「エキサイティング秀樹vol.5 恋の暴走/この愛のときめき」より 〜アイドル仮面・ヒデキの正体を暴く・SIDE A〜
2019年12月23日、TwitterにUP。
こちらも、西城秀樹さんの音楽を文字に残すために、流れないブログに移動いたしました。
前・後編。超超超超長文です。まずは前半から。
。。。。。。。。。。。。。。
LP「エキサイティング秀樹vol.5 恋の暴走/この愛のときめき」
1975年6月25日発売
(参考:この愛のときめき 1975年2月25日、
恋の暴走 1975年5月25日)
SIDE A
1.恋の暴走
作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
2.さよならの宿命
作詞:伊藤アキラ 作曲・編曲:あかのたちお
3.海辺の駅へ
作詞:伊藤アキラ 作曲:美樹克彦 編曲:惣領泰則
4.青春の挽歌
作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:あかのたちお
※シングル「恋の暴走」B面収録曲
5.灼熱のサンバ
作詞:落合武司 作曲・編曲:惣領泰則
6.ブギインザブギ
作詞:たかたかし 作曲:羽根田武邦 編曲:惣領泰則
SIDE B
7この愛のときめき
作詞:安井かずみ 作曲・編曲:あかのたちお
8.夕やけ雲
作詞:落合武司 作曲・編曲:あかのたちお
9.愛の叫び
作詞:たかたかし 作曲:美樹克彦 編曲:惣領泰則
10.土曜の夜
作詞:安井かずみ 作曲・編曲:あかのたちお
※シングル「この愛のときめき」B面収録曲
11.翼があれば
作詞:たかたかし 作曲・編曲:惣領泰則
12.悲しき誕生日
作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
●総評1
〜アイドル仮面・ヒデキ〜
「エキサイティング秀樹vol.5」を初めて聴いた、休日の昼下がりのこと。
「歌い方可愛いわぁ〜ヒデキ」
「やっぱり、秀樹さんの歌唱のターニングポイントは翌年の阿久悠さんとの出会いだわね」
「絶唱の中にも声に少年っぽさがあるわね」
なんて、のほほん思いながら、コーヒー片手に聴き進めていた。
そしてもしこのLPに関して感想を書くなら、
「前作のLP『傷だらけのローラ』の少年声から1976年発売のLP『愛と情熱の青春』の青年声に向かい、着実に大人の階段を登りつつある西城秀樹の歌声が味わえる、非常に聴きごたえのあるLPである」
とか記しちゃうんだろうなぁ、
なんて、のほほんとコーヒーを飲み干した。
が。
ラストの「悲しき誕生日」のAメロに差し掛かった時。
私ののほほんとした昼下がりは大どんでん返しを喰らったのである。
無抵抗だった私の身体に不意打ちの稲妻が走り、私は涙の大雨に撃たれて、動けなくなってしまった。
「やられた…」
涙にまみれながら、なぜか、そう呟いていた。
ちなみに、ギャング映画の結末ではない。
「悲しき誕生日」は、発声から表現の深さまで、それまでの収録11曲とは明らかに一線を画していた
…ように見え、
唯一この曲だけに見えた、青い中にも情熱を秘めた歌い方こそ、
偶然にも次作LP「愛と情熱の青春」、さらには次々作LP「若き獅子たち」へ繋がる複雑な世界観の様相を呈していた
…ように見えた。
唯一この曲だけ…??
…いやいや。
思い出せ。
デビュー曲「恋する季節」でお披露目された、16歳とは思えない、初々しいとは程遠く腑に落ちた歌声を。
思い出せ。
デビュー間もないコンサートで歌った数々の洋楽カバーで見せた、17歳とは思えない外国人顔負けの容赦ないシャウトを。
思い出せ。
73年レコ大にて歌唱賞受賞時に披露した「ちぎれた愛」の、18歳とは思えない卓越した発声の深さと表現力を。
思い出せ…
74年紅白の「傷だらけのローラ」の、初出場19歳とは思えない泣きのロングトーンを。
そう、多分私は「悲しき誕生日」に辿り着くまで、秀樹さんが本LPにおいて被っている、分厚過ぎる「アイドル仮面」に見事に騙され続けていたのだ。
それだけ、仮面を被った彼の「アイドル歌唱」は完璧だった。
弱冠20歳の「アイドル仮面」の必殺技「ワスレロ光線」によって、デビューからここまでに至る秀樹さんのアンビリーバボーな歌声の数々を私が忘れるには、LP初っ端の「恋の暴走」から「さよならの宿命」「海辺の駅へ」の流れは充分過ぎた。
気を取り直して、もう一度、最初からこのLPを聴いてみた。
よくよく聴けば他の曲、例えば「愛の叫び」でも「翼があれば」でも、さらにはシングル「この愛のときめき」でも、彼は発声や表現において「悲しき誕生日」同等の深みのある表現力と歌唱力を、「アイドル仮面」の奥にかなりわかりやすくチラつかせていたのだ。
かたや、この歌唱力を「アイドル仮面」で巧妙に隠しながら歌った「恋の暴走」や「土曜の夜」「さよならの宿命」「灼熱のサンバ」。
ラストの「悲しき誕生日」がもう一度かかる頃には、コーヒーカップはもうカラカラに乾いていた。
一度聴いただけでは気付けなかった、裸の、西城秀樹の歌声。
この曲を歌う彼は静かにその厚い仮面を外し、床に置いてくれていたのだ。
そう。これだ…
最初に聴いた時とは、違う種類の涙が流れた。
そして、納得した。
今回私が筆を取ろうと思ったのは、この「エキサイティング秀樹vol.5」を、単なる少年ヒデキから青年ヒデキへの過渡期の一作品、というだけで終わらせたくなかったからだ。
確かに、このLPの中にはあどけない少年ヒデキと落ち着いた青年ヒデキの声がかなり混在していて、歌唱的な面で言えば過渡期は過渡期なのだ。
ただ、その少年ヒデキも素のものではなく、見せかけの「アイドル歌唱」という分厚い「仮面」を被った、実は高い歌唱技術に裏打ちされた「アイドル仮面」の歌声である、ということをここで論じておかないと、
"埋もれてしまったヒデキの音楽史"を塗り替える一歩は踏み出せない、と思ったのである。
だって、「仮面」を剥いだ向こう側にある、裸の西城秀樹の歌声にこそ、デビュー時から一貫する音程の正確さ・声の伸び・細かなテクニックの多彩さという技術面の凄まじさはおろか、
このLPから一年後に制作されたLP「若き獅子たち」のコンセプト「やさしさに根ざした情熱と狂気(阿久悠氏の言葉より)」の片鱗が、顔を覗かせているのだから…
さらに一旦ヒデキの「アイドル仮面」を見破ると、「エキサイティング秀樹vol.5」だけではなく、私の中でただひたすら少年声だなぁとだけ思っていた1974年発売のLP「傷だらけのローラ」にさえ、無数の「狂気」の種がばら撒かれていたことにも気付いてしまうのだ。
恐るべし、
「アイドル仮面・ヒデキ」………
そんな理由で、一曲ずつ、仮面を剥いで、剥いで、剥ぎまくり、考察した結果が、以下の曲目別解説である。
かなりマニアックな部分まで仮面を剥いでいるので、もうお腹いっぱいだわーと感じた時点で読むのをストップすることをお勧めする。
なお今回は9割がた、西城秀樹さんの「声」に焦点を当てているため、その他バックバンドや曲の構成についての言及はほぼ無いので、ご了承いただきたい。
出来るだけ音楽用語も使わないようにした(てかそもそもそんなに知らんw)が、あまりに意訳がしっくりこない場合は使用している。
今日も、秀樹さんはどこかで歌っていて、誰かがうっとりと見惚れている。
画面越しにぴょんぴょんダンスしながら指クルクルしてウィンクを投げかけてくる可愛いアイドル…
あー可愛いよーヒデキ(*´艸`*)
…いやいやいやいや、みんな騙されちゃダメだ!!
そこにいるのは分厚い仮面を被った、仮面の奥に狂気という隠し玉を持った、本気で腰を抜かすほどの凄まじい歌唱力の持ち主、
「アイドル仮面・ヒデキ」だからな!…
●総評2
~とっ散らかるヒデキの歌唱のベクトル~
西城秀樹さんはデビューから近年に至るまで、いつの時代も恐ろしい歌唱力なのだが、その歌唱のベクトルがこうもとっ散らかっている(勿論むっちゃ褒めてる)歌手も珍しいと思う。
歌手の声質の変化や、それに伴う多少の歌い方の変化は多々見かけるものの、発声や歌唱法自体を年代単位、いや作品単位でここまで変えてくるという意味では、こんなにバリエーションを持っているのは秀樹さんぐらいではないか。
例えば、前作LP「傷だらけのローラ」から比較しても、歌唱時の声帯の使い方が全然違って、多分ローラの頃の声帯の使い方をずっと続けてたら喉を致命的に壊していたかもしれないが、
今作では声帯に負担がかからない歌い方に少しずつシフトしており、それは76年〜77年にかけて著しい進歩をたどり、78年には一旦の完成形を見せ、そこからは時代や曲に合わせて進化やら変化やらを遂げ、今日に至っている。
一度、秀樹さんの歌声の変遷を軽くまとめてTwitterにUPしたことがあったが、その進化変化のベクトルがあまりにもバラバラすぎて、
秀樹さんの歌唱を分析しようとしても、一個終わったらまた一個、一から分析をし直さなければならないことを痛感したのだ。
ようやくそのバケモノ級歌唱力が一般的に浸透し始めたにも関わらず、秀樹さんの歌唱についての分析がなかなか進まないのは、こうした進化及び変化の著しさに分析側がついていけてないことに原因があるのではないかと思われる。
このLP一つとっても、あっちゃこっちゃとっ散らかってるし(勿論褒めてる)
例えば
シングルA面「この愛のときめき」↔︎B面「土曜の夜」、
A面「恋の暴走」↔︎B面「青春の挽歌」
これだけ見てもA面B面で180度違うし、
同じ「許されぬ恋」を歌う「夕やけ雲」と「悲しき誕生日」でも全くアプローチが異なるし、
「悲しき誕生日」を聴き終わった後に「さよならの宿命」に戻ったりした日には一気に青年から少年に戻っちゃうし、多種の声がこのLP内に混在し過ぎて、もはや「カオス」状態なのだ。
多種の声の混在、という意味では、先日考察したLP「若き獅子たち」も同じである。
しかし2つのLPには決定的な違いがあり、それに関連する記述を、先日記した「若き獅子たち」考から抜粋しておきたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜
他のアルバム(=「エキサイティング秀樹」も含む)では(※あくまでも個人的見解だが)
「西城秀樹」という1本のしっかりした軸に作り手側の意図や表現を(かなり分厚く)肉付けしていっている印象を抱くのだが、
このLP(=若き獅子たち)に限ってはなるべく「西城秀樹」の軸を折れ曲がる程細くして、あくまでも物語上の「ぼく」に徹しながら、
いち演者として感情を物語の上に走らせているように思われる。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「若き獅子たち」のような物語の延長上で一本のキャラクターに多種の声を混在させていてもLP全体の統一感は失われないのに対し、
「エキサイティング秀樹」のようなソングブック的アルバムで多種の声を混在させると、収集つかないほど、ベクトルがとっ散らかってしまうのだ。
それほど、歌手・西城秀樹の振り幅は想定外の範囲で大き過ぎるのだ。果たしてご本人は自覚していたのだろうか…
「唯一無二」と言われて久しい、その歌声の正体を求めて…
秀樹さんのデビューから近年までをコンプリートするには気が遠くなる程時間がかかると思うが、西城秀樹さんという稀代のシンガーの凄さを、少しずつでも、なるべく具体的に文字で記していきたい、というのが当面の私の野望である。
【曲目別考察】
1、恋の暴走
仮面度:★★★★★
まさかこの曲を考察する日が来るとは(笑)
しかし、このブリブリなアイドルソングも西城秀樹の歌唱力あってこそ成り立つものであると私は力説したい…
まぁ今更私が言わなくても皆さん分かっているとは思うが😅
このLPでは後に収録されているシングル「この愛のときめき」の方が3ヶ月先に発売されており、そちらの方が発声・発音が深いので、頭の混乱が避けられない。
ただ、1975年に限らず、デビュー時からの秀樹さんの歌声を思い起こせば、
この「恋の暴走」では馬飼野康二さん作曲のブリブリなアイドルテイストに合わせて、相当分厚く「アイドル仮面」を被せていることがよくわかる。
また今回は触れないが、1973年のシングル「情熱の嵐」も相当な「仮面」を被った歌唱である。
念のために伝えておくが、私は秀樹さんは紛れもなく真の「アイドル」だと思うし、秀樹さんが「アイドル」であることを誇りに思っているので、この呼称に負のイメージは全くない。
ここまで「アイドル」に徹することができる人は少ないと思うし、そもそもの意味は「偶像」だ。
決して、手の届かない…
しかし、現代の「アイドル」と呼ばれている人たちが挙って同じ歌唱法で、アイドルはこんな歌い方、こんなイメージという固定観念が悲しいかな浸透してしまっているため、ここではあくまでも便宜上、 口の浅い部分で発音を作るが故の平べったい発音の浅い歌唱を「アイドル歌唱」と呼ぶことにする。
現代の歌手はジャンル問わずこの「アイドル歌唱」が多く、音程の調節も口先の浅い所で行うので、ちょっと動いたり踊ったりしただけでズレたりブレたりすることが多い。呼吸から発音まで全てが浅いのである。
いま、皆さまがそれぞれ思いつく方、その方が私が定義した「アイドル歌唱」の方達です笑
秀樹さんはそんな「アイドル歌唱」を装った「アイドル仮面」として、私達の聴く耳を翻弄する。
「恋の暴走」を聴きながら、そうした筋金入りの「アイドル歌唱」の人達と比べると、秀樹さんが被っている「アイドル仮面」の分厚さに驚いてしまう。
その仮面を剥げば剥ぐほど秀樹さんの歌唱スキルが露になり、「アイドル歌唱」の人達との差が浮き彫りになってくるのが興味深い。
例えば…
・どんなに平べったく歌っても口内に一定の空間を保てている
・よって、他の人がガチでやると浅くなりがちなi、o、uの母音が深い
「きらいになれるなら おしえてほしいのさ」という、iとoの母音オンパレードの冒頭部だけでよくわかる
・深いのに、各母音の輪郭はしっかりしている
・そのくせ、子音もありえないくらい立っている。下手したら子音だけでも成り立つ
・強靭な腹筋の支えがあるから、下顎に余計な力が入らず、滑舌が素敵
・呼吸が深く、身体の深い所で音程を取っているのでどんなに飛んだり跳ねたりしても音程がブレない
・息を均一にコントロールして身体に共鳴させる歌い方の基礎が揺るがないので、きちんと声の響きがキープされている
・しゃくりや装飾などのテクニックを、「しっかりと音程を取ったうえで」巧妙に取り入れている
・リズムが活きのいい魚のようにぴょんぴょん跳ねている
他にも沢山あるが、ここで全部述べてしまうと他の項で言うこと無くなるので、これくらいで笑
これらが、西城秀樹さんの歌声ならびに歌自体をとても立体的に形成している要因たちである。
「恋の暴走」に関しても、これだけブリブリぴょんぴょん平べったく歌っているのに、しっかり共鳴が残っていることとか、「愛しては いけないか」「そして僕まで」「ダメに ダメに ダメになりそう」「ガラスの夜だよ」と、語尾でしっかりとキープするロングトーンにかかるビブラートの波形の均等さとか(これは雑誌でもかつて言及されていた)、結局は非常に立体的な仕上がりになっているのだが、ややデフォルメされた「アイドル歌唱」と、さらに映像の場合は息を飲む程の神ビジュアルいう二重の仮面に隠れて気付きにくいかな、とは思う…
(実際とある動画を見た際、秀樹さんの御顔の美しさに見惚れて、肝心の歌声を聴き逃すという大失態を冒したことがある笑)
当時、この分厚過ぎる「仮面」に気づいて剥がして評論してくれた方々がもっといたらなぁ。
■まとめ
アイドル仮面を外すと、秀樹さんの歌声はとても立体的と分かります
2、さよならの宿命
仮面度:★★★★☆
愛する人との別れ、そして「宿命」と言う重たい言葉を、こんなにあっけらかんと歌っていいのか(笑)
笑顔を浮かべながらナイフで刺す、みたいな…
笑いながら怒る竹中直人みたいな…
あまりにもこうあっけらかんと歌われると、背筋がゾクゾクするのだ(笑)
これが、総評1で触れた、狂気の種、の意である。
秀樹さんはこの狂気が地下で蠢いている曲を、「アイドル歌唱」を装いながらあまりにもさらっと歌っているのだが、その「仮面」が分厚過ぎて、素晴らしい歌唱技術が隠れていることに気づきにくい。
●驚異的ブレスコントロール
まず冒頭の「どこで」のフレーズから、秀樹さんのブレスコントロールスキルの半端なさにのけぞってしまう。
ロングトーン以外は、実に最初から最後まで、ほぼ同じスピードと量で、均一に息を前へ前へ流している。
この均一、というのが、本当に難しいのだ。
流れる息がコントロールされていないと、音程の上下と共に声が出たり引っ込んだり、言葉によって声量や圧の差が出てしまったり、トーンが揺らいだりしてしまうのだが、見事にそれがない。
この曲で言えば「別れを告げよう」「悲しみこらえ」の部分などがわかりやすい。音程は上下するが、それに影響されず息を送っているので、下がった音程の時にも声は引っ込まず、一本芯が通ったように、糸のように前へ前へ音が紡がれるのだ。
曲芸で、喉からどんどん万国旗が出てくるのを見たことがあるだろうか。
イメージとしてはまさしくそれ。
水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」で言えば、三歩進んで二歩下がらない状態なのである。
これが基本中の基本で、そこから秀樹さんは曲によって応用を利かせて声を操る。息の圧をわざと上げたり、声を引っ込めたり…
典型的な「アイドル歌唱」の歌手はこの息の送りを安定させる基本をすっ飛ばしている人が多いのかな?
声が揺れたり、音程の変化によって声が前に出たり後ろに引っ込んだりする人が多く感じる。
(荒れる元になるので個人名等は私は一切出しませんので悪しからず)
●腹筋による支え
声の安定には、腹筋の有無、そしてその腹筋がきちんと連動して使えているかも影響する。
この腹筋の使い方というのは、実は教える人によって本当にまちまちで、歌唱法によっても違ったりするので、その中から自分に合った方法を選べば良いと思うが、「腹筋を使わない」という選択肢はゼロに近い。
腹筋群(と横隔膜)をきちんと使えて初めて、秀樹さんのように息の流れが均一になり、歌声が安定して、口の中から万国旗が出てくるようになるのだ。
願わくば、秀樹さんの腰回りを、あくまで勉強のために、触らせて欲しかった
あくまで勉強のためにだ。
■まとめ
秀樹さんの人並外れたブレスコントロールスキルと腹筋力が歌を安定させているから触らせて欲しい
3、海辺の駅へ
仮面度:★★★☆☆
極端にメランコリックかと言えばそうでもない、潮風のような爽やかな曲なのだが、その爽やかさに全然歌詞がそぐわない。
「俺を裏切る友はすてた
傷つけあう 暮らしはもうあきたよ」
って…
背景にどんな大変なことがあったのだろうか…
あのあどけない歌声で…もう、狂気しか感じられない(笑)
それはさておき、かつて好きな女の子と二人で眺めた海と星空を目指し汽車に飛び乗った少年の、キュンキュンするような苺のように甘酸っぱい青春の味を、秀樹さんがさらりと爽やかに歌っている。
しかし…ここでも秀樹さんは頑なに「アイドル仮面」を外さない。仮面の奥を覗くと…驚異的歌唱力、出てくるわ出てくるわ。
●ピアノ的音程の驚異
秀樹さんは、この曲では主に以下の三つのパターンを上手く組み合わせて、音程を取っている。
①ピアノのように一つ一つ、正確に最初から当てて音をとっていく(Aメロ冒頭からサビまでほぼ全部)
②音のずり上げずり下げをしながら、徐々に音程を取っていく
(サビ「あの日の涙に」の「あ」とかサビ終わりの「いるだろうか」の「ろう」)
※この曲ではほぼ使われて無いが、このLPの他の曲にはポルタメントも大なり小なり巧みに取り入れている
③一つ前の音と同じ音程でめちゃ小さい装飾を入れて、次の音程に辿り着く
(「一年前あの子と」の「の」、「来た海まで」の「で」)
一番と二番、ほぼ同じ場所で、同じ音程の取り方をしているので、かなり細かい譜面の指示がありそうだ。
このうち、②と③はある程度歌を習えば習得できるが、
秀樹さんの歌声の特徴で一番特筆すべきは①のスキルの高さである。
次の音程への移動時にブレが全くと言っていいほどなく、望みの音程にリズムの頭と全く同じタイミングで到達している。
さらに凄いのは、それが4分音符だろうが8分だろうが16分だろうが、到達するスピードが変わらないこと。
譜面が細かいと、次の音程を探るうちに次の音程が来てしまい、結局どの音程も正確に取れなかったり、音程を誤魔化して終わってしまう人が本当に多い中、
秀樹さんはどんなに譜面が細かくても音程を正確に捉えていて、冗談ではなく、鍵盤を叩けばその音程が出てくるピアノ並みなのだ。
こんなに音程の輪郭がはっきりしている人…あまり思いつかない。
「夜のヒットスタジオ」で披露した「Boogie Woogie Whisky Rain」や、アルバム「33才」に収録されている「Club Manhattan」の香港のコンサート歌唱などを聴くと、生歌唱なのに、細かい音程が一つ一つ、機械のように正確で目が点になる。
この「海辺の駅へ」も、こんなにひとつひとつのピッチが恐ろしく正確なのに、まるでそこに気づかせまいとしているかのようにさらっと歌っているので、この驚異も仮面を丁寧に剥いであげないと、顔を覗かせてくれない。
●リズムと言葉
これもよく言われているが、秀樹さんのオンタイムなリズム感。
リズムの頭と言葉の頭がピッタリ合っているように聞こえるが、実は既に言及されている方もいるが、言葉の頭ではなく、母音の頭がリズムの頭に来ているのだ。
母音を明瞭に発音するために、身体をきちんと準備して開いておく。そして子音の発音の段階からもう母音を発音する口の準備をする。
歌唱の映像を見ていてもわかるのだが、秀樹さんはリズムの頭を迎える前にこの二つの準備を終えているため、リズムの頭にジャストで入れるのだ。
さらにすごく抽象的なことを書くのだが、子音はきっちり立って母音から独立しているにもかかわらず、母音の立ち上がりが無茶苦茶早い…という驚異。専門家の人これ見たら怒るな…wでもそうなんだもん。
この見た目矛盾する二つを両立させられるの、秀樹さんくらいしか本当にいないと思う。誰も真似できないわけだ。
西城秀樹さんのリズムに関しては、「土曜の夜」の項でも触れたのでご興味あればお読みいただければと思う。
■まとめ
秀樹さんまじパねぇっす
4、青春の挽歌
仮面度:★★★☆☆
「恋の暴走」のB面。
なんとなく、前作LP「傷だらけのローラ」全体に感じたテイストの名残を感じる。それどころかもっと遡り、60’sの匂いすら感じる。そしてGSっぽさも感じる。
■発声が日進月歩
それにしても、一曲まるまるフォルテシモどころかフォルテシシモで「声帯めっちゃ使ってます!」と猛烈アピールするかの如くぶっ飛ばす秀樹さんの喉…
こんなに全編フォルテシシモで通す歌って秀樹さんの中にあったかしら?
たしかに、秀樹さんのフィジカルの強さは尋常じゃないし、声帯自体のつくりも恐ろしく強靭なのだろう。
前作LP「傷だらけのローラ」に関しては、この声帯の強さをアドバンテージとして秀樹さんも使えるだけ使っているように思う。
しかし秀樹さん内での発声法の確立の過渡期にあると思われるこのLPに関しては、秀樹さんの発声は声帯の強さだけに依存しているわけではなく、別の身体の部分(「悲しき誕生日」の項にて後述)を使って、声帯自体にはさほど負担をかけないように歌っているように聴こえる。特にこの「青春の挽歌」はその傾向がわかりやすい。
いずれにせよ、だ。「ローラ」にしても「青春の挽歌」にしても、秀樹さんの発声法でないと絶対に喉を壊す歌い方をしているので、この歌い方を他の人は真似しないように😅15分で喉壊すので(笑)
とにかく「傷だらけのローラ」からの一年の間の発声の進歩が目覚ましい。このLPの中だけでも、声帯に負担をかけない歌唱法にかなりシフトチェンジしている。そして「愛と情熱の青春」では更なる進化を遂げる。この数年の秀樹さんの吸収力は、凄まじすぎる。
●ベルカント・ポップス?
私は常々、西城秀樹さんの歌声の響きにはベルカント要素がどんな場面でも露出する機会をうかがっていると力説しているのだが、この「青春の挽歌」でも例に漏れず、ア段やオ段にかなりの頻度でベルカント的響きを垣間見ることができる。
それは「さよならの宿命」や「海辺の駅へ」とは全く異なる、深くて張りのあるラテン系の響きだ。
いくら声帯を酷使しようがいくら歌唱法が変わろうが、ロックを歌おうがバラードを歌おうが、初期だろうが近年だろうが、絶対に失われることの無かった、秀樹さんの歌声の中にあるクラシカルな響き。
それは恐らくデビュー前から大本恭敬先生のもとでレッスンを受け、一通りのクラシック唱法の基礎を習得していたからに違いない。(秀樹さんのクラシカルな歌唱については、1978年バレンタインコンサートや1980年「限りない明日をみつめて」、1981年香港コンサートや後年ミュージックフェアで披露した「慕情」のテーマの歌唱などに色濃く出ている)
このLPでも、秀樹さんが「傷だらけのローラ」の流れを汲んで分厚く仮面を被せた歌声の中にもそうしたベルカント的響きを発見するたびに、小さな感動を覚えるのである。特にこの「青春の挽歌」、ア段とオ段の音色に注目して聴いてみてほしい。
■まとめ
仮面で隠しきれないクラシカルな声の響きがひょっこりはん
5、灼熱のサンバ
仮面度:★★★★★
本当に歌の上手い人は、ドラマティックな歌を見事に歌い上げるだけではなく、勿論歌唱の基礎を踏まえて、ノーテンキな歌を完璧にノーテンキに歌えるのだ。
例えば、植木等さんの「スーダラ節」とか、水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」とかも、歌い手の確かな歌唱力のうえにノーテンキ要素がプラスされている良い例だ。
●ノーテンキの裏の歌唱力
秀樹さんで言えば「走れ正直者」なんかがいちばんわかりやすいが、この「灼熱のサンバ」も同じくノーテンキソングにカテゴライズされると思う。
何がノーテンキさに作用してるかと言えば、前曲の「青春の挽歌」とは全く異なる、秀樹さんの「ア段」の発音である。クラシック唱法のような、深く暗い「ア」の発音の仕方では、とてもこの陽気さ、あっけらかんさは醸し出せない。
この曲や「さよなら宿命」、「海辺の駅へ」などは特に「ア」段をあえて?浅めの発音にしている。反面、「イ」段の深さが対照的だ。「君も僕の胸に」の「み」「さあおいで」の「い」「欲しい」の「い」「むこう見ずな真夏の恋」の「み」「い」他。
イ段を深く歌うのって下顎の力を抜かなくてはならないから、発音上とても難しいのだが…
秀樹さんは「アイドル仮面」をつけながら、そんな難しさをおくびにも出さず、巧妙な「アイドル歌唱」で私達の目を晦ましているのだ。
●聴き逃す超高音域
面白いのが、イントロや間奏の秀樹さんのリップトリルとタングトリル「brrrrrrrr」で、ファルセットというよりヘッドボイス寄りの、実はめちゃハイパー超高音を出している。これがまたクリアで気持ちいいのだ。
後年、1978年頃にこの超高音域発声を秀樹さんはよく使っている。
私が認識出来たのは、1977年「夜のヒットスタジオ」冒頭のメドレーであおい輝彦さんの「Hi-Hi-Hi」を歌った時、BIG GAME'78で「Don't Let Me Down」のコーラスを入れた時、そして
1番有名なのが、「ブルースカイブルー」のB面の「アイムチャンピオン」かな。
中でも「アイムチャンピオン」の最高音はなんと「2点変ロ」(=高い、さらに高い、シ♭)という、表記もわけわからなければ音の高さもおかしいレベル(笑)なのだ。
秀樹さんの音域の話はまた長くなるので改めるが、男性でこの音域が出せる人は本気で滅多にいないから武器にしても良かったのに、と思うが、
秀樹さんは「この音域が出る」とか「こんなに声が出る」「こういうテクニックが使える」とか、そういう表面的な技術で勝負する気は一切無かったのだろうな、と、秀樹さんの生き方や考え方を後追いで知っていくと非常に納得が出来るのである。
●曲の構成力
この曲での、秀樹さんの歌の構成力の高さにも触れておきたい。
完全ウィスパーのピアニシモAメロのまま全部いくのかと思いきや、「君も僕の胸に」でわずかに盛り上がりの期待を持たせ「さあおいで」のワンフレーズで一気にクレッシェンドしてヴォルテージをUPさせ、超絶ノーテンキなサビへの盛り上がりが、さりげなく仕込まれたポルタメントの波と相俟って、まさしく沖合いから来るビッグウェーブの如く押し寄せる。パーリーピーポー到来イェー!って感じ。そして私達は、いつの間にか自覚なく、そのビッグウェーブに巻き込まれているのである。
この、「いつの間にか自覚なく」というのが、「アイドル仮面ヒデキ」の手口なのだ。
この曲に限らず、秀樹さんはバックのサウンドに頼らずにボーカルだけで歌を構成出来てしまう数少ない歌手の一人である。
以前ヤングマンの話が以前Twitterで出た時にちょっと話したのだが、ヤングマンのあの平坦なメロディも曲の山、フレーズの山、一つの音符の山、全部取り上げたらキリがないほど盛り沢山の山を秀樹さんが作ってくれているお陰で、聴き手は飽きる事なく秀樹さんの歌を聴くことが出来るのである。ドラマティックでない曲にこそ、この秀樹さんの手腕はより発揮されるのだ。
「灼熱のサンバ」、色々な山を見つけながら聴くと面白いので是非お勧めしたい。
■まとめ
私は間奏の「Ah〜」の吐息と、その後にちょっとだけ入る微かな吐息が悶えるくらい好き。やーほんと好き。←
6、ブギインザブギ
仮面度:★★★☆☆
これは…すごい。
最初に聴いて真っ先に思ったのが
「あっ、キャッツだ!」笑笑
絶対ミュージカルでしょこれは。
Aメロの息を殺した歪み声で重たい4のダウンビートでアクセントつけてジリジリ迫って、サビで軽く8ビートのクリーンに切り替えてサラーっと流すこのメリハリ。
この声で「気ままに生きてゆこうよ」と言われたら、二つ返事でうなずいてしまうわ笑
でもって、またこのノーテンキを思い切りノーテンキに表現するゆえの「アイドル仮面」で秀樹さんの歌唱力は巧妙に隠されてしまい、「面白い曲だなぁ」という印象だけが独り歩きしてしまうのである。
●歌を「語る」力
この曲は特別ドラマティックというわけでもないし、メロディラインも比較的平坦だし、では何が魅力を増幅しているかと言うと、
歌を「歌わずに」台詞の延長として「語る」秀樹さんの類稀なる能力だと私は考える。
この「歌わずに語る」才能だが、こればかりは秀樹さんの天性の部分もあると主張したい。
これは本人の感受性やら伝える圧の強さやら歌唱時の滑舌やら間の取り方やらニュアンスやら各方面(カメラ、観客等)へのアプローチ方法やらそもそも歌というもの自体への解釈の仕方やら、
いわゆるセンスと呼ばれる要素が絡み合って成り立つものなので、訓練してこのレベルまで到達できる、というものではないのだ。
「ブギインザブギ」にしても、茶目っ気たっぷりの秀樹さんの台詞と、歌に入ってからの世界が、感動的な程全く分断されておらず、ミュージカルにおいて鬼門とされるnarrative(地)からnumber(曲)への移行を、ミュージカル俳優も羨む程に非常に理想的な形で遂げているのである。
これは当然ながら、ミュージカル「わが青春の北壁」の厳しいレッスンを受ける前の出来事である。
この「歌を語る」天賦の才については、秀樹さんがカンツォーネやシャンソン、ミュージカルなど「語る」力が必要とされる歌を歌う時に良くわかるのだが、同じ年の武道館ライブの様子を収録したLP「MEMORY - 西城秀樹20歳の日記」の「泣かないで」や「Try a Little Tenderness」、そして「翼があれば」「夕やけ雲」など、narrativeとnumberの関係性が、移行というレベルではなく、むしろ完全に融合しきっているという、恐ろしい、いや本当にありえないくらい恐ろしい(語彙力…)状態なのである。
遡って1974年版「泣かないで」、1973年版「Try a Little Tenderness」を聴いても、もう既に、その「語る」力は十二分に備わっていることがわかる。
これは経験談だが、ある程度自在に声が出せるようになると、どうしても声を響かせる気持ち良さを優先してしまい、聴き手に伝えることよりも、歌を歌い上げることに目的がシフトしてしまう。
歌い手の「エゴ」が出てしまうのである。
かと言って、伝えようとする熱意のままに言葉を立てれば良いというものでもない。滑舌良くしようとすると逆に顎が力んで聞き取りにくくなってしまう。
これも一種の歌い手の「エゴ」である。
この二つの「エゴ」は、残念ながらプロ歌手でも殆どの人から滲み出てしまうものだ。荒れるので具体的には書かないが…
しかし「ブギインザブギ」を通して聴いてみると、秀樹さんの歌唱はそうした「エゴ」を一切排除し、余計な音程・音量・音圧の揺らぎや、力みが一切見られない。
揺れないこと、力まないことで、言葉がストレートかつナチュラルに聴き手の脳内に入り込んでくる。
とても聴き手を思いやった、優しい歌い方をしてくれているのだ。そう、秀樹さんの歌は常に相手ありき。ここまで歌い手としての「エゴ」を押し殺せるものなのか…
そんなこんなで、この「ブギインザブギ」は、思わず「う、うまい…」と唸ってしまった一曲。
秀樹さんの「語る力」、ここでは到底書き尽くせないので、恐らく機会を改めて深く触れることになるだろう。
しかし1920年のバレンタインってなぜ(笑)発売6月ですぜ?
■まとめ
冒頭の台詞かわいいなw
後半〜SIDE B〜へつづく
