直にその気持ちが表せたんだねって思った

そうしたら
いままでの

母を嫌いな気持ちが
氷が溶けるように溶けて行った

そのあとに
愛おしいという気持ちが
どんどん湧き上がってきた

つづく



 

こんにちは
重ね煮女将です(^^♪

母を自宅で介護すると決めた
と聞くと
母子関係が良かったと思われがちですが

実は
めちゃくちゃ仲が悪かったのですショボーン

母に愛されていなかったって思っていたのショボーン

まず
「あんたの顔が嫌い」と
小さい頃に言われていました
なので顔はずっとコンプレックスだった
(これは2023年12月まで持ち続けていたわ)

なぜ顔が嫌いか?
それは

女将の顔が父親に似ているからだそうですガーン

その背景はこんなでした

母は父と結婚したくなかった
お見合いをして
断ったのだけど
親同士が勝手に話を進めた

どうやらね
母の兄が結婚するのに
小姑がいるのはよろしくないと
家から出したかったらしい(母談)

そして父は
無口で亭主関白
外面すこぶる良しで
嫌だったらしい

んなもんだから
その父に顔の似ている女将の顔も
嫌いだったんだよね

おまけに
なんだかんだと
母の思い通りに事を運ぼうとするから
夫婦仲はよろしくなく

女将は
争いをしないように
親の顔色を見るのが身に付いて
手のかからない
おとなしい子供になった

なので
反抗期なども無く
のちに母は
「あんたは本当に手がかからなくて楽だったわ~」と・・・
(手がかからないってことは、子供はすごく頑張っていたのことに気が付かない親)


それがね
女将が離婚をするって決めた時から
めちゃくちゃ険悪になったの

自分の思い通りにならないからなのだろうね
あと世間体が悪いって
「親戚には離婚の事は言うな」って
おじさん達が亡くなった時も
知らせてくれなかった

実家に行くと30秒で喧嘩になったり
「なんで来た」
「娘は居なかったと思う事にする」
「親でもなければ子でもない」
「そんな子に育てた覚えはない」と
何度親子の縁を切られたことか・・・

だから
母を引き取り介護するなんて
考えてもいなかったし

何なら
母が死んでも泣かない自信があったキョロキョロ

でも
あることがきっかけで
母のことを違う角度から見るようになり

母の人生を
母の話をじっくり聴くことにした

その時に
母も母(女将の祖母ね)に
愛されていなかったと思っていたと知った

母は祖母が亡くなる前に
そのことを
「文句言ってやったさ!」と鼻息荒くして話した

そのあと
「私の人生、ひとつも良いこと無かった」って話すから

「結婚して子供が生まれてうれしいとか
子供が可愛いと思ったこともないの?」って聞いたら

「無い」って即答だった笑い泣き

まあ
想定内だったけどね

あ~この人は
可愛いと思えない子供たちを育てたんだ

自分の子どもが可愛いラブって
あの何とも言えない
幸せな気持ちを味わったことが無いまま
子育てしていたんだ
と思うと

可愛そうになってきたんだよね

それと同時に
可愛くないのに育てるって
凄いことだよなって思いが湧いてき

可愛がってはもらえなかったけど
虐待されたわけではないし
貧乏だったけど
ちゃんと食べさせてもらったし
着せてもらったし
学校も行かせてもらった


それは
可愛い可愛いと育てられたわけではなかったけど
女将の望んでいた親子の愛では無かったけど
ひとつの愛の形なのでは無いのかな?と



お正月は、着物を着て手作りのご馳走が並び
節分は、一緒に大声を出して豆まきし

ひな祭りは、厚紙と千代紙でお雛様を作ってくれ

手作りの桜餅と鶯餅を作ってくれて

 

こどもの日は、ヨモギを摘み何百枚と手作りのべこ餅を作り

七夕には、笹竹を採りに行き飾り

十五夜には、とうきみ・さつまいも・栗をお供えし月を眺め

年末には、新しい下着を新調し

 

これを

共働きで朝から晩まで働きながら

ずっとやってくれてたの

 

これはね

もう愛でしかない!!

そう思ったんだよね

 

そこから

少しずつ二人の関係が変わって行った

 

 

母から電話が来て

「いつでもおいでよ」って

初めて言われた時

涙が止まらなかった

 

そして

2023年12月

あの言葉を聞く

 

つづく

 

前回のブログ記事は
2023年9月だった
女将ですびっくり

久しぶり過ぎて
どこからブログ記事を書くんだっけ?
ショボーン


その前に
ログインできないーーーーガーン
問題もあり

やっとこさ
ここにたどり着いたところ

今回から
母の介護と看取りについて
書いていこうと思います

介護と看取りは
ひとりひとり違いますから
こういう場合もあったのですという
記録として書いていきます

母の介護をすると決めて
スタートした笑顔の食卓全国キャラバンも
最終回を2024年6月1日に終了


(これは

母の健康状態が著しく低下したため
当初の9月介護開始を6月開始に変更したため)

残っていた仕事を全て終えたのが
6月28日

その足で母を迎えに行きました


でもこの後
母が亡くなった時に出てきたのが
仕事はいつでもできる
もっと早く母を迎えに行けば良かった
その後悔でした

つづく