~答え合わせ~  


終わりは始まり



振り返ってみると僕は【答え】に執着のない人生を歩んできたような気がします。勉強嫌いだったせいでしょうか。覚えることが苦手だったせいでしょうか。それとも何事にも興味を持たない人間だったからでしょうか。テストで良い点をとっても悪い点をとってもまるで他人事のように気にならない。何が分からなかったのか、何を間違えていたのか。何が面白いのか、何が将来の為になるのか。無気力なほど何かを深く掘り下げて考えたことなどなかったような気がします。与えられた算数や漢字のドリルですら親の目を盗んで答えを書き写す。しかし全問正解すると怪しまれるのでわざと1問か2問は間違った答えを書く。怒られないための要領だけがなんとなくいい。そんな子供時代を過ごしてきました。


だから大人になってからも問題と向き合い答えを出したり解決策を探すことがとても苦手でした。苦手と思い込んでいるだけで本当は弱い自分を認めるのが怖くて、何も出来ない自分を知られるのが怖くて、避けていただけなのかもしれません。少しくらい間違えたところで痛くも痒くもない。満点の人生を歩むよりもわざと間違えて目立たない人生を歩んだほうが気楽じゃないかとすら考えていたのかもしれません。何かをすることよりも何もしないことのほうが波風は立ちませんから。学ぶことの大切さは分かっていても自分が変わることは難しいと現実から逃げていたのかもしれません。


恋愛も同じです。何かが変だと分かっていても、何かがオカシイと違和感に気づいていても見て見ぬふりをしていました。恋愛には正しいも間違いもないのだから。正解なんて誰かが決めるものではなくこれが僕たちなりのカタチなんだと思うようにして当たり障りなく過ごしていました。数年後には50代になる。白髪も増えてシワも増えて加齢とともに代謝も落ちて体が思い通りに動かなくなり今は四十肩の痛みで夜も眠れないどこにでもいるようなおじさんのそばにいてくれる年下の若くて可愛い彼氏がいる。それだけが全てでした。こんなにも人を好きになったことはあっただろうか。この出会いは奇跡かもしれない。これ以上に幸せなことなんてないのだから決して離れることがないように。僕は罪悪感を抱きながら過ちを犯しながら出来る限りの愛を彼に与えようとしましたし彼も彼なりに僕を愛してくれていました。いい歳をしてこんな薄気味悪いことを言うのはお恥ずかしいですが、最近の僕のやりがい、いきがい、はたらきがいは彼という存在が原動力となっていたような気がします。


「僕の嫁になってくれ」とキザな告白をして用意していた指輪をサプライズで渡し「サイズがぴったり」と驚かれた二年前の冬の夜に恋人になった僕たち。それから季節はめぐり今年も桜の時期になりました。すでに散り始めた地域もこれから満開になる地域もあると思いますが僕は春がとても好きです。出会いと別れの季節のせいでしょうか。桜を見るとなんとも言えない儚く切ない気持ちになるからです。付き合い始めてすぐにコロナ禍になったせいで僕たちは一緒に旅行した思い出などがほとんどありません。だから春が来るたび桜を一緒に見たデートはとても印象に残っています。桜を見に行こうと誘った僕。桜を見て綺麗だと言った彼。桜の前で撮った記念写真。でも花粉症だから春は好きじゃないと打ち明けた彼。突然降り出した花散らしの雨の中をびしょ濡れになりながら手をつないで走った夜。ペコペコにお腹がすいたので彼が食べたいと言ったカニ弁当をテイクアウトした帰り道にも美しく咲いていた桜。どれもこれも痛いほど眩しくてキラキラとした僕と彼の春の桜の思い出です。


2022年1月。彼は僕に言いました。「今年も桜を一緒に見ようね。今年の夏こそ一緒に花火も見れたらいいね。記念日や誕生日は絶対お祝いしようね。ずっとずっと一緒にいようね」。彼は僕の目を見ながら恥ずかしそうに言いました。いや、それはもしかしたら僕の記憶違いで彼は照れ隠しのためにスマホなんかを触りながら言ったのかもしれません。でも、とにかくそんな彼を僕は愛おしく思い「約束だよ」と伝えました。嬉しそうな、でもどこか悲しそうな彼の笑顔が大好きでこれからもその笑顔を守りたいと思っていました。


平凡ですが穏やかで充実した幸せな日々はこれからも続くと思っていました。ずっとずっと続くと信じていました。



でも、とても寒い冬の日に彼は亡くなりました。



LINEが既読にならなくなり連絡が取れなくなりました。今まで丸1日くらいなら既読にならなかったことは確かにありましたが体調が悪く病院に行ったと聞いていたのでなんだか胸騒ぎがして彼に電話をかけました。彼は電話嫌いだったので付き合ってから1度も電話をしたことがなくどうしても電話したかった僕は冗談半分で「今度、長電話しようね」と伝えていたのですがあれほど夢見ていた電話に彼が出ることはありませんでした。

 

 

僕が彼の死を知ったのは亡くなった二日後のことです。あまりにも突然でお別れさえも出来ませんでした。



恋人だなんて言ったところで親族でもなければ婚約者として認められることすらない同性愛者の僕の存在などちっぽけで無意味で何の役にも立たないことを思い知らされ打ちのめされてただ泣くことしか出来ませんでした。彼の後を追うことも考えたりもしましたが周りに助けられ、また、僕自身も周りを助けながら毎日なんとか必死で生きています。

 

 

守ってあげられなかった悔しさや悲しみが不意に襲ってくることもあります。どうして?と空に向かって叫ぶこともあります。彼と出会えて幸せだったと思うこともあります。彼は幸せだったのだろうかと考えることもあります。写真の中の彼の笑顔に助けられることもあります。たくさんのことを教えてくれた彼にありがとうと心の中で伝えることもあります。これからも色んなことを彼に経験させてあげたかったと残念に思うこともあります。彼が心配しないように前を向かなくちゃと自分を奮い立たせることもあります。前なんて向かなくていい。今は立ち止まったままでいいと心を慰めることもあります。彼がもうこの世にはいないことが信じられないと嘆くこともあります。いつもふざけていた僕だけど真剣に話したいことがあったのに、聞きたいこともあったのに、謝りたいこともあったのに・・・もしもあの時・・・と今さらどうにもならないことで自分を責めることもあります。


食事は摂れていますし痩せたりすることはありませんでしたが眠れなくて病院からもらった睡眠薬を飲んだ夜はありました。夢に現れる彼が相変わらず元気で明け方に急に涙が止まらなくなることもありましたが最近ようやく少し笑えるようになりました。頭の中では走馬灯のように彼と過ごした日々が蘇り、スマホを開けばスライドショーのように微笑む彼の姿を見ることが出来ます。彼と待ち合わせした駅前のバス停や買い物をした店や彼が好きだったパン屋の前を通るとまだ彼がどこかで生きている気がして彼からLINEが届くのを待っている自分と現実は現実として受け止めている自分がモグラ叩きのモグラのように交互に顔を出したり引っ込めたりを繰り返しています。喧嘩をして別れたワケではなく話し合って別れたワケでもなく僕が何か嫌な事でもしてブロックされて音信不通になったワケでもないから。彼は大切で大好きな存在のまま今も僕は彼の恋人だと思っていていいのかすらも分からないまま夜がきて朝がきてまた夜がきます。


中島健人くんが主演のネトフリ作品なら世界中が涙することでしょう。でもこんなおじさんのポエムのような独り言を読んで何を気持ちの悪いことを言ってるんだと思われるでしょうか。彼がいる時は不思議と自信で溢れていたのに彼がいないと僕は途端に自虐的になってしまいます。だけどまるで何も起こらなかったかのように僕は仕事もするし人とも会うし家ではテレビも見るしお酒も飲みます。あの日から僕の時間は止まったままでも世の中は普通に時間が流れていきます。見上げた空に浮かんだ雲のように流れていきます。彼が好きだった青い空をぼんやりと眺める時間が以前よりも増えました。空を眺めていると今年も桜を一緒に見ようと約束した彼の声を思い出します。彼の笑顔を思い出します。彼の匂いを思い出します。彼の温もりを思い出します。彼のやさしさを思い出します。心の底から思うのは沢田知可子さんの名曲の歌詞と同じことです。


彼に会いたい。


そして今。彼の死をきっかけに自分の死についても考えるようになりました。これと言って自分の人生には何の未練もありませんが勇気もないし迷惑もかけたくないので心配はいりません。しかしもしもに備えて整理しておくことが色々あるように思いました。そのうちのひとつが10年以上続けてきた恋愛相談のブログでした。問題と向き合うのが苦手だった僕ですが寄せられた多くの悩みにぶった斬りという形で向き合い記事を書いてきました。解決した悩みも解決しなかった悩みも笑いも涙も痛みも怒りもそして幸せ報告の数々も大勢の相談者と読者に支えられていたブログ。今は静かで更新することもほとんどなくなりましたがもしも僕が事故や病気でこの世から消えたらこのブログは誰が管理するのだろうか。そう考えるようになりました。もちろん管理する者など誰もいません。心配性と笑われるかもしれませんが僕が死んだら・・・ブログに放置されたまま残るであろうみなさんから寄せられたそれぞれの物語をこのままにしていてはいけないのではないかと思うようになりました。

 

 

歴史として、思い出として、青春の1ページとして。あるいは今でも戒めや学びとして大切に思って読み返してくれる人や最近ブログの存在を知り訪れてくれた人には申し訳ないですが全ての相談記事をひとまず公開終了としておくことが僕の責任であると感じるようになりました。身勝手な決断ですからなかなか納得していただけないかもしれませんが理解していただければ幸いです。もう生涯ブログを更新しないかもしれません。でも、引き受けている仕事があるので告知の更新をすることはあるかもしれません。またいつか恋愛相談する日がくるかもしれません。くだらない独り言を更新することがあるかもしれません。これからの事はまだ考えることは出来ません。時々、何もないこのブログを思い出して遊びに来てくれる人がいたらそれはそれで嬉しく思ったりもするでしょう。僕にとっても大切なブログですから。皆様からたくさんの学びと感動をもらったブログですから。寂しい気持ちも当然あります。


でも・・・


僕は毎日・・・頭の中で僕と彼が過ごした日々の答え合わせをしています。時々、声に出して整理することもあります。そしてもしかしたらこの先、僕と彼の物語を文章にして整理することもあるかもしれないと思うようになりました。誰かに読んでもらうためではなくあくまでも自分の記録としてです。ブログなどで公開するのかしないのかも分かりません。明日書くかもしれないし一生書かないかもしれません。書き終わったらまるで遺書のようになるのか、それとも生きる希望になるのか全く想像がつきません。書いている途中で他の誰かを好きになれたら書くことをやめるかもしれません。でも誰かをこんなにも愛することはもう二度とないような気がして書くことが彼の供養になる気もしていますし二人の秘密は僕の心の中に鍵をかけておくことこそが供養になるとも思ったりします。青年とおじさんのキュンとするBLではなく、結末が分かっている泣けるケータイ小説でもなく、誰にも言えないような話です。


こんなことをして快く思わない人もいるでしょう。今日はエイプリルフールだから全てが作り話だと思う人もいるでしょう。そもそも僕に彼氏がいたということ自体が妄想だと感じる人もいるでしょう。なんて非常識で悪趣味で幼稚だと失望する人もいるでしょう。僕のことをブログ名のようにメンヘラかまってちゃんで酔いしれた悲劇の主人公ぶりたい「あの女」と思う人もいるかもしれません。人気がなくなった恋愛相談に見切りをつけて新作の小説でも書き始めたに違いないと勘繰る人もいるでしょう。最後まで書き終えたら100日後に死んだワニのように書籍化を発表して興覚めする展開を予想する人もいるかもしれません。夢であって欲しい。嘘であって欲しい。何度も何度も思った僕のように。

 

 

真実か作り話か。フィクションかノンフィクションか。そんなの誰にも分かりません。だって僕は彼と出会い、エイプリルフールみたいに大袈裟で人騒がせで嘘のような恋を経験したから。僕の前では誰よりも甘えん坊で頑固で責任感が強くて孤独で愛されたいと願っていた彼。でも犬のようにすり寄って来て抱きしめたと思ったら猫のように僕の腕からすり抜けていった彼の本当の姿はきっと誰も知らないと思います。誰にも理解出来ないと思います。恋人の僕でさえ分からないことだらけです。僕はひとつひとつ、パズルのピースをはめるかのように僕と彼の恋の答えを探しています。勉強嫌いだった僕の教科書には載っていないような問題を必死で解き、答えにも点数にも興味がなかった僕が僕なりに導き出すサヨナラさえ言えなかった恋の答え合わせをしています。意味なんてないのかもしれないけど。今さら遅いのかもしれないけれど。少しでも彼が、僕が、そして誰かが救われるように。もう少し静かに時間を過ごした後で考えてみたいと思います。


僕は今日も変わらず生きます。

 

彼の分まで変わらず生きます。


皆様の日々が幸せに満ちて素晴らしいものでありますように。

感謝と希望と愛をこめて。