お越しいただき
ありがとうございます
ちょっと前
イエスのサポートバンドをした話を書いた時
ジョンは参加していたか
いやまだだっただろう
という話を少し書かせていただきました
この記事です↓
ジョンの加入
この話を
もう一度きちんと調べて
書かせていただきます
ジョンが加入する前
他の3人と
どんな風に出会っていたんでしょう?
クイーンのオフィシャルファンクラブサイトに
1970年10月16日に
ジョンがクイーンに加入する前に
ケンジントンの
ガレッジオブエステートマネジメントで行われた
クイーンのライブを
観た感想が載っていました
このライブ
場所はケンジントンマーケットの近くで
ベースはバリーミッチェルでした
この時一緒に出演したHAWKWINDって言うバンド
今でも活動しています
そして時々クイーンとの関わりもあり
こちらの話も書きたいのですが
話がそれますのでまた今度にします
その時のジョンの感想
文章をお借りします
彼らは黒い服を着ていた
照明がとても暗かったから
僕に見えたのは
4つのぼんやりした人影だけだった
たいした印象は受けなかったよ
特にこんな感想しかなかったみたいです
そしていよいよジョンが加入前夜のこと
果てしなき伝説より抜粋します
1970年
バンド活動をまたしたくなり
音楽誌のメンバー募集欄に
定期的に目を通しますが
オーディションの誘いは一件しかなく
それを断ってロンドンの交通公社でアルバイトに
(ティーボーイって他の記事に書いてありました
お茶汲み?)
精をだしていました
1971年の初め友人らと
マリアアサンプタ教員養成学校
内のディスコに出掛け
ロジャー、ブライアン
ジョンハリスを紹介され
オーディションを持ちかけられた
ロジャーとブライアンの2人は
ジョンが以前観たことのあるバンド
「クイーン」のメンバーだった
その数日後
リハーサル会場の
インペリアルガレッジの講演会場に現れた
ジョンはベースギターと小さなアンプを持ち
すぐにプレイが始まった
曲はサンアンドドーター
ブライアンはその後に
彼の手を握って
素晴らしい!バンドに入ってくれ
と言った
と多数記事に書かれていました
ジョンが加入した時の話が書かれてある
↓の記事より写真もお借りしました
この頃のジョンに近いようです
日程的に
2月19日20日のライブは
ダグウッドがベーシストだったようなので
この後のことでしょうか
ジョンとはうまが合い
すぐにセッション等を重ねたそうです
きらめくロックの・・の本には
ジョンが加入する前の3人は1年近くも
セッションのベーシストを雇うと言う形で
活動を続けた
と書かれてあり
そもそも正式なベーシストではなかったような
書き方をされていました
ジョンこの頃のことについて
後の1979年のインタビューで答えています
deaky.netよりお借りします
大学初年時はプレイしなかったジョンであるが
2年目になると音楽が恋しくなり
再びギアをダウンすることに決めた
この頃には彼の長年の夢だったプレシジョン(フェンダーのベース)を演奏している
大学で同級生だったギタリストと
一緒にやっていたが
最初にクイーンを知ったのも彼のお陰だ
こいつがロジャーと知り合いだったと思うな
それで彼らがベースプレイヤーを探しているのを知った
ちょうどその時僕らのグループはあまり活動しないことに決めてたせいもあって
オーディションを受けに行ったんだ
当時彼らは結成してから
すでに6ヵ月くらい経っていて
3人か4人のベースプレイヤーを
試していたようだった
加入してからは基本的にはその当時やってた曲をいくつか学んだよ
あとでそれらの曲は
ファーストアルバムに収録されたんだ
その後練習を積み
7月のライブで初登場
そこからは皆さんのご存じの通り
このあたりかな~
ジョンが正式にクイーンに加入したその日は
1971年3月1日
と言われています
ミュージックライブより記事をお借りします
※ 画像記事すべてお借りしました
ただこの記事を
今頃載せたのは
50年以上前の今頃
きっとジョンの正式加入は
今日あたりではないかと思ったから
正式な日にちは特定できないけれど
いろんな本や記事には
2月に正式加入となっていました
果てしなき伝説には
こういう記述が
そのオーディションから数日後
「クイーン」正式にジョンにバンドに参加してくれるように申し出た
1971年2月下旬
ジョンリチャードディーコンは
ケンジントンを根城にするバンド
「クイーン」の4人目の
そして最後のメンバーになった
ジョン
クイーンと出会ってくださって
そして一緒に演奏をしてくださって
本当にありがとうございます