LP「若き獅子たち」考‬ ‪〜西城秀樹 が表現するやさしさに根ざした情熱と狂気/中編〜‬


2019年8月14日、Twitterに初回UP。
後に、余計なツッコミを取り除いた加筆修正版を再UPしました。(今回ここに転載したものは加筆修正版です)
中編です。
アメブロでも前後編に収まりきらなかったよ:(;゙゚'ω゚'):どれだけ長いねんw

。。。。。。。。。。。。。

②楽曲別考察

【序曲】

この「序曲」も阿久氏曰く「闘争の場」に含まれるとのこと。
三木氏が得意とする、ジャズ及びフュージョンに寄せた作りになっている。

エレキ、ストリングス、ブラス、サックス、ドラムス、キーボード、各楽器パートが一頻り、好き好きに音を奏でる。
主人公である「ぼく」が何と、誰と闘っているのかは、この後の曲群で詳らかになっていくが、その「ぼく」の次第に高まる心の荒ぶりが巧妙に表現されている。ラスト辺りに目立つホーンセクションの不協和音が闘いの混沌ぶりと今後の雲行きを暗示しているかのようだ。
すべてのパートが一旦動きをやめ、一呼吸おいた後、B面の「ギターの墓標」の旋律が登場するのだが、
やはりこの曲がLPのハイライトであることの象徴なのだろうか。

この序曲、本来の目的の、開演前に観客(ここでは聴き手)の注目を引く、という役割は大いに果たしている。
そして、序曲のくせに、なぜかアンサンブルが次々出てくるような、群舞の振付がしたくなるサウンド。
引き続きそのまま、次曲「デッドヒート」へと、「闘争の場」の世界観ごとバトンタッチする。

【デッドヒート】

物語は、いきなり「戦うことが青春だと信じた日」(B面後半モノローグより。この作品、こうしたリンクがものすごく貼られているので、逐一拾っていきたい)
から始まる。
序曲の延長で聴いていたので、秀樹さんの歌声が最初流れてきた時は少しびっくりした。あ、もう曲始まってたのね、と。
「突然の日食の中で、獣のように、相手の呼吸をうかがいながら」「君を奪う」ために戦う、主人公の「ぼく」(モノローグとリンク)。

なんだか…弱そうなのだ。
少なくとも、獅子ではない。
少し音楽面の話をすると、サビの言葉一音一音(かーざーりーたーてーてーるー、等)、
はっきりと立たせ気味に強調して(marcatoに近い感じ)歌っているにもかかわらず、
「立てよ…かかってくるんだ」と挑発する「僕」にはまるで強さが見えない。
その姿は獅子と言うよりも、そう…
大きいけれども細くてか弱い子犬を連想させる。
なぜか。
(大きくて細くてか弱い子犬=秀樹さんまんまやん、というツッコミは抜きでお願いしたい)

サビの「♪デッドヒート〜」のテヌートがフレーズごとにだんだん保たれなくなってくことで余裕を無くしていること
(たぶん指示どおり。ちなみにバックコーラスのお姉さん達が音符通りの長さをキープしてると思われ)、
「ヒート」の部分の繰り返される声の裏返り、
「かかってくるんだ」のフレーズ終わりを押さずに引く(これが「ジャガー」だったら絶対押してるはず笑)歌い方等、
譜面上のあれこれも一因と考えるが、それより何より最大の要因は、
秀樹さんがこの曲を一貫して意図的に少年の青い声で歌っているせいだろう。
彼の唯一無二の武器である歪み声もシャウトもなく、横ひらべった目に母音を作って少し浅めのところでクリアに歌う。
デビューの頃の歌い方に似ている。特にア行。
B面の「渚から」以降の曲群と聴き比べるとよくわかる。

この少年の「青い」声が、物語の経過と共に青年の「蒼い」声を経由して、深く強い獅子の声に変わって行く過程を、秀樹さんは見事に表現している。
いや、この作品がデビューから数年かけて製作された、というのなら頷けるが、わずか数週間?のレコーディングでこの声の使い分け…?
まさしく、ヒデキアンビリーバボー。

更に、ビブラートのかけ方もB面の曲と全く異なるので、聴き比べたい。
この「デッドヒート」Aメロで使用している波形が緩くて穏やかなビブラートのかけ方は、意外と秀樹さんの他の作品でも
聴く機会があまりない気がするが、とにかく抜け具合が絶品なのである。
秀樹さんのよく使うビブラートはどちらかというとクラシック唱法でのそれと似ているのだが(波形がはっきりしている)、
こんなソフトなかけ方はどこで教わったのだろうか。

【anoのひとりごと】
●三木先生…サビの3回目の「立てよ」の「よ」だけ音程変えるという鬼畜作曲はやめてください笑
●コーラスのお姉さん達、一箇所間違えた?
 でもコーラスはコーラスで別で録ってるんじゃないのかい?直せるんじゃないのかい?
 まさか、わざと?

【抱擁・春】

ストリングス・ブラスが美しく、メロディを華やかに支える。
「デッドヒート」とはまたガラッと声が変わる。AメロBメロを芯少なめのミックス気味でソフトに語ったかと思えば、
サビのフォルテで突如、芯とツヤとハリのある地声に変貌する。
ビブラートのかけ方まで変わる(前半:波形がゆったり大きくて深め→後半:波形細かくて浅め)
三木先生の傑作「夜桜お七」に匹敵するぐらいの曲調と声色の変貌ぶり。
これもきっと阿久氏や三木氏からの指示なのだろうが、ここまで声を変えられるとは…
語彙力がなくて、恐ろしいとしか言えないのが歯痒い。

激しい「デッドヒート」に勝利し、「君」を手に入れて希望に満ち溢れた春の、よろこびのうた。
余談だが、この「春」のサビの部分を次のシングル「ラストシーン」のB面「愛する」にそのまま使っていて、
そちらもキラキラ多幸感いっぱいなのだが、この「春」も同様、"単独で聴けば"、多幸感の極致にある曲なのだ。
目の前には美しい蝶が舞う、パステルカラーの春の花園が広がる。2人を邪魔するものは何もない。
B面に登場する「太陽の悲劇」の歌詞の1番を引っ張ってくると
「あの時の太陽はやさしさに満ちあふれ
咲きほこる花園でおたがいを求めてた…」
その通り、太陽が太陽であり、優しい光を2人の上に降り注いでいた、紛れも無い幸せの時。

しかし…
今後二人に訪れる展開を前にして、ミュージカル「若き獅子たち」の物語の中の1曲として聴くには、それは残酷過ぎる多幸感なのだ。
いつからかを境に太陽の色が白から黒に豹変したのか、はたまた、この時既にそもそも2人が見ていた太陽は幻だったのか…
太陽は微笑んでなどいなかったのか。
(「太陽の悲劇」2番の歌詞とリンク)

「ぼく」はそんなことこはつゆ知らず、今も高らかに幸せを歌い上げている。
きっと彼には幸せしか見えていない。
しかし聴き手としては、LPの全容を知ってしまった今、この曲を聴くたび何ともやり切れない悲しみが込み上げてくるのだ。
(その分、「愛する」のほうで目いっぱいハッピー気分を味わっています笑)

【抱擁・夏】

他の曲に比べメッセージ性は控えめに感じる。
とりあえず、夏にはためらいを捨て、つつしみを捨て、はじらいを捨て、体をはなさず、
「ぼく」の「情熱」をうけ(この表現に生々しさを感じるの私だけだろうか…このLP内にはそうした表現が随所にみられる)、
君も「獣」になれ、いうことなのだろうか(「抱擁 冬」とのリンク)。
この「夏」と後の「冬」では、両方とも愛のままに突き進むがむしゃらさを基にしながら「ぼく」と「君」の「主体⇄受け手」のチェンジの対比が面白い。
物凄い所まで練っているのね、阿久先生…

「夏」自体は非常に短くて駆け抜けていくような曲だが、
秀樹さんの秀でた歌唱テクニックに着目しながら聴いていると非常に聴き応えのある曲である。
まず、難しいイ行の唸りをこんなに難なくこなすことにびっくりした。
秀樹さんの歪み声に関してはそれだけで考察一つ書ける程奥が深いので、ここでは割愛する。
そして、デビュー当時から一貫している日本語の発音の聞きやすさをこの曲でも強く感じたので、
少し、歌唱の技術的な面を解析したいと思う。

日本語は基本的に子音+母音でひとつの仮名の音が成り立っていて、子音のみの音(英語で言うBOOKのKみたいなやつ)が存在しないので、
子音と母音を分けるのも一苦労。子音だけを独立して立てるのも難しい。
そんな理由で、日本人は子音のみの音が存在する英語圏の曲を歌うのが苦手だそうだ。

ところがどういうわけか、秀樹さんはこれが出来てしまっている。
きっと、幼少時に洋楽が家庭で日常的に流れていた環境の中で、秀樹さんが自然と耳で覚えていったに違いない。

このアルバムは勿論日本語だが、「夏」を聴いていてすごいなぁと思ったのは、秀樹さんの子音の立て方のうまさ。
子音の発音「S」「H」「T」「K」「D」などがすごく綺麗なのだ。
子音と母音を分けて発音することを苦としない。結果、言葉がきちんと立つ。
例えば「捨ててほしい」がきちんとS+U-T+E-T+E…になっている。
さらに子音ではなく、母音の頭に音符の拍頭がぴったし合っていて、
これが秀樹さんのリズム感がドンピシャに聴こえる最大の理由だと思う。
だから何となく日本語の歌が英語の歌に聴こえる、というのもわかるし、
ご本人英語が喋れないのに何故か歌はむっちゃ外国人が歌ってるみたいってのもわかるし、
英語の曲でもリズムがぴったし合ってグルーヴ感を出せるし、
リズム感グルーヴ感がなんか他の人と一線を画すと認識される所以なのだと思う。

私自身も、今まで秀樹さんの歌の日本語が何故こんなに聞き取りやすいかを考えた時に、まず母音の発音のほうを先に考えてしまっていたのだが、
実は子音に鍵があったことを、「夏」を聴きながら発見した。是非そうした部分にも注目して聴いていただきたい。

【抱擁・秋】

感傷の秋にふさわしい、同じ三木氏作曲の「思秋期」を彷彿させるようなクラシックを基調にした美しい旋律が、
ロック調の「夏」とフュージョン色の強い「冬」で挟む事で、より際立っている。
アルバムの中での曲の構成に関して、多ジャンルに及ぶ三木氏の緩急のつけ方がやっぱり素晴らしい。
そしてこの美しいピアノ演奏は、クレジットを見てびっくり仰天したのだが、あの羽田健太郎さんである。
羽田さんと言えば、あの秀樹さんの美しいナンバー「ヒムナル」の作曲もされており、TVやラジオ番組で秀樹さんのバックで伴奏もされていた。
こんなに秀樹さんと関わりの深い方だったのだな…三木先生の作った曲をハネケンさんが弾く、って改めて鳥肌モノだ。

まだ少年味の残る、ソフィスティケートされていない声(後半の曲と比較するとわかりやすい)によって愛の苦悩がストレートに伝わる。
ドラマティックに歌い上げてはいるが、実はまだ比較的喉から上を使っていて、
少年が精一杯背伸びした感を演出している秀樹さんの表現力の奥深さよ。
恐らくその辺りも演出陣からの指示と思われるが、
そうした制約を持ちながらも発揮される秀樹さんの「秋」を歌い上げる声の美しさはベルベットのよう。
特に1番の最後「足音をきくだろう」のロングトーン…。鑑賞時に絶対、私の体に震えが来る箇所である。
まだ若くて、愛というものに対してどのように向き合ったらよいかわからず、ただ過ぎ行く季節に佇むだけしか出来ない少年(と君)の感傷を
ここまで豊かに歌い上げられるひとがいるのだろうか。
通常の何十倍も鋭い感受性を持っていたのだろう。レコーディング当時21歳というのが本当に信じられない。

既に気づいている方も多いかもしれないが、この「秋」の歌詞は、文の終わりが必ず「〜だろう」で締められている。
つまりまだ実際には、二人で秋を迎えていないということである。
そして実は「夏」も「冬」も、全てまだ見ぬ未来の「仮定」の話である。
二人はこの「仮定」通りに青春を辿ったのだろうか。そこに想像を馳せるのもまた面白いと思う。

【anoのひとりごと】
●間奏、ショパンのノクターン(遺作の方)の影響受けてるのか…?似過ぎでしょう(笑)
●いや…こんな感動的な曲にこんな茶々はナンセンスだが、「ぼく」は「何も考えたくない」などと言ってる場合ではなく、
 若さにまかせずにここで何か考えとかなきゃダメだったんじゃ…��余計なお世話だが…
 しかし、そんな「考えたくない」と言ってる「ぼく」をそっと見守り添えてくれるコーラス…うん、素晴らしい共演者だ。

【抱擁・冬】

「夏」との対比なのはよくわかるが、つかみどころがなく、未だ解析の余地がある曲。
このLP内で解釈に苦しむ曲のひとつである。
とりあえず冬の寒さに耐え切れず「君」をすごく欲しくなって次の「裸体」に繋がると思われる。
「君が欲しい」とストレートに言う辺りも、かえって若さゆえの生々しさを強調させている。
「裸体」もそうだが、まだ恋愛に慣れておらず、生々しさと「うぶ」が共存しているような…
秀樹さんのボイスパーカッションとスキャットを混ぜたような、さりげなくビブラート付きの「du du…」の繰り返しがある種のシュルレアリスムを呈し、やけに耳に残る。
もうやりたい放題な阿久三木コンビ…

ここで非常に唐突に、何故秀樹さんの声が心地よいかを、おさらいも含めて分析してみようと思う。
良い声を出すには、体幹以外の脱力が必要である。
さらに口の中の空間が大きければ、当然響きも良くなる。
口の中を大きくするには、いわゆる軟口蓋と言われるのどの奥の柔らかい部分を大きく開けること。
しかし、軟口蓋を大きく開けようとすると、慣れない人は舌根・舌部や下顎に力が入ってしまう。
それだけ声の通り道も口の中も狭くなってしまうし、このまま声を出すと、硬いくぐもっただけの声になってしまうのだ。
しかし、秀樹さんの口の中は、見事なまでに伽藍堂(がらんどう)なのである。
紅白のローラのロングトーン部分の口の開け方を映像で見るとすごく良くわかる。口の中が空洞で何にも見えないのである。
軟口蓋も開いてるけど、舌根にも舌本体にも下顎にも力が入ってない。
同じ声を出しても、小さい部屋と大きな部屋では大きな部屋のほうがたくさん響く可能性を秘めていると考えるとわかりやすいかもしれない。
秀樹さんの口の中は勿論広い部屋のほう。伽藍堂で邪魔するものがないので、
声帯で作られた振動が喉とか鼻とか口とか胸とかに響いてストレートに外に出て来て、秀樹さんの声は聴きやすいのだ。
聴きやすすぎてうまさを聴き過ごしてしまうのが難点であるが(笑)

何故唐突にこんな話をしたかと言うと…
比較的シンプルなこの「冬」や次に紹介する「裸体」にこそ、秀樹さんのうまさがよく見えるな、と思ったからだ。
どんな曲でも、立ち止まってじっくり聴く重要性があると、秀樹さんの歌からはいつも教えられるのである。

【裸体】

「情愛」の章。
前作の「冬」がフェードアウトするかと思ってフンフンと聞いてたらカットアウトで、
いきなり水の中であぶくが飛んでるみたいな幻想的なイントロがカットインしたのでこれも若干びっくりした曲。
モノローグの「愛することが青春だと信じた日」〜「あなたが神であり ぼくは下僕(しもべ)だった」の部分とリンク。

終始殺人的ウィスパーボイスで歌われる。
随所に散りばめられるあざといブレスも罪作り。
更にサビの「君は美しい」のステレオ連呼は、確実に聴き手をダメにします、はい。
個人的には、あの篠山紀信さん撮影の「熱い部屋」のお写真たちのイメージ、をもう少し少年にした感じなのです…(鼻血)

「抱擁」の「夏」「冬」や「裸体」は、曲単体では絶対シングルにならないような作り方をしている。
「春」も「秋」も微妙。
どれもシングルで購入したとしても一曲では内容が断片的なため「何じゃこりゃ?」と疑問が残るのみだろう。
やはりひとつの物語の中のミュージカルナンバーとして置かれているから違和感なく聴けるのだと思う。

この「裸体」までがA面。
ただただ若さの赴くままに愛を紡げたのはここまで。物語はB面へ続く。
なお、一言お断りしておくが、私はここからのモノローグを含め6曲を、未だ正気の沙汰で聴けたことはない。
故に以降の考察にはかなりの偏りがあることを御容赦願いたい。
正気で聴けるようになるのは恐らく、いつか私が秀樹さんと出会えた時だろう。


★★LP「若き獅子たち」考 後編へ続く★★