「エキサイティング秀樹vol.5 恋の暴走/この愛のときめき」より 〜アイドル仮面・ヒデキの正体を暴く・SIDE B〜


2019年12月23日、TwitterにUP。
後半です。
そして…アイドル仮面ヒデキとano.ano.kiの対話は、次回へ続く😱


。。。。。。。。。。。。。。。。。


【SIDE B】
7、この愛のときめき
仮面度:★★☆☆☆

1975年2月発売のシングル。
「恋の暴走」より前の発売だが、こちらのほうが歌い方が歳食ってる(笑)
見える人物像もこちらのほうが青年に近い。まぁ、「恋の暴走」はアイドル歌唱という仮面を被せまくってるので参考にしにくい所があるのだが…

●歌謡曲なの?ロックなの?
歌番組での歌唱をいくつか拝見したのだが…
聴き終わると何とも言えない不思議な感覚が残るのだ。
ある種のシュルレアリスムというか…
と言うのも、「この愛のときめき」を歌う西城秀樹は、サビ前まで直立のド歌謡曲なのだが、サビからいきなりマイクアクション満載のロックテイストになるのだ。
Aメロとサビ部分(実際にはサビ手前から)で、発音(縦→横)と、発声(喉 開→締)と、アタック(軟→硬)と、リズムの跳ね方(レガート前乗り→スタッカート後乗り)と、そもそものジャンル(子音母音同体の和の歌謡曲→子音母音分離の洋のロック)を何となく変えているのがわかるだろうか。

バックのサウンドとかコーラスはどっぷり歌謡曲なので、Aメロを歌う秀樹さんの声とは非常にマッチしているが…
いかんせん、演出通りとは思うが、秀樹さんのサビのボーカルだけ、ロックど真ん中なのである。特に「yeah yeah yeah...」のシャウト部分。
しかし、ミスマッチの妙、と言うべきか…英語のように一つ一つ誇張された子音のせいだろうか、このサビがまるで洋楽を聴いているようで、妙に印象に残るのだ。

●歴史は…塗り替えない
Aメロは全体的にファルセットに近く…いや、「体に〜」のところとか、完全ファルセットだと思うのだが、公式にはファルセットを最初に使ったのは別の曲らしいので、これは聞かなかったことにしよう(笑)
当時の生歌唱では地声で歌うことが多かったみたいだし…

恐らくこのLPのどの曲よりも先に録音されている「この愛のときめき」だが、発音や発声に他の項で述べた「アイドル歌唱」が見られず、後の「若き獅子たち」以降を彷彿させるような深い発音・発声が、既にこの時点で散見しているのだ。
深い発音とは、オペラの歌い方のように、母音の発音を口の奥の方で作るイメージで、アからオまで行ったり来たりしても口の中の空間は一定を保たれているため、響きが落ちない。
ア段は勿論のこと、この曲ではオの段に注目してほしい。実に下顎と舌根の力の抜けた、故に無茶苦茶伸びのあるオ段が2番のサビで聴ける。首から上の力が抜けていてお腹の支えがあると、ある程度ビブラートは横隔膜を使って自然にかかるが、多分あそこでかかるビブラートはその状態である。

秀樹さんは歪み声の魔術師(これはまた機を改めて)であると共に、ビブラートの魔術師だと思う。自在にかけたりかけなかったり、大小速遅沢山の種類を持っていたり。
この辺りも、ベクトルのとっ散らかりの原因かな?

■まとめ
歌に必要な基礎が全部出来てることがわかるっぽい曲

8、夕やけ雲
仮面度:★★★★☆

「♪てぃろり〜鼻から牛乳〜」でお馴染みのバッハのトッカータとフーガニ短調(この曲ではハ短調に移調してある)のイントロからティンパニが怒濤の如く押し寄せ、秀樹さんの力強い声で劇的なサビが始まる。

愛の意味も知らずに突っ走る、少年と女性。
ここで描かれているのは、やはり…許されぬ恋。

ド少年声が奇を衒わず、ド直球どストレートに声と感情をぶつけてくる。
決して洗練されている歌い方ではなく、むしろ荒々しく泥臭ささえ感じる声。
若さ故のこの泥まみれなストレート球が、心に構えたミットを打ち破ってきて、何だか無性にこの少年が愛おしくなって、抱きしめたくなるのである。

なんとなく…20歳の西城秀樹ではなく、デビュー前の木本龍雄的匂いをこの歌い方に感じるのは私だけだろうか?
デビュー前の、血を吐きながらレッスンを重ね、ただひたすらにがむしゃらに歌う一人の少年の姿。
「そんなんじゃ伝わらないぞ!!」
プロデューサーの上条さん(大本先生だったかな?)に叱咤されながら、力の限りを振り絞って歌う…
このいたいけな少年声に、肩より長く髪が伸びた、色気の塊のような20歳の西城秀樹ではなく、まだ髪もあまり長くなくてあどけなさが残る木本龍雄少年の姿が、どうしても私の脳裏に浮かんでしまうのだ。

ひたむきに、不器用に、情熱を投げかけて歌う…そんな龍雄少年の姿と、茜色の夕焼け雲が胸の中でオーバーラップし、私の中で胸に迫るものがあったのだと思う。

おわり。

…いやいやいやいや、
違う違う違ーーーーう!!

当然ながらこのいたいけな少年声も、見事に「アイドル仮面ヒデキ」の手の内だということを忘れてはいけない。
うかうかしているとこの「夕やけ雲」の幼い声が今の秀樹さんの声だっけ?と錯覚して、裸の秀樹さんの歌声を本当に忘れてしまうのだ。
恐らく、なんの演出もなく当時の秀樹さんがこれを歌ったら、「この愛のときめき」のような大人の深い声になるのだろう。
恐ろし仮面…

●叫びの中のハイスペック
声帯の強さに加えて、腹筋の支えの人並み外れた強靭さを伺えるのもこの曲。
サビ前やサビのロングトーン。あんなフォルテシモのままビブラートかけてディミヌエンドせずに実に2小節分フルでテヌート出来るのは、よっぽど肺活量がバケモノレベルで腹筋側筋の支えがしっかりしている証拠。
「ブギインザブギ」が「語る力」なら、「夕やけ雲」は「叫ぶ力」。
ものすごいハードアタックで、ガツガツぶつけてくる。

叫ぶには体力と気力がいるが、気力だけで喉でがなって叫ぶだけでは、声がマイクで割れてザーザーしたり、歌詞が聞き取れない。
それは、叫ぶことで身体の共鳴が使えなくなったり、口元が力み過ぎて滑舌が悪くなることが原因だが、秀樹さんのすごいところはそれが全くなく、どんなに叫んでも共鳴が残って歌詞が明瞭に聞こえることである。
さらに恐ろしいのはそれがスタジオであってもライブであっても変わらないことだ。
(これが…90年代に、一旦様相が変わる時があるのだが…一応私も歌う人の端くれとして嘘は伝えちゃいけないので汗)
「夕やけ雲」の声のエッジの鋭さは、そうして脱力をしながらきちんと喉の共鳴を利用しつつ、腹筋を有効的に使って支えてこそ初めて出現するものであり、結果めちゃくちゃ強い芯が通った声となっている。
出だしの「愛が」や「あふれて」の「あ」のアタックひとつとっても、aの母音を出す前に身体と喉の準備を相当しておかないと、ここまでエッジは効かせられないし、一発でこの硬い「あ」の音が出せるのは神業としか言えない。

そしてその「叫ぶ力」に圧倒されて見逃しちゃいけないのが、「許されぬ恋」の「い」、「夢を抱いて過ごした」や「遠い夕やけ雲を」の「を」にかかるビブラートの、倍音を伴う美しい響き。
ビブラートが音を揺らすだけという音符上の装飾の一種ではなく、ビブラート自体にこんなに共鳴を伴っている人は本当に滅多にいないので、是非その美しい響きを聴いてみてほしい。

また、サビの「ちいさなまどにもたれて」の「ま」「ど」「に」に一音ずつ施された、わずかなしゃくりも聴き逃せない。
このプチしゃくりはサビの他の部分でも随所に使われており、あえてフレーズを繋げずにぷつぷつ切っている。
恐らく指示と思われるが、レガートでもスタッカートでもなく、ちょびっとしゃくることが少年の未熟さ、あどけなさを増幅させているように感じる。ほら、子どもってしゃくって喋って泣くでしょ?笑
こんなん、指示でやれって言われてもなかなか出来ない。

ちなみに同じ年の武道館での歌唱では、もう少し少年味が取れて深い歌い方となっているが、ストレートに想いをぶつけてくる直球加減はそのままで…非常に胸を打つ歌唱である。

■まとめ
少年タツオの仮面を被ったヒデキ

9、愛の叫び
仮面度:★★☆☆☆

これも「アイドル仮面」に隠れて聴き逃しがちだが、秀樹さんの歌唱力の半端なさを思い知る一曲。声帯及び喉まわりの筋肉を本当に自由自在に操れる恐ろしい歌い手ということをひしひし感じる。
この曲に関しては、比較的「仮面」をつけず、裸の声で歌っているように思う。

●その吐息…罪作りです
この曲で特筆すべきは、喉を終始開け気味でAメロの随所に息を多く混ぜ込み、あえてもったりと歌うことで、彼にしか表現不可能な色気を演出している巧みさである。
ちなみに後年のシングル「炎」のAメロでも使われている手法である。
こういう、他の人に出来ないことをさりげなく混ぜ込んでくるから、秀樹さんの曲は秀樹さんでしか成り立たない、と言われてしまうのである。

このもったりセーブ気味なAメロとサビに入る前の特大ブレスが、対照的に息を減らしてジャストのリズムでどこまでも伸びるサビ部分のまさしく「愛の叫び」を際立たせている。サビの「おいで  おいで」の部分はリズムがむっちゃ跳ねてるなぁー。

●エッジボイスのはしり?
エッジボイスというのは、よく声の立ち上がりに用いる濁ったようなザラザラしたような声のことである。(平井堅さんとかが使っているアレ)
それがまさしく、秀樹さんが出している「時計の針さえ止めて」の「は」の音そのものなのである。
今でこそある程度普通に飛び交うエッジボイスという言葉も、1970年代にはまだ存在していなかったのではないだろうか?
そして海外ではこのエッジボイスは昔から使われているが、戦前からの昭和歌謡歌手の流れを見ると、日本でこのエッジボイスを歌唱のアクセントとして使い始めたのは、ちょうど秀樹さんの時代辺りからなのではないかと推察する。これはもう少し検証が必要なので、1960年代の音楽まで遡って調査してみたい。
恐らく当時の秀樹さんご本人もエッジボイスという呼び名はご存じなかったであろうし、ちょっと喉を開けて息を多く混ぜちゃったらこの声が出ちゃっただけかもしれないが、洋楽に幼少時から慣れ親しんでいた秀樹さんだからこそ、洋楽で使われているエッジボイスのようなテクニックを自然に自分の歌の中に編み込めたのだと思う。

■まとめ
秀樹さんの吐息で悩殺寸前

10、土曜の夜
仮面度:★★★★☆

「この愛のときめき」のB面。
この曲も「灼熱のサンバ」と同じ「ノーテンキソング」の部類に入ると思う。
歌詞もライトだし、一見歌唱力なんて全く必要なさそうなこの曲。いや本当は無くても歌えるのかもしれないが、秀樹さんが例の如く「アイドル仮面」をつけながら巧妙に歌ってしまった結果、歌唱力が必要な歌になってしまった。

●ノーテンキの中の鬼ピッチ
サビにあたる「あの子 おしゃれ…」のブロックで何度も繰り返される、長6度のアップダウン。
秀樹さんの音程掌握力については「海辺の駅へ」の項で説明したが、ここでもその鬼スキルが発揮されている。
一度カラオケで歌ってみてほしい。音程を何となく取ることは出来ても、秀樹さんのように音の圧そのままで、全く探らずにドンピシャに音程を掴む事は非常に難しい。ただ音程を当てるだけなら出来るかもしれないが、ノーテンキに仮面を装ってしっかり表現しながら音程を当ててくるのが、西城秀樹。
本当に只者ではない…

●ドラマーゆえの「点」的リズム感
基本、西城秀樹はリズムを「面」ではなく「点」で捉える。

テニスやゴルフで「インパクト」という言葉がある。
スイングの中で、ボールを捕らえるその瞬間のこと、つまり「スパコッ💨」と音がする瞬間なのだが、言うなれば秀樹さん自身が持っているリズムの「インパクト」が、曲自体のリズムの「インパクト」の瞬間を絶対に逃さないのである。
秀樹さんの場合、リズム感タイム感が鬼畜レベルなので、ジャストのタイミングで、面的ではなく点的に「スパコッ💨」と快適なリズムを掴んでくれるのだ。
点と面。これが、リズムの取り方において秀樹さんと他の歌手との一線を画す、大きな違いの一つである。「ギャランドゥ」や「ヤングマン」を他の人が歌ってもぺちゃっとしちゃうのはここに原因がある。秀樹さんのように点的にリズムを取って、なおかつその点を曲のリズムに合わせることは、鼻からスパゲティを食べるくらい至難の業なのである。
やはり、秀樹さんが小3から慣れ親しんできたドラムが点でリズムを捉える楽器ということが大きく作用しているのだろう。

この「土曜の夜」のAメロ及び、サビを挟んだAメロ´、そんなわけでありえないぐらいリズムが跳ねている。まるで空気のたっぷり入ったゴムボールのような弾み具合だ。これも、「アイドル仮面」に隠れ、私が初聴では気づけなかった部分である。

■まとめ
前奏のコーラス、何て言ってるんだ??うーしゃららら?はらしゃかばーって聞こえるんですが…汗

11、翼があれば
仮面度:★☆☆☆☆

曲調・歌い方ともに「土曜の夜」からのギャップが激しく、まるでミュージカルナンバーのよう。
ひょっとしたら…秀樹さんが1975年にミュージカルをやるかもしれないという話が出ていたこともあり、その試金石として作られたのではないか、と予測すらしてしまうほど、このLPでもその存在意義を考えてしまう異色作。
歌詞も唐突に「汚れ ない頃に」「子供がいる国」など、独特のメッセージ性を放っているし、コーラスもミュージカル風だし、特別何かの番組のイメージソングだったわけでもなさそうだから…謎だ。

LP終盤へ向かうにつれ…だんだん、仮面を剥ぎつつある、20歳の西城秀樹等身大の声を多く混ぜてきているように思われる。
特にAメロ…本当に20歳なのか疑う。響きが本当に素晴らしい。
「あさが きょうもまた おとずれた」
聴いていると、ほぼ、ウィスパー並のピアノぐらいの声量しか出してないのに、完全に口腔内の響きだけで歌っている。一番Aメロ最後の「音ばかり」の「り」の響かせながらのクレッシェンドは鳥肌が立つ。
声質に隠れて分かりにくいが、これはクラシックの歌手も使う、喉を緩く開けて声を遊ばせるように響かせるテクニックである。
こういうピアノの声量の時にこそ身体の支えはより必要なのだが、ここだけ聴いても相当支えられてるなと驚く。
支えているからこそ息が前へ前へ流され、そこに乗せた言葉は絶対途切れない。きちんと休符もとってるのに、流れが一本の線に乗っかっているから行間にもニュアンスが残る。
ようやく正体を現し始めたな、アイドル仮面…

●音程のニュアンス
この曲自体はト短調(Gマイナー)の曲なのだが、一瞬ト長調(Gメジャー)のコードが現れる時がある。
それがサビの「つばさを ならして」の部分で、このうち「を」と「し」がコードを支配する大事な音なのだが、見事に気持ち良くピッタリ、ナチュラルの音をハメて歌っている。
野口五郎さんが「秀樹は耳が良い」と仰っていたのは本当で、加えて音楽的勘も人一倍優れているのだと思う。
勿論、音階というのはドレミ…しかないのだが、とりあえず現代の音階は低いドから高いドまでを12で均等に割って作っているので、ドとレの間にもそれなりの幅があって、音楽的勘の良い人はその幅の中から曲に合った音程をピンポイントで掴む。
私も歌う人の端くれとして断言させてもらうが…やはり秀樹さんの音程を掴むニュアンスは、プロでも達せないレベルなのだ。

武道館ライブの音源も参考に聴いてみたが…
本当に、本当に、凄いとしか言えなかった。
心が震えた。
この歌声の前には言葉など無力だと…
私はこの凄さを言葉にしたかったはずなのに、危うく降参してしまいそうになる。
この歌声を生で聴けた方々。本当に、本当に、貴重な経験だと思う。願いが叶うなら、もう少しだけ早く生まれて、秀樹さんのこの頃の歌声に触れたかった。

スタジオ・アルバムというのは、本当に歌唱力のある歌手にとっては一長一短な部分もあり、アルバムでしか実現し得ない繊細な表現が味わえる反面、一般層にはこのアルバムが出回ってしまうため、ライブ盤が発売されない限りは、ライブでのスケールが大きな歌声は足を運んだファンのみが知るにとどまる。
特に秀樹さんのような、スタジオ録音とライブで表現や歌声にある程度の乖離がある歌手は、出来ればスタジオアルバムにライブ歌唱版もひっつけて発売して欲しいくらいである。

ラストの短調から長調に転調したアウトロの部分は、ひょっとしたら、主人公が翼を得て、大空へ羽ばたくことが出来たのかもしれないな、と考えると、胸が痛む。
このピアノの美しいアウトロが次のトラック「悲しき誕生日」へ、上手い具合に橋渡しとなっている。

■まとめ
今頃、秀樹さんはどの空を飛んでるのかなぁ…

12、悲しき誕生日
仮面度:☆☆☆☆☆

このLPを取り上げた理由の約半分は、この曲である。
冒頭のワンフレーズ「もう帰るのね」だけで、私の涙腺を大崩壊させたこの曲。
このLPの他の曲も、勿論素晴らしい。
でも…この冒頭の「もう帰るのね」は、秀樹さんの奇跡的な長く深い歌唱人生の中でも、さらに上を行く奇跡的な瞬間の一つとしてカウントされるべきである。
歌詞も、ドラマティックなメロディも美しい。そして、許されぬ恋の中、愛する人の誕生日を迎える心情を切々と歌い語る秀樹さんの歌声の、何と青々しいことよ。
恐らくこの物語は幸せな結末を迎えることはない、ということを聴き手に予測させながら、自らの歌声に運命を委ねるように、現在目の前にある、ささやかで儚い幸せを歌い上げる表現力。
ほんの少しの幼さを残しながら、天性のセンスで深く美しく語りかける秀樹さんの歌声が、涙腺を制御不能にする。

これが、全ての仮面を剥ぎ、剥き出しになった、20歳の西城秀樹の裸の歌声だ。

翌年の「愛と情熱の青春」の製作を待たず、既にこの曲で秀樹さんは「少年から青年へ」の準備運動を終えていたのである。

●超絶制御下での歌唱
同じく許されぬ恋を歌った「夕やけ雲」との決定的な違いである。
「夕やけ雲」は歌唱の幼く荒い声をあえてストレートにガツンとぶつけてきているのに対し、「悲しき誕生日」はAメロからサビに至るまで、強弱やビブラートの有無と種類、習字で言う止め跳ね払いなどまで細部にわたり非常に制御して歌っている。サビでも息の流れを非常にコントロールしている。
この恐ろしいコントロール下で、禁断の愛のままに生きようとする若き青年の青い炎が燃える様を、花が青く燃える例えに重ねて切々と表現し切る力量。
これは、前述のLP「若き獅子たち」の「渚から」にも同じ事が言える。
超絶制御下に透けて見える、心の波立ち。
水面は、頗る穏やか。
だからこそ、青く燃える花の美しさが際立つ。
これぞ、狂気の一端ではなかろうか。

●ファルセット/やはり歴史は塗り替えたい
そもそも、ファルセットの定義が人によってバラバラなのも問題なのだが…
ファルセットを「息の多い裏声」と定義づけるのであれば、
「悲しき誕生日」でもAメロで普通に使ってた…😂
なので、やはり「この愛のときめき」で私が感じた部分も、思い過ごしではなかったようだ(笑)
秀樹さんがファルセットを使ったのは1976年「君よ抱かれて熱くなれ」のB面「ふたりだけの夜」が初と公的にも残っているそうなのだが、
もしや…それまでは自分の出してる声がファルセットと認識せず使っていたか?
であれば、これ以前にもライブとかでファルセットだと知らずに使っていた可能性も…😅
もう少し遡って隅々まで聴いてみる必要がありそうだ。

●しゃくりの効果
この曲ではサビの伸びやかな歌声の中に、非常に巧妙に、相当数のしゃくりを混ぜ込んでいる。
拾ってみたものの…

一番
たと「え」、なく「て」いいさ
こ「の」「よ」にあ「な」た「が」いる
二番
たと「え」ひと「め」しのぶこ「い」のあおくも「え」ておもい「で」も「ぼ」くはかまわな「い」から

…とても拾いきれない。
偶然の産物か指示なのかはわからないが、この歌い方も勉強で得たものなのだろうか、それとも息の流れの中で自然と出てきたものなのだろうか。
今でこそ普通に「しゃくり」はテクニックの技術として使うが、当時はまだ珍しかったのではないか。多用すると鬱陶しいはずのしゃくりがこんなにも自然に溶け込んでいるのは、やはり息の流れに逆らわず止めずでしゃくってるからだと思う。
ちなみに、ものすごくわかりやすい秀樹さんの「しゃくり」が聴ける曲は翌年の「君よ抱かれて熱くなれ」のサビ「川だよー⤴️」である。

●ビブラート
秀樹さんの歌が聴きやすい理由として、ビブラートの使用箇所をきちんと弁えていることも挙げられる。
クラシックの歌唱になると、ビブラートをかける機会はぐんと多くなるが、ポップス歌唱においてのビブラートはあくまでもアクセントだから、どこもかしこも揺らせばいいってものではない。
あ…沢山の歌手の方に喧嘩売ってる訳ではないので悪しからず🙇‍♀️🙇‍♀️
秀樹さんや、美空ひばりさん、細川たかしさん等、上手いなぁと私が思う方はその辺りのメリハリをすごくつけている。
要はきちんと身体でコントロールしながら歌うことが出来ているのだ。
「ブギインザブギ」の項で、揺れないことの安心感について述べたが、この「悲しき誕生日」においても、ビブラートをかけた方がいい場所、ノンビブラートで伸ばした方がいい場所、全てきっちり秀樹さんは計算したうえで歌っているので、聴き手に余計な気分の揺らぎを与えないのである。

●作曲・アレンジ
共に馬飼野康二さんが手掛けているが、ブルースカイブルー、傷だらけのローラをはじめ、秀樹さんと馬飼野さんは相当相性が良いと思う。
馬飼野さんは、秀樹さんの声のアドバンテージをしっかり把握したうえで曲を作っているように感じる。
「ブギインザブギ」の項で前述した、歌を「語る」才能をAメロで効果的に取り混ぜ、ローラのロングトーンとか、ブルースカイブルーのサビとか、ちぎれた愛のサビとかには伸びやかで声量豊かな秀樹さんの特長を充分に活かせるメロディラインを充てがっている。
個人的には…秀樹さんのボーカルと一番相性が良い気がする(三木たかし先生も捨てがたいが)

LP「若き獅子たち」考を以前記した時に、秀樹さんのボーカルのダイナミックレンジの大きさについて少し述べたが、ボーカルの振り幅だけでこれほどドラマティックに歌えるなら、この曲はきっとバックが全編ピアノだけでも素晴らしい仕上がりになっていただろうなと…前半のピアノサウンドのみの伴奏を聴きながら妄想してしまった。

●絶対に「浮かない」声
これが、多くの人々が「ヒデキの声じゃないともう何も聴けない!」となってしまう最大の要因のひとつである。

イメージ的に言うと、「胸から出た声を胸に流す」感じ
…なんのこっちゃ笑

つまりは、咽頭、胸郭の共鳴を非常に有効的に使っているのだが、秀樹さんほどこの部分の共鳴が強調されてる歌手は、日本ではあまり見られない。今すぐに思いつく人では、河島英五さんぐらいかなぁ?
(念押ししておくが、秀樹さんは喉と胸の共鳴だけを使っているわけではない。大大大前提で鼻腔も口腔も使っている。しかし、殆どの日本の歌手がそれだk…おっと誰か来たようだ)

フレーズを歌い続けて行くと、息が苦しくなる。息が苦しくなるとブレスが浅くなり、身体の各所に力が入る。
力が入ると、人の身体は楽な所で歌おうとする。お腹を極力使わずに、喉鼻の響きと口先だけで歌うことになり、結果、歌声が身体から分離してしまい、芯のない声になってしまう。
これが「声が浮いている」状態である。

秀樹さんの歌を聴いていつも驚くのは、この「声が浮いている」状態が、殆どないことだ。
秀樹さんの胸ないし喉から一度出た声のポジションは変動することなく胸を伝うように流れ、フレーズの終わりまで、もっと言えば曲の終わりまで、最初のポジションをキープし続けるのだ。

この「悲しき誕生日」のサビの部分も、初めから終わりまで声が浮くことなく、力強い芯がピーンと一本通っている。相当の腹筋と肺活量が必要とされるはずだが、こんなボーカルスタイルを完遂することが出来るのは、歌うためのフィジカルとテクニックがきちんと備わっている秀樹さんぐらいしか、本当に不可能なのである。そしてこの「絶対に浮かない声」が、聴く者の胸をストレートに打つ大きな要因の一つであることは間違いない。
余談だが、秀樹さんご本人は、歌う時に後頭部を意識して歌われていると、ラジオで仰っていた(Twitterで貴重音源拝聴しました)。ちょっと意外だった。

●結局、西城秀樹はハスキーボイスなのか?
西城秀樹さん=「ハスキーボイス」のイメージが先行しがちだが、実は完全なるフェイクの「えせハスキー」だったりする時が多い。
秀樹さんの歌声が、声帯の酷使から本当に掠れていハスキーになっている時もあるが(まぁそれも結構あるw)、この「悲しき誕生日」を歌う秀樹さんの歌声は、それとは全く別の、声帯はきちんと鳴って芯を持った響き方をしており、一般的な「ハスキーボイス」とは一線を画するものであることを強調したい。
秀樹さんの声がハスキーと思われがちなのは、曲によって「声帯」ではなく、その上にある「仮声帯」という部分を意図的に使っているからで(あくまでも憶測)、特にこのLPはその「仮声帯」発声を多用していると推測する。前述の「青春の挽歌」などはその良い例である。
憶測ついでにもう一つ言うと、秀樹さんは、この仮声帯を使う発声を非常に得意としている。秀樹さんは歪み声の魔術師と常々思っているが、その声の多くは恐らくこの仮声帯から生まれている。
ちなみにこのLPの次に発売された「愛と情熱の青春」では、この「えせハスキー」や「ハスキー」の成分をぐんと減らしている。さらに後年の日生劇場での歌唱などを聴くと、ナチュラルな秀樹さんの声は、ハスキーとは程遠く、むしろ声にある程度の艶を持ったクラシック歌唱に意外なほど従順であることが分かる。
(言うまでもなく1970年代中頃までの秀樹さんの発声は、ジャニス・ジョプリンの影響を大いに受けていたと思う)

この「えせハスキー」の発声方法の根っこは残しながら、「わが青春の北壁」でのレッスンを経て、声帯の負担を減らし、より深く響く、歌手・西城秀樹の声が出来上がっていくのである。
そのお話は、また、今度。

■まとめ
裸の西城秀樹の歌声は素晴らしい
また、西城秀樹の裸も素晴らしい(ドヤァ)

以上、曲目別考察、終了?

◆おわりに
仮面、分厚すぎ…(笑)
かなり細かく、そこまで触れなくても良いんじゃない?的部分まで触れたが、この「かなり細かい部分」の集合体が、一般の聴き手が感じる「なんかわかんねぇけどヒデキ歌うめぇ〜」なのだと力説したい。
多分、秀樹さんご本人は、歌に込められた愛と情熱が伝われば良いと思ってらっしゃったと思うので、あまり重要視してなかった部分かもしれないが…

そして…
私は、面白いことに気付いたのだ。
ヒデキと、他の歌手との、決定的な違いを…
うすうすはわかっていたはずなのだが、はっきりと認識できた時、ほくそ笑んでしまった。
だんだんと、ヒデキのあの歌声を裏付けているものが、明らかになる。
それはね、

「ちょっと待った!!!」

ドヤ顔で説明しようとする私の後ろに立っていたのはなんと…!

「出たな!!アイドル仮面ヒデキ!」
「ano.ano.kiさんよ、その続きは言わせないぞ!」
「なんでよ!きっと誰も気付いてない、世紀の大発見なんだよ!?
これ言ったら、おおおおおやっぱヒデキはすげぇーってなるよ!?」
「そこまでじゃないし!」
「でも、みんながよく言ってる、ヒデキの声じゃないと満足しないのは何故なのか、紐解くカギだよ!?」
「だからって、ここで言っちゃったら、つまんないだろ?」
「はい!?もったいぶれってこと!?」
「そうだ」
「なんでよ!?ヒデキさん自分のことだよ?」
「キミの文章は長いんだよ!もうみんなヘトヘトだよ!そんな世紀の大発見とやらが数行で終わるわけないだろ?キミのことだからきっとまた無茶苦茶長くなるはずだ。少しは読む側の事を考えなさいよ」
「…」(みなさんごめんなさい)
「機会を改めるんだな」
「…はぁい」
「あとさぁ、各項ごとの『■まとめ』が雑過ぎるよ。まとまってないし」
「はいすみません」
「泣き所もないし」
「コメディ出身なんですみません」
「あとさぁ」
「まだ何か??」
「今、また別のLPのことも書いてるんだろ?」
「…!?
  な、なぜ知ってるの!?」
「行き詰まってることも知ってるぜ。
 先にそっちを書こうとして、こっちのLPに浮気したことも」
「((((;゚Д゚)))))))」

次回予告:LP「愛と情熱の青春」1976年