お立ち寄りいただき

ありがとうございます

 

ずっと前

こんな記事を載せました↓

 

 

つい最近

1970年代と言われている

ジョンのかわいい写真を見つけました

(有名な写真?私は初見でした😅)

 

   

 

そしてジョンにちなんだ
こんな記事も! ↓

 

散々今まで書いてきましたが

もう一回この記事をお借りします

ジョンとの出会いについて

(google訳を直しています)

 

クイーンは

ライブデビューからわずか2年後

1971年7月2日

英国のサリー大学で新しいベーシスト

ジョンディーコンを紹介しました

 

ジョンが参加する前

フレディ ブライアン ロジャー

そしてマイクグローズは

1970年最初のコンサート行いましたが

半年後に去ったバリーミッチェルに置き換えられました

 

「彼らの音楽は私がやりたかったものではありませんでした

とミッチェルは数年後PopMattersにてこう言っていました

「もっとブルージーでソウルフルなもの

ブラスセクションのあるものが欲しかったんだ」

 

続く後任であるダグボギー(しばしば「ダグ・イーウッド」または「ダグX」と呼ばれる)

という名前のジュニアエイジャーは

1971年1月に加入してから2回のコンサートしか持ちませんでした

演奏中はじっと立っているベーシストの固定観念とは対照的に

ボギーはステージ上で飛び跳ねて

他のメンバーを失望させました

 

しかし

彼らは彼を、彼らは彼を真っ向から解雇するのではなく

2月21日にキングストンポリテクニックのイエスのライブが始まった後

バンドが解散するものと彼に思わせることで決別しました

 

「フレディは

『あれはひどいライブだった

世界は俺に敵対しているし俺はもううんざりだ・・・

もうこんなことはしたくない』

というような会話をしていた」とボギーは後に語りました

 「おそらく彼は

自分が主役であり

慰められ

マッサージされる必要があることを他の人たちに知らせながら

若者で新参者である私に親切にしていたのだと思います」

 

ジョンディーコンは

ミッチェルの在任中の前年の10月に

クイーンが演奏するのを見ましたが

当時ロンドン中に現れていた多くの

レッドツェッペリンの影響を受けたバンドと何ら変わらない

と彼を驚かせました

それでも共通の友人が

彼をブライアンとロジャーにラーに紹介し

数日後にインペリアルカレッジでのオーディションに招待されました

 

「私たちは彼が素晴らしいと思った」

とロジャーは

マークホドキンソンの著書『Queen: The Early Year』』で言いました

「私全員、お互いにとても慣れていて

とてもやり過ぎていました

彼は物静かなので

あまり騒ぎ立てることなく私たちに溶け込めると思っていました

彼は素晴らしいベーシストでもあります

彼がエレクトロニクスの魔法使いであったという事実は

間違いなく決定要因でした

 

ジョンのステージ上のスタイルは

彼らが探し求めていたものでしたが

それが彼のセンスにまで及んだという事実は

彼とのデビューパフォーマンス前にほんの少しの葛藤を覚えた

と先ほどの本の著者は言っています

フレディがジョンに

着てもらいたい特定のシャツを持っていたとき

ジョンとフレディは意見の相違を持っていたと述べています

 

ベーシストは最終的に屈服しました

 

・・・あ~

光景が勝手に目に浮かんでしまう

そして

あのシャツ?

このシャツ?

いろいろ頭の中を駆け巡ります

 

 

ついでにピンタレストで

かわいいジョンばかりを集めているページはこちら↓

 

※画像記事等すべてお借りしました
 
 
どんな理由でも良いのです
 
何だかんだ言い訳をして
可愛かった若い頃のクイーンを
いつまででも掘り返していたいのです
 
 
またこんなネタは続きます
 

・・・何ならこんなネタだけにしたい

 

 

でもこの記事
書いていたリ編集している最中に
何回も間違ってまるごと消してしまっていました
こんなのばかりじゃ駄目ってことなのよね
きっと